きみが生まれたとき、こわかったよ
ふと思うことがあったので、筆を執りました。
「いつ兄、いつ兄! お久しぶり!」
「とも! 元気してた!?」
俺の名前は後藤鷸成。音楽関係の仕事をしている。耳が普通の人よりもよく聞こえて、不便をしたことがたくさんあったけれど、今、高校生になった弟の頭を撫でて、すごくほっとしている。
「いつ兄の新しい曲聴いたよ! 今回はバラードな感じなんだね」
「俺の曲って言っても、全部俺が作ったわけじゃないし」
無邪気にスマホを持って、俺が作曲、ミックスを担当した曲をダウンロードしたらしい画面を見せてくるこの弟は友成。高校一年生だ。
「でもすごいよ! いつ兄は俺の自慢!」
「はは、ありがとな」
俺は持ってきたケーキの箱を渡す。
「誕生日おめでとう、友成」
実は、友成の誕生日に合わせて、俺は実家に帰ってきていた。俺は四人兄弟の一番上で、友成は三番目。ちなみに二番目は茅成、四番目は鞘成という。どの兄弟も等しく愛おしい存在だ。
俺はあんまり頭がいいわけじゃないから、憧れられる兄ちゃんになるために、人となりはしっかりしておこうと思った。人に優しくできて、誰かに親身になれるように。耳が聞こえすぎることが、誰にも気にならないように明るく振る舞って、なるべくみんなから好かれようと思っていた。
中学生の頃、秘密組織みたいに組んでいた友達と奇妙な事件に巻き込まれてから、俺は聞こえすぎる耳をちゃんと使おうと思って、今の道に進んでいる。
久しぶりの家にはみんなが揃っていた。茅成も大学に行ってからは一人暮らしをしていたはずだが、友成を祝うために帰ってきたようだ。
兄弟の誕生日を祝うのに、うちは毎年集まっている。俺が兄弟を大切にしたいって話をみんなにしたから。
「や、かや」
「いつ兄、久しぶり」
その理由は茅成にあった。というか、これは俺の懺悔の話なのだけれど。
茅成は今でこそ元気に大学に通っているが、生まれたばかりの頃、死の淵を彷徨ったことがある。俺のせいで。
お兄ちゃんになったことが嬉しかった俺が、赤ん坊の茅成を抱っこして、落っことしてしまったのだ。今、茅成が生きていなかったら、たぶん今、俺は呑気に音楽制作活動なんてしていない。
本当に、生きていてくれてありがとう、と思うから、弟たちの誕生日を祝うのだ。
「さやは?」
「部活じゃない? さやだけなんかおれらと違って運動できるんだよね。不可解だ……」
「かや……」
「や、いつ兄? 責めてないし、いつ兄のせいじゃないからね?」
わかっている。茅成の言う通り、茅成の運動神経がよろしくないのは本人の性質で、俺が落っことした事件による身体の不全とかではないのだ。幸いなことに。
俺、茅成、友成はからっきしってほどでもないけれど、できる方かできない方かでざっくり括るならできない方である。これは自他共に認めるところだ。不便はしない程度の運動神経はあるが、体育の授業が好成績だったか、と言われると、言葉に詰まってしまう。そんな感じだ。
茅成は俺が赤ん坊の茅成を落っことした話を打ち明けたとき、びっくりはしていたけれど、笑い飛ばしていた。
「あはは! いつ兄が落っことしてくれたから、おれ、却って丈夫になったんじゃない?」
そういう感じに言ってくれた。茅成は病気知らずなので、体が丈夫なのはその通りだ。そこに因果関係があるかは知らないが、そういうことにしよう、と二人で話した。
で、末っ子の鞘成は、現在バスケ部のエースらしい。保育園の頃から運動神経がよくて、側転も気がついたらできているような子だった。そのおかげで滅茶苦茶モテるらしく、図に乗らないといいが、と思いながら、家族一同見守っている次第だ。
「じゃあ、ちょっとともと話してくる」
「ん。俺は母さんの手伝いしてるよ」
そうして茅成と別れ、俺は友成の部屋へ向かった。
