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而鉄篇  作者: 伊平 爐中火
第1章(前編)出立
10/139

―領館、セブ・トミタ、改めセベル・アルミア―

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小鳥(さえず)る、南中から日が僅かに西に傾くが認められる頃、青い空から漏れ出でた日は、アルミア子爵領領主執務室の机に差す。窓は開け放たれ、初秋の涼やかな風が流れ込む。風は幾つかの紙を机の下に落とす。紙は揺らぎながら、かつ日の内に入り、かつ陰に隠れ、床に落ちる。それはとは対照的に、重々しい書棚に据え付けられた本どもは日に晒されるがまま、日から隠されるがまま。セベル・アルミアは両手を枕に椅子に体重を預け、机に足を乗せ、ぎぃぎぃとと鳴らしている。時に、日が目に入り眩しそうにする。

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「しかっし…、難しいもんだな…。」

 貴族ってもんの仕事は、優雅に茶でも啜りながら、印を捺すことだと思っていたが、どうにも違うらしい。貴族の、あーなんだ、貴族の当主。領主の仕事ってぇのはあれだな。要は…要するに…、まあ色々だ。兎に角、色々決めたりなんだりするんだ。領全体の周旋というか。人の配り置きだとか、何かやる時の銭勘定だとか。

 多いのは、やれ橋が壊れただ、やれ溝が崩れただ、やれ堤が切れただ、やれ道が崩れただ。資材を購う銭だけでなく、人足の配分も担わなけりゃあなんねぇ。銭さえ出せば人の集まった公都と違って、人足だって限りがある。幾ら金積んだって集まらねぇもんは仕方ねぇ。どうにか融通するしかねぇ。すると、それも決めなきゃなんねぇ。いや、その辺りはタッソを始めとした家宰だ何だや、役人連中からある程度案にして上げて来るからよ。成程、確かに印を押すだけの仕事かもしれねぇけどな。どれに印を押して…どれに押さねぇか。おい、俺に責まるんじゃぁねぇよ。勘弁してくれぇ。

 橋が(こぼ)てや滞る。溝が埋まりゃあ水涸れる。堤破れりゃ侵される。道が断たれりゃ鈍詰まる。いずれにしたって、窮するは民草だ。民窮すればいずれ窮するは己だって、昨晩もタゼイ爺ぃにくどくどと説かれた。そりゃわからなくはねぇけどよ。暴虐極めた領主の土地から民離散逃亡して。碌に税も上がらなくなり干上がって。そんな話は公都がいた時分に聞いたこともある。日頃偉そにしてる、いや、今思えば見て会ったこともねぇ、お貴族様の話だけどよ。けど、その物言いはこの前までは気に入らねぇ貴族連中を罵るために俺らが酒場で(うそぶ)いていたモンだぜ。まさか、責を負う側になるとはよ。

 印捺すのぁ、それだけじゃぁねぇな。あこの粉引き所の臼はもう古い、家ん車の改めの時宜はそろそろだ、あこの道の轍切れ過ぎた、矢刀の備えも欠けている、ってぇのも一つだな。俺が、公都にいた頃、まあそう言っても、そんな昔じゃぁねぇが、衛兵をやっていた頃、主計の輩がやって来てや言うんだ。やれ、手入れが足りないんじゃないか、粗雑に扱っているんじゃないか、幾本か足りないぞ、ってぇよ。成程確かに、この立場になってみりゃあわからんでもないな。積り積もった欠けはまるっとまとめると莫迦にならねぇ量になりやがる。

 そうだな。この世に悪の栄えた試しの無いように、この世に善の栄えた試しも無し。かつて、俺が子供の頃、路傍に(うずくま)った、乞食染みた老弾師が吟じた通りってぇわけだ。麦擦る臼は己も摩する。地蹴る車は地に殴られる。殴る地を車輪は蹴り返す、肉刺し骨断つ矢刀も終ぞ千万の兵にその勲を屈する。ってぇよぉによ。削り削られ、擦り擦られ、穿ち穿たれ、折り折られ。作用は作用を反される。物事、残念ながら、平らか等しくに出来ているようで。俺の日々通っていたあの道も、日々の修繕有ってのものだったのか。公都の道は固い石畳だったが、一方で通る車の数はここの比じゃなかったけどな。

 まだまだ、あるぜ。しょんねぇな奴らだな。ちったぁ加減をだな。考えろってぇんだ。領館の柵の弛みはどうだ、倉庫の茅葺の苔はどうか、上りの道の土留めの時限がそろそろか。ものは綻びる。何だってな。俺が衛兵やってたのは高々十年ってぇとこか。そんでも、風雨の削るの妙に感じ入っちまったことはある。俺が最初に属された北門の、その北の北の端、北の守りの詰所。公都を離れるってぇなったから、久方振りに参ってみたわけだ。七年振りだったろうか。そこの分隊長殿の代替わりは許より、差して重要ではない関所。草生え、櫓崩れ、弩砲苔むし、石壁も根が露わになりつつあった。俺ぁ、思い知ったね。公都に回りにあった、かつて城壁だった、石くれどもも、かつて壮麗だった。だが、人の手入れ無しに、その威を保ち得なかったってね。

