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而鉄篇  作者: 伊平 爐中火
第2章(後編)飢饉の冬越し
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―領館、タッソ・ファラン―(1)

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朝ぼらけ。ぼんやりと日の光が雲を通して黄色く棚引き始めた頃。峰に懸かった雲は纏わりつくように、ゆっくりと蠢く。大勢には晴れ。だが、いつその重い身体を傾けて来ることかと、案ずるばかり也。領館の前庭には十は越える兵。これから長旅ということもあって、兵を見送る家族も幾らかいる。無論、行くのは兵だけであるはずがない。となれば、その他の付き人共の家族もいよう。各々、銘々の流儀にて暫しの別れを告ぐ。

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 今日は、アイシャの出立。

 そう…他の誰でもないアイシャ()の出立だ。

 ナナイのうっかりした言葉によって、アイシャはセベル様の実妹ということになった。それもアルミア家の血を継ぐ。

 いや、勿論そんなはずはないことは私は知っている。セベル様の母御セーコ殿はセベル様を身籠ったまま公都へ行き、以降アルミア家の者と接触はないのだから…。セベル様にアルミア家の血を継いだ妹がいるはずがない。だが、これ幸いと手下ゼンゴ、義妹となったタヌを始めとした手の者を使って、積極的にその流説を広めさせた。飽くまで…、秘密として。

 そう…秘密としてだ。ゼンゴはわかっていたが、タヌも中々の役者だったと聞く。既に、昨年より幾らかの村々で交渉に当たったアイシャの評判の良さも手伝って…。

 皆、流離した貴種に望みを賭ける。貴種で有りながら、自分と同じ庶民の気持ちも解る。実に…実に…、都合の良い妄想。

 これが拍車を掛けた。

 結果、アイシャもセベル様と同じく落胤である…ということは、あたかも公然の秘密ということに…なった。いや、そうした。

 …ナナイには痛恨であったかもしれない、たった一言。それを利用しようと…そういうことになった。

 ファラン家の養女たるタヌが姉と慕うも作用した。ニカラスク家がその女婿に(こうべ)を垂れたと誇大に噂は広まった。

 …本当に渡りに舟。色々と思うことはあるが、この()は色々と使い道がある。

 今ここにいる兵は十程度だが、兵舎のところで残りが合流し、最終的には護衛は三十五となる。付き人なども含めると、五十に迫る大所帯で、スルキア回りで公都に向かう。兵のうち、二十五はテテとともに神丘自治都市群に留まり出稼ぎとしての傭兵業に就くが、そこからは皇国の大動脈たるゼン街道。残る十の護衛でも十分に十分過ぎる。

 そう…。

 領主の身内とあれば、護衛を多めに付けるのは自然。ついでに言うなら、それが隠し子ということであれば通る他の領に「何故、そこまでの多くの兵を?」という問いに言い淀んだ言い訳にもなる。ハージンには兵を通すように散々苦労してもらったが、未だ怪訝な目で見られている。報告書には上がらない本人の言。

 だからこそ、他の領にいらない詮索をさせない。させてはならない。この噂を広めておけば、いらない詮索があったとして、それはアイシャ()の身元に向かう。そのはず。詮索されて困るようなことはないが…、変な邪推をされても困る。皇家は貴族年金を節約するため、取り潰せる家をいつでも探している。反逆の芽有り、などと奏上されては堪ったものではない。

 元々、北方にある領はほとんどはスルキア伯爵の与力で固められているのだ。それに属さないアルミア領は、得て何がある領ではないが、眼の上のたん瘤の扱いを受けることも少なくはない。歴史的に見ても、皇国成立の功臣初代スルキア伯爵、それに最後の最後まで反旗を翻していた土豪がアルミア家の祖だ。そして、そのアルミア家の祖は、一番の功臣たるアキルネ公爵の祖に招安されて、皇国に加わった。つまり、アルミア家はアキルネ公の与力であっても、決してスルキア伯の与力たりえない。むしろ、スルキア伯とその与力は敵視すらしている。

 スルキア領側から運び込んでいた糧食が途中から途絶えがちになったのは、おそらくはそういうことだろう。襲われたのは、領の者であることがわかっているコーセンやフォングが手配したものが中心で、元々外者のゲッセイが運んだものはほとんど無事だった。確かに簡易ながら偽装し、フブ殿の鉱床経由で運んだわけだが…。あれは明らかに狙っていたと診るべきだろう…。

 だからこそ、そこには…そういうことには気を配しておく必要がある。そう…、かの英邁なる二代目当主は随分それに苦労したと聞く。なれば、出来るだけ他領の目を逸らすには越したことはない。

 高々、隠し子がいた程度では取り潰す理由にはならない。逆に…、それくらいの下卑た、無能の、与しやすい領主の方が、むしろ厄介は少ない。先々代当主の数少ない見習うべき点だ。