こんこんこん、とノックをすると、はぁい、と明るい返事が返ってくる。開いた扉の向こうには写真がびっしりと貼ってある部屋があった。これで部屋が薄暗くてパソコンが一台だけ光っていて、写真に写る人物が一人の人間だったら事なのだが、友成の趣味は極めて健全な写真を撮ることである。
「いつ兄、どうしたの?」
「ん、ちょっとともと話したくて」
「僕と? いつ兄なら大歓迎だよ。入って入って」
招き入れられた部屋には写真がびっしりと飾られていて、ほとんど壁紙のようだった。風景写真や野鳥が主である。
「相変わらずすごい部屋だなあ……」
「ふふん。今までの撮影データからモザイクアート作れないかパソコンにデータ取り込んで試してるんだ」
相当凝っているようだ。ただ、モザイクアートって確か、滅茶苦茶離れたところから見ないとわからない巨大作品なのでは。まあ、友成が頑張りたいなら応援するけど。
さて、本題に入ろう。
「友成、兄ちゃんな、友成が生まれてくるとき、怖かったんだ」
「え……?」
柄じゃないけど、いつか話さなきゃならない、ちょっとシリアスな話だ。
友成が生まれる、となったとき、俺は必然的に茅成が生まれたときのことを思い出した。また自分が何かを仕出かしてしまったら、と思うと、怖くて夜も眠れなかった。茅成のときは動くのを楽しく触っていた母さんのお腹も、中に赤ん坊がいると思うと、手を伸ばすことすらできなかった。
「弟ができることが嫌だったわけじゃない。ただ、俺、かやが赤ん坊のときに、かやのこと落っことしちゃったことがあって……それがトラウマだった。かやは何事もなくて済んだけど、次生まれてくる子にまた何かやってしまって、命の危険に晒してしまったらって思うと、怖くて怖くて仕方なかった」
「いつ兄……」
「赤ん坊のとき、抱っこするのも怖くてさ……かやのときはあんなに張り切ってたのにって父さんに言われたよ。……それくらい、子どもって怖いんだ。俺って弱虫だったんだ」
友成が唖然とする中、俺は伝える。
「でも、ともが俺のこと『にいに』って初めて呼んでくれたとき、俺、すごく嬉しくて。母さんに手伝ってもらいながら、ともを抱っこした。変な汗出るくらい緊張したけど」
俺は一所懸命、友成を真っ直ぐ見て伝えた。
「怖かったけど、今こうして、元気に生きてくれて嬉しい。俺は、こんな、まあ、多少情けない面があるんだけど……それでも、今日まで、健やかに育ってくれてすごい安心してるんだ」
「安心?」
「うん、免罪符にもならないんだけどね」
俺が茅成にしたことは茅成の後の人生に響かなかったからこそ許されているけれど、俺自身はまだ心の中でしこりのようになっていて。友成が生まれたときも、鞘成が生まれたときも、怖くて怖くて仕方なかった。簡単に死んでしまいそうな赤ん坊という命が怖かった。
それでも死なずに、こうして生きていてくれることが、何故だかずっと嬉しいんだ。
「生まれてきてくれて、ありがとう。生きていてくれて、ありがとう、友成。誕生日おめでとう」
高校生になって、色々悩むことになるであろう友成へ、情けない兄ちゃんから少しでもはなむけを贈れたら、とそう伝えることに決めていた。
友成は俺に失望するかもしれない。友成が生まれるのを怖いと思った俺を嫌うかもしれない。
それでもいい。今、生きて、年を重ねてくれることが嬉しい。自分勝手で強引かもしれないけど、俺の真っ直ぐな思いが、今すぐじゃなくてもいいから、届いたらいいな、と思った。
「いつ兄」
友成が意を決したように俺を呼ぶ。俺が振り向くと、目が合って、友成は──
晴れやかに笑った。
「ありがとう、いつ兄。いつ兄が生きててくれたからだよ」
ああ、いけない。
救われたような気持ちになってしまうんだ。
でも、それでも、怖かった命を拒絶しなくてよかった。こう言ってもらえる兄ちゃんになれて、よかった。
おめでとう。ありがとう。