失踪
18.失踪
こうして、浅井長治は損失の責任を一手に負い、懲戒解雇処分となって、アシカガ・ファイナンスの社長の座を追われた。しばらく、幽霊のように気力をなくし自宅で謹慎生活をしていた。会社のためにと一生懸命やってきた約40年間が思い出された。損失の大部分は日東証券から来た吉川の助言を受け、今川専務が仕組み債に肩入れしたせいだと思ったものの、自分も日東から接待攻勢を受けていた。また、頼りにしてきた今川は自分をかばってくれない。それどころか、自分に責任を押しつけ自分を切ったのだ。隠蔽指示まで出した今川を告発できない自分の弱さを恥じていた。
謹慎していると毎日、事件が思い返された。自分のせいで会社に迷惑かけたのは事実。50億円はとても自分で賠償できる金額でない。会社は、寄って、たかって自分だけを悪者にしたてあげ、幕引きを図った。ホームページを見ても明らかだ。そんな調査報告書を開示している。それを見て誰かが流したのか、SNS上は、「あほな社長に大金預けるな。」「自分の懐に入れていないか?」「消えろ。」というような誹謗、中傷の嵐だ。会社が罪をでっち上げ私のせいにしたからだ。ソーシャル・エクスクルージョン(社会的排除)という言葉があるが、空気を読んで消えろということか。こうしてあれこれ考えると恨みが沸々と湧いてくる。一方で全ての希望が無くなり心は絶望感に覆われた。このまま、会社の近くにいると知り合いに会う。会うと恥ずかしい。今は妻もなくし、唯一気になるのは愛する娘、瑞穂のことだけだ。