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而鉄篇  作者: 伊平 爐中火
第2章(中編)それぞれ
111/139

―マヌ村、ザキオ―

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木々は生い茂り空の八割方を隠す。風は少なく木漏れ日は揺れない。森の細い、緩やかな登りの、小道は踏み慣らされたまま。降りた露でしっとりと濡れてはいるが、泥濘るむというほどではない。ところどころにある木の根は脚に磨されて滑りやすい。用心するに越したことはあるまい。時に荷車も通ることもあろう道ではあるが、素人目にはどうやって通したものかはわからない。道幅を除いては。

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 森を抜け、マヌ村に入った。

 そこで畑仕事をしていたのは…、あれは確か、タスク殿と言ったか。そして、その一家だろう人々か。雇われ人はいないようだな。

 タスク殿、あん人なら、村同士の会合で何度か顔を見かけたことがある。この村の顔役の一人。流れ者ながら現村長ダルオ殿の娘婿となり、次期村長にすら目されているはず…。

 にも関わらず、こんな村外れに土地を持つとは…。矢張り、噂は噂に過ぎず、実のところそんな立場ではないのか。我々の村なら、こんな辺鄙なところに畑を耕すのは、どこの者とも知れぬ小作どもの仕事だが…。それとも、同じアルミア領とは言え、村違えば風異なるということなのか。しかし、そこのところ委細訊ねれば無粋の誹りは免れないまいて。

 …余計な好奇心で村同士の諍いの種を生む必要もないずら。

 タスク殿の方を見れば、見たこともない大きな鎌で振るっている。あれは麦の刈り入れか。大鎌で麦を刈り、後ろにいる細君と思しき女が熊手で刈った麦を掻き集めている。掻き集めた麦を束ねるは子女、子息か。未だ子供だ。

 熊手で掻かれた麦は穂先が揃っているわけではない。少年が麦穂を揃えて、少女が順に麻紐で根の側を束ねていく。幾分年上の少女…いや服を見るに既に嫁いだ女が、麦穂を下に干していく。ここで手伝っているということは嫁に入った女なのだろう。麦を集める少年少女に一々叱言するのを見るに、隣家の出でもあって付き合いも長い、と言ったところか。

「おい、おい、おっさん。タスクのおっさん。いよう、突然悪ぃな。タスクのおっさん。」

 レンゾ殿が大音声(だいおんじょう)挙げ、タスク殿に声を掛けながら、一段上がった畑に登っていく。

 そう言えば、こんなとこに畑はあったろうか。ずいと見渡せば、見たことのある村の入口がずっと向こうにあった。そうか。最後にマヌ村に来たのは…、三年…いや四年前、その頃には、もっと向こうまでしか畑は無かったが…。この数年の切り開いたのか。高が三、四年、今年の状況を考えれば去年までで、ここまで畑を切り拓くとは、マヌ村は随分と余力があるようだ。

「うぅん?あぁ、親方さん。どうしたんずら。」

 レンゾ殿の声に応えて、タスク殿は手を止め、顔を上げる。

 いや、そうか。新たに拓いた畑を変わり番で面倒を見ているのか。確かに、そう言う目で見れば、作付けも未だ幼い。所々にある土留めの木も未だそこまで汚れていない。

「おう。このおっさんによ。俺らで作った農具でも幾らか見せてやろうと思ってよ。…あぁ、この旦那は…。」

「あぁ、クーベ村の…、ザキオの旦那け。今日精錬場に来るてぇ話はテガくんから聞いとったけども…。」

 頻繁にではないが互い顔見せていた仲だ。向こうもこちらを覚えていたか。

 しかし、テガ殿か…。成程、彼は手伝いの農夫たちとも関係深いと、ロコも言っていたずら。

「おう。やっぱ、良く考えたらよ。てめぇ、農夫の旦那にゃ、鉄作るとこ見せるのよりよ。出来たモンと、出来たモンがどう使われているか、ってぇのを見せた方が早いじゃぁねぇかと思ってよ。」

 …道中聞いていた限り、あの大鎌のようなものが幾つかあると…。

 確かに…農具であれば、あしも解るが…。それをどの程度まで、扱ってくれるものか。大体は鉄は武具に回されることが多い。遠く聞いた話では、そんなものだ。この大鎌であれば、あれば便利だろう。だが、それも村に一つというのでは…。

 あの鎌、あの造りでは扱うのにも慣れるが必要だろう。タスク殿は、あの精錬場というのに随分近い人間だと噂に聞く。となれば、容易に扱えようが、そうでない人間には厳しいだろう。

「ははぁ、成程なあ。」

 顎を擦りながら、タスク殿が応える。つと、顔を畑の方に向けたのは、作業の進行具合を確かめたのだろう。この調子だと、畑仕事からタスク殿は抜けねばなるまいからな。

 刈った麦は既にまとめられているが、結ぶのが間に合っていない。刈る手が止まったのを見て、細君がそちらに回っている。多少なら時間は作れるだろう。

「てぇと、どうでぇ。その大鎌の調子はよ。」

 タスク殿が大鎌に目をやったを見て、レンゾ殿が声を上げる。

「この柄が良い案配ずら。刃を回すに、良い案配でな。」

「へぇ、そうかい。ちぃと貸してみぃや。」

 レンゾ殿は大鎌を手に取って、何度か取りまわす。麦が根本から倒れていく。

「鋸刃を引く方に付けたは正解だったな。麦に合わせて細かめに付けるは手間だったが、悪くはねぇんじゃぁねぇか。」

「まあ、前のよりか幾分楽だで。使いようかもしれんけんどな。前のは前ので慣れれば使えるけぇな。今はラバンの奴が操っていんずら。」

 ラバン…、ラバンの旦那か。…ラバンの旦那と言ったか。

 あしの知っているラバンであれば、家内のサキコの妹、ラクコの嫁いだ先だ。何度か会ったことがある。少なくとも祖父の代からマヌ村にいる古株のはずだ。村の者どもも、それで安心して送り出したはずだ。そう、ラバンとは、外の者の多いマヌ村にいて、それであしら近い人間のはずだ。

 むしろ会った時の印象で言えば、その中でも(くいぜ)を守る類の人間だ。何かしらの都合でクーベに帰って来たラクコが随分と愚痴を零していた。まあ、夫婦(めおと)とはそういうものと言えば、そこまでかもしれないが。それでも、その愚痴が、どこを向いているのかというのは、それは…何かしら示しているのだろう。

 つまりは、ラバンとはそういう男ずら。

「そうかい。あん旦那がねぇ。奴さん、案外新しいモンに目がねぇとこあっからな。犂ん時も目ぇぎらぎらさせてたしよぉ。」

 …違う男の話か。まあ、どこにでもある名前とも言える。あまり同じ村で同じ名を付けぬことを考えると、また流れ者か。同じ名の者がいればややこしかろうに。

「あん人もなぁ。あしは意外だったけども。まあ、今はその大鎌で奥のラクコも、一緒んなって今は刈り入れずら。」

「…ラバン、ラクコの夫婦ってのは…。」

「あぁ…、ラクコはクーベ村の出だったな。…そうか、ザキオ殿の奥のサキコ殿はラクコの姉御だったなぁ。折角なら、今日も会って行くといいずら。」

 タスク殿は人の良い…、笑みを浮かべる。

 謀っているのか、とすら思ってしまう。

「なんでぇ。ラクコの姐さんの、兄貴だったのかよ。えぇ、ザキオの旦那よぉ。そうなら、そう言ってくれりゃあいいじゃぁねぇかよ。はっは、ははは。」

 レンゾ殿は笑いながら、肩を叩いて来る。

 しかし…、あのラバンの奴が…、か。

 確かに、あの大鎌があれば、刈り入れは楽になるだろう。犂も…何かしら工夫があるかもしれない。それらがあれば、多少は仕事も楽になるかもしれん。

 それだけと言えば、それだけ。

 一方で、それほどのもの、とも言える。

 見ていた限り、あの大鎌であれば、刈り入れの半月は十日で終わるやもしれない。犂は…見てみないと、わからないが、タスク殿の表情を見るに、悪いものではないのだろう。もしかしたら、この新しい畑も、この春からやって出来たものかもしれない。まさか、そう思ってしまうほどに。

 それほどのものか。それほどのものか…。

 本当にそれほどであるのならば購うに娘を…ロコを売ってしまっても御釣りが来る…。それが、冬の手伝い程度で手に入る…。成程、放蕩の先々代の御子とて、侮っていたのは認めんずら。

 とっときの、親父の残した遺産を売って、出来た金で雑役雇って、色々やって…。どこかで、聞いたこともあるような、無いような。そんな話ずら。庶出の、庶民の心のわかる男が、跡目を継ぐ。そして、善政を敷く。民には慕われ、良臣に恵まれ、領は潤う。

 昔話にあるような、そんな夢事、譫言、絵空事。

 どこかに落とし穴があるに違いない。

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