―領館、タッソ・ファラン―(2)
レンゾの方を見る。
「おう…、アイシャ。お前ぇ、身重の身でよぉ、こっから公都ってぇのもよぉ。幾ら何でも遠すぎるってぇもんじゃぁねぇか。」
常の彼…、眼前に遮ぎるもの没く、有らば撲って砕く。その様は見えない。
「あぁに、言ってんだい。お前さんが行くわけじゃぁ、あるまいし。」
気丈けに振舞う、その細君。我らが子爵家の隠し子…。領民の信篤く、貴種流離譚が女主人公となった女傑。醜い雀斑も、きつい目元も、それ少々の瑕疵など、物語には勝てぬ。
目隠し駕籠は良い働きをしてくれるだろう。
「そうは言うがよぉ。」
「ほんっと情けない男だね。少しは、どっしりとしたらどうだい?人の親になるんだろうよ。」
そう、そこに…いた男は。そう、権威、権力、それこそ天上の君こそ何する物ぞ、精々が遠慮あるは領主セベル様。鍛冶こそ鉄こそ己が全て。それ万障排するに何をかあらん。天衣無縫にして、恢々闊達。
彼は、私には、そう見える。実に羨ましい限り。
だが、そこにあるは、疎にして大いに漏らし、迂闊にも粗衣縫れは多く、小石に蹴躓くを恐る、ただただ嬶の身を案ずる男。
「…あのように陳腐な男ですよ。」
「だが、彼れに幾分この領は助けられた。」
それは解っている。解って無かろうはずもない。彼の作った鉄は、彼曰く、スルキアのそれに未だ敵うものではない。だが、十分に領の麦を賄うほどの金は積めた。販路の拙いが故に捌けなかった分も多いが、今は一心地着けるには十分。もし、それが無くば、領の財を吐き出す羽目になっただろう。すれば、この一年は過ごせても、未だ続くであろう飢饉をどれだけ耐えられたか。迫る、終焉にどれだけ気丈に振舞えたか。
そう、私が考えていることもレーゼイには解っているだろう。
「俺はな。たまに思う。」
相変わらず、鍛冶師の男はいらない杞憂を言い募る。それに、その妻は鬱陶しそうに答える。そういう夫婦の形もあろう。
「結局、何か立場を得たところで、何が変わるわけでもない。何か、事が起こったところで、突如、才を振るうことはない。」
今日のアイシャの出立にセベル様は、わざといない。別れは領館内で済ましているので、分かっていれば不自然はない。だが、ここにセベル様がいないことは、一つ布石になるはず…。
つまり、表立って、見送れないと…。
仕込んだ、口の軽い詮索好きな、強力をちらと見る。見積もり通り、怪訝な目で辺りを見回している。
「所詮、彼は彼、己は己。三つ子の魂百まで、とは言ったものだな、と俺は思う。」
そういうものを目で追っている私にわかっているか、わかっていまいか、何気にするでもなく、レーゼイは続ける。
「だから、私は思い悩んでしまうのですよ。」
「ならば、それを案ずる人間がいても、おかしくはあるまい。」
口角を僅かに上げ、レーゼイが言うや否や、であった。
「おい、タッソ。おい、手前ぇ、何湿気た顔してやがんだ。レーゼイは、おめぇさんは…、いつも同じ顔してんな?」
私がふいに見つけた、レーゼイの密かな笑みは、既に隠した後。そして、相変わらずの仏頂面で応える。
「人の顔はそう簡単に変わるものではない。」
「いや、そういうこたぁ、言ってねぇんだけどよ。」
眉をへの字にして言うは今先話題に上がっていた鍛冶師、レンゾ。
「まぁ、あんた。旦那はそうお人さ。悪いね。うちの人が。」
身重の身であると言うのに、実に軽い身のこなし。
いつの間にか、二人ともこちらに来ていたようだ。
「何、良く言われる。気にするほどの事ではない。」
ふ、と息を吐くは、レーゼイの笑い方。彼らに…わかっているか、どうか…。
…わかっているのだろうな。彼も彼女も、そういうのには聡い。
「こん人が気にしていると思っているとしたら、お門違いってぇもんだよ。そう、柔に出来ていないさね。」
多分、その言葉の通りなのだろう。