 万物流転す。巡り廻りて、戻りて即ち元の場所にあらず。手習いに通っていた寺の坊サマの言ってたことだな。確かにな、どうだろな。雫一滴終ぞ岩を抜くように、じりじり、きりきり、それは確実にやって来る。柵弛むは外害招く。外害即ち恐れ慌ただしく。屋根疎かなるは床水に浸す。居の水満たすは(えき)囃す。土留めるを仕損ずれば(かき)何時れ崩れる。垣崩れれば、矩定まらず。矩定まらずんば、災い招く。難しい話じゃねぇな。農家にとっちゃ畑を荒らす猪や熊は防ぎたい。てめぇの寝床が、いやそれだけだじゃあねぇな、雨降って床泥濘るむは勘弁願いたいところだ。それに、垣根の重きを知ったはここに来てからか。でも、それらは無限じゃあねぇんだな。いつかは直さなけりゃあなんねぇ。

「おっしょっと。」

 俺は椅子から立ち上がる。

 こう(ふみ)と睨めっこばっかじゃぁ、なんつぅか凝るってぇかよ。

 机の前に出る。手を組み腕を頭の上に伸ばす。そのまま、腕を左右に振り、脇腹の筋も伸ばす。右…左…。片膝のみ曲げ、もう片膝の脹脛(ふくらはぎ)、膝裏、太腿の筋も伸ばす。右…左…。机に手を付き、踵から脹脛に掛けて筋を伸ばす。これも、右…左…。衛兵時代にはかったるいだけだった、この操練前の運動も今はいい息抜きだ。

 各所の筋を伸ばしながらも思考は続ける。


 後はぁ、人の配分か。

 代替わりで先代から仕えていた連中が一斉に隠居しちまった。ここじゃ、代替わりに際して、譜代の年寄り連中は引退するのが習わしだって言う。俺にはそんな奴らはいないんだけどよ。新領主に付くのは、乳母子同然で育った譜代の跡継ぎ共だ。タゼイ爺ぃは未だ領主として、貴族として、右も左もわからねぇ俺の教育係として残ってくれちゃぁいるが、一年以内には隠居するってぇ言ってんな。

 加えて、アルミア領の家臣団は先の戦で壊滅的打撃を受けたってぇな。本陣を奇襲されたってぇ話だ。俺がここに来る因縁となった嫡子殿が死んだだけでなく、当然他にも死者は出た。領の正規兵は許より、徴発した農民兵、兵站担っていた文官、荷運びだ賄いだのの雑役、官民の人材大分死んだらしい。小領の少勢をどうしてここまで、いや弱い点でも狙ったつもりだったのだろうか、兎に角徹底的にやられたとか。そんな有様だったってよ。丘向こうに陣を敷いていたアキルナ大公の、その予備兵の助けが来なければどうなっていたか。…とは言え、結局、戦は皇国が勝った。つまるところの貧乏(くじ)を引いたってぇことかね。

 ただ、実害を受けたのは、結局ここの…うちの領だ。大きく見た時の勝った敗けたはさておき、受けた被害がそれで小さくなるわけじゃぁねぇ。国から多少の見舞金もあったらしいが…。ま、多少ってぇ奴だ。多少は多少。多かれ、少なかれ、ってぇのは手前ぇの立つ位置から見たモンってぇな。金ぇ貰って人が黄泉帰るわけじゃぁねぇ。てめぇの連れが戦で死んで、その命を金で購おうってぇのは、どうなんだろうか。わかんねぇな。俺の知り合いでも、喰うや喰わずやの一家が親父の命で購った金でようやっと何とかなったってぇとこもある。どうなんだ。どうなんだ。もしかして、この領主ってぇ役は、もしかしたらよう。そういうことも背負って行く必要がぁあるってぇのか?えぇ?