 侮られた方がやりやすい。情けない話かもしれないが、それが弱小子爵領のやり方。


 しかし…、アイシャを隠し子とする。それは思い付いたセベル様の苦々しい顔とは裏腹に、偶然から成ったにしては実に出来た策となった。

 アイシャのためには駕籠を用意し、強力四人で持たせる。当然、目隠し付きだ。貴人とはそう言うものだ。これに加えて、二人持ちの駕籠には乳母となるコシャが乗る。貴人の妊婦となれば、乳母が着かぬはおかしい。

 コシャは元々ファラン家の手の者の家の出。夫のフスクは、どちらかと言えばニカラスク家寄りではあるが、先の戦役以来ファラン家に付いている。

 つまりは、どちらから見ても問題無い。

 周りには侍女として、アーシャとデーコが控える。当然、侍女も付く。アーシャは特に色の付かない役人の家の出。デーコは、それこそ偶々、才を認められ、手伝いに上がった娘。付け入る隙も何もあるものか。

 換えを含め計八人の強力はそのまま、公都で労役の仕事に就く。強力には口の軽い者を混ぜてある。うち一人は手の者。良い様に噂を流してくれるだろう。そう期待している。

 方々集めた噂に依れば、レンゾの始めた精錬場は既に警戒されている。そう見たが良い。スルキアの特産、特権たる鉄を与力でもない他の領の者が作ろうというのだ。警戒されないはずがない。本当に…、ともすれば、皇国への叛意を疑われても仕方ないほどに。高々、北限の弱小子爵が、鉄だけ得たところで何が出来るのか、などという言は通じない。

 是非とも、是非とも、領主の妹姫のその婿の我儘。そう認識されておいて欲しい。先々代がサテン殿を雇ったように、気侭な細工物でも作らせる…それの延長線上で…、鉄を作る。飾りに比べれば大分地味だが…、彼レンゾが、ある意味での趣味人であるのは間違いあるまい。

 そう…、そうあるべきだ。

 決して…、彼の鉄が領のためになってはらならない。内部的にはさておき、外には悪評を立てておくべき。だからこそ、アイシャの護衛に就く、テテの配下はレンゾの鉄の恩恵の少ない村々の者にしておいた。可能な限り、悪い噂の立つように…。

 …。

「おい、タッソ。」

 ふいに、レーゼイに声を掛けられる。彼も今は、この領の兵を率いる将。不肖ながら家宰を務める私の数少ない同格。

「あ…あぁ、すみません。どうしましたか。」

「どうしましたかも何もあるか。()()の出立だ。貴様も何も挨拶しないわけにはいくまい。」

「あぁ、いえ、すみません。少し…考え事を…。」

「あまり、考え過ぎるな…、と言っても無駄なことは重々承知しているが…。」

 レーゼイは、駕籠の前で話しているアイシャとレンゾの方を見やってから、そう言う。

「そして、こう言うのも一再ではない気もするが…、この領は悪い方向には向かっていない。あまり考え過ぎるのは良くない。それに、今は人材も揃った。お前だけが背負うというのは、傲慢というものだ。」

 相変わらずの眼光をこちらにぎらりと向ける。

 私が…傲慢…。…か。

「タヌも、ナナイも加わった。この飢饉において二人の働きは小さくなかったはずだ。この飢饉の対策に当たって、内務はタヌ、外務はナナイが音頭を取っていた。彼女らだけでない。数打ち役人だったハージンは遊説で、田舎坊主のファズは財務で、その腕を見せた。奴らの働き無くば、どうなっていたか。ともすれば柔弱に流れるフスクは徴税に矩を、如何にしようとも私腹を肥やすメーベンは民の周旋を、頑迷堅牢であるかと思えたローベンは領都の民を上手く采配した。つまり、皆、各々の役割を果たした。」

 目を…人差し指と親指で擦る。

 レーゼイの言。そうとも言えなくはない。未だ、わだかまりのある者共もいるにはいる。だが、彼らは為すべき役割を果たした、と言える。

「それに、ニカラスク家の働きは、存外に役に立ちそう。そうだろう?」

 実に苦々しいが、それは肯わざるを得ない。

 そういう結果になった。

 いや、未だどう働くか見えない部分もあるが。

 結果として、彼ザメイが作った安っぽい木の細工物は、出稼ぎに出る領民に受けた。

 それ以上の役割として、実際的な役割として、果たすところもあった。なるほど、幾ら出稼ぎの先を見繕っても、先方でアルミア領の民を見分ける術はない。まさか、一個一個役人が案内するわけにはいかない。そんな簡単な落ち度を、あのザメイの功として、解決させてしまうなど…。

「そして…、レンゾだ。奴のやっていることは領を豊かにするはずだ。」

 それは…どうなんだろうか。何か、どこかに落とし穴があるのではないだろうか。

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