「それより、タッソ、お前ぇさんよぉ。今日はまた一等顰め面じゃぁねぇか。えぇ?そう湿気た面してんじゃぁねぇよ。」
レンゾの巻く管は、鬱陶しい。
「人の顔はそう簡単に変わるものではないのですよ。」
目を丸くして、視線を交わす、レンゾ、アイシャ。…そして、仄かに口角を上げるレーゼイ。
「タッソにしちゃあ、出来た冗談じゃぁねぇか。」
ばしんと、肩を叩くレンゾ。
常の鍛冶仕事で鍛えた彼の一打は十分に痛い。手加減というものを知らないのか。
「何をするんですか。」
自分でもびっくりするほど、不機嫌な声が出る。
「何をもなんもねぇよ。はっはっは。」
自前勝手に笑うレンゾ。
「全く、何なんですか…。」
「姫…、あ、いや、アイシャ。そろそろ、出立の刻限です…、刻限だ。」
わざとらしさを全く感じさせない、わざとらしい演技で声を掛けてきたのは、護衛の隊長であるテテ。その台詞を聞いて周囲では「やはり…」だの「なるほど…」だの、囁く声が聞こえる。
「あぁ、そうかい。テテ兄ぃ。悪かったね。時間取らして、ほいじゃ、あんた、タッソ、レーゼイ、あたしゃちょいと行って来るよ。」
十日は越える旅程であるのに、まるで二、三軒先に物を借りに行く調子で言うアイシャ。
「あぁ…御達者で。」
「無事な旅路を…祈念しております。」
「…、ま、公都の連中や…、おばさんによろしくな。」
「あいよぉ。じゃ。」
各々の見送りの言葉に軽く手を上げ、駕籠に乗り込んだ。麻の目隠しを垂れると、アイシャの姿は見えなくなった。
強力が四人で以て、駕籠を持ち上げる。東のソアキに抜ける道に比べれば、西のスルキア領に下る道は幾分良い。とは言え、荷車ですら難航する道だ。人を…妊婦を運ぶのであれば、馬車で行くわけにはいくまい。いや、万全を期して、ゼン街道までは駕籠で行く。
テテの号令とともに行列が動き始める。
まず、兵の五が先頭に立ち、門を出ていく。次にコシャの乗る二人持ちの駕籠、右にアーシャ、左にデーコが付いた四人持ちの駕籠が出る。フォングがすぐ後ろに付き、換えの強力はそのさらに後ろ。そして、五人の兵のまとめとして、テテが付く。
そこまで、発つのに少し時間が掛かった。幾ら、逞しい強力が担っていても、駕籠が進むのは只の人の歩みより当然遅い。
のろのろと、進む一行を送る。
後列の門を出た頃から、三々五々と見送りの人々は散り始める。
さて…。
この領にて、権威の一つである、ファラン家の当主である私。それと同格のレーゼイ。それらに気安く接し、気の置けないやり取りをしたアイシャ。
それを見た民。
それを意識して…、それが如何に働くか、それを如何に使うか。
それに、つい気が行く自分自身に一抹の嫌悪を覚えつつ、御姫君の出立は成った。
ばん…と、また肩を叩く音。
「何ですか…、レンゾ。」
「湿気た面ぁ、してんじゃぁねぇぜ?笑う門にゃぁ、福来るってぇえだろ?」
「いや…、」
何か言い返そうとした私を無視して、レンゾは大股でさっさと領館を出ようとする。
「俺ぁ、お前ぇと違って、色々忙しいんだ。てぇことで、俺ぁ、お暇するぜ。」
そう言って、先に出た駕籠を追い越さんばかりの脚で出て行くレンゾ。だが、向かう先は逆。そのまま、精錬場へ向かうのだろう。
「切り替えの早い、というか何というか…。」
「まあ、そういう生き方もあるだろう。」
そう言うと、レーゼイは馬小屋の方に向かっていった。
颯爽と馬に跨ると言う。
「俺も少し出る。西に幾らか夜盗の出たという話も入ったからな。雪に覆われる前に根城を断っておきたい。」
「えぇ、頼みます。雪に紛れた夜盗ほど質の悪いモノはいませんからね。」
高々、盗みや強盗を働いて得た糧では何日持つか。増してや、真っ当に過ごせる住処も無ければ、冬を越せない。只々、命の浪費である。
そういう者共は、早めに間引いておく必要がある。
「…あぁ、そうだな。…では御免…。」
そう言ってレーゼイも馬を駆って去った。




