あとがき
30.あとがき
460年前と同じように、今川氏が桶狭間の地で打ち取られた。「因果応報」、「歴史はくり返される」という。今回は織田に首を取られたのではなく浅井によって。浅井長治、瑞穂親子の系譜を遡ると、近江、浅井家にたどり着く。史実によると戦国時代、北近江の大名、浅井長政は織田信長の妹お市を嫁にもらい信長と同盟関係を創ったが、反旗を翻し、小谷城で籠城したものの、織田軍に攻められ自刃した。この時、お市と長政の3人の娘、茶々、初、江は秀吉に救出されたが、近江浅井氏はこの時、滅亡したと言われている。お市と長政の間にはもう一人の子がおり、この時伊吹山の山中に逃れ、浅井家の再興に賭けた。その末裔が浅井長治、瑞穂親子であるかもしれない。従って、振り返ると浅井長治、瑞穂親子はお市の方から兄、織田信長へと血縁があることになる。よって令和の今も、桶狭間の地で今川氏を織田氏の末裔が打ち取ったことになる。
首をとられた方の今川殿和専務の家系はどうか。駿河今川家は足利将軍家とともに清和源氏の血筋である。足利の分家が吉良家でその分家が今川家だ。駿河今川家は桶狭間の後、1568年に武田信玄と徳川家康の両方に攻め込まれ、掛川城落城をもって滅亡したと言われている。駿河進行に備えて、信玄が造ったのが石塁だ。しかし最後の今川氏真が歴史上、凡庸だと言われる中、彼は小田原の北条氏そしてその後は徳川氏の庇護のもと、1615年77才まで生きのびた。更にその子孫たちは江戸時代に朝廷との交渉役を担う高家として徳川幕府に仕えたのだ。ただ、本書での被害者今川殿和は静岡出身ではあるが果たして今川義元の血筋であったかどうか定かでないが、460年の歳月を経て歴史は繰り返されたのかもしれない。