 死んだ、何だの、そういう情けの問題だけじゃぁなぇな。至極、考えてみれば当たり前か。何て言うか、何とも言いようが無いが。そう…数は力だ。領主ってぇからにはそういう、何て言うか、冷たい(はか)りの(かぞ)えもしなけりゃなんねぇってぇことだ。領の人口は公領は比ぶるまでも無く、公都、いや、その一区画と言ったところらしい。領都であるこの街も、俺らの住んでた長屋の通り一つ分ってぇところか。そうなると、公軍の一分隊規模の損失でもバカにならねぇ。正規兵、役人、その5人に2人ってぇ割合だ。ひでぇ割合だ。

 …例えば、公都の商家で、そうだな。店主と女将さんが齢で引退する。長年番頭務めていた爺さんも、そんならそうと、そろそろ代替わりってぇ隠居を決める。そう、そして、例えば、折悪しく、働き盛りだった番頭の候補の一人が病で逝く。ようやっと一人前に働き始めた下男が娘の一人と駆落ちでいなくなる。他にも、郷里の親が病だ、実は借金で首が回らなくなっていただ、別の商家に移るだ、なんだで使ってた連中が半分近くいなくなる。…これは困った、ってぇなるだろうよ。一個の商家にゃ十分危機だな。だが、まあ、公都の、そん中の一商家であれば、人を新しく雇うなり出来るだろう。十人いるのが、半分になったぐらいなら、何とかなる。新しく雇ったモンのうち、居着いてくれるのがどんだけいるかわからねぇが。ま、半年、一年、そんくらい耐えりゃあ元に戻るだろう。

 だが、この辺鄙なアルミア領じゃあな。しかも、領全体のことってなっちゃあそうは行かねぇ。まず、そんな人は溢れちゃいねぇ。いなくなったら、いなくなりっぱなしだ。減ったら、減りっぱなしだ。公都と違って、流れ者も少ねぇ。気軽に新しく雇えってぇのも無理な話だ。子を産め、子を育めって言ったって、そんなん何年かかるよ。励めったって、そうそう簡単に励むかよ。むしろ、冷静な人間ほど、てめぇの懐具合を勘定出来る奴ほど、その辺きちんとそれを考えている。何も考えていない奴ほど、ぽこぽこ産ませて、産んで…。

 …貴族が孤児院を営む理由はそこにあるって、わかったよ。慈善事業じゃぁねぇんだな。人は減らしたくない。それが望まれようが、望まれなかろうが。子は子。命は命。増してや、てめぇの金で育てられたことを恩でも感じてくれるのであれば…、めっけもん。な?ったくよぉ。

 一騎当千、万夫不当、何するものぞ。

 そら、そうだ。戦働きは知らねぇが一人で千人分も万人分も耕したり、大工したり出来る奴がいりゃぁよ。

 …兎にも角にも人が足りない。

 村々の個々で見たってぇそうだ。戦があって、働き盛りの若ぇ者が一人、二人いなくなるんだって馬鹿にならねぇんだ。村の人口は高々多くて四百ってぇとこ。うち、働ける男手ってのは、百の半ば程度。世代別に見れば十やそこら。二十ってことにはなんねぇな。そのうち、一人、二人抜けるってのは、一見そこまでではない。だが、そうでも無い…。らしい。

 いや、考えてみれば、そうなのか。どうなんだろうか。

 十に一人、二人と言ったら、流行り病の一回分ってとこだな。しかし、普通流行り病であれば、子供、老人、弱者から命を奪う。働き盛りの男から殺すってぇ奇矯な病はそうそうねぇ。だが、戦はそれってことだな。実に嫌らしいな。クソ野郎。そう。数字の上で言えば、子供は兎も角、働けない老人共は可能な限り…少ない方が良いってもんよ。働き盛りの男共のみを奪う。それは生産力を確実に奪うと同時に口減らしをしない。それは思った以上に厄介。

 さらに言えば…中途半端に生き残った奴など…は…。

「ふぅーー。」

 椅子にどっかと座る。

 目の間をもむ。

 あまり…思い悩むものではない。

 …思い悩むほどのものではない。

 そう思うしかない。

 思い悩んでどうにかなるものか。

 俺が考えてどうにかなるのかは。

 詮無いな。

 人を増やせってぇたって、そうそう簡単に行くものでもねぇ。

 俺に出来ること、出来たこと。

 そう。そういう人間がいると、すれば、そうだな…。俺の連れて来た、俺に着いて来てくれた奴らか。

 そう言えば、俺が、ここアルミア子爵領に来て、初めにやらなければならないとなったのは、一緒に来た奴らの配分だったな。まぁ、武官と文官の大体でいいってぇから、そこまで迷わなかったけどよ。判ずんのが難しい奴もいたが、えいや、とやってみたってわけだ。それが良かったのか、悪かったのか、それがわかるのはいつの日か。

 …ただ、まあ、既にもう、上手く嚙み合ってねぇ奴らがいんな。

 どうすっかなぁ…。

技術の発展において人口というのは結構重要なものです。

特に農業従事者に対する非農業従事者の割合は技術発展において重要となると考えられます。

技術史・生活史を調べる上で農民数当たりの非農民数などいくつかの時代に対して計算していた時の感想です。

実際、この小説中で想定している開発に対して必要な人員をざっくり見積もってみても明らかに足りなかったです。なので、そこはご都合主義的に増やすとして、置いておきますが。

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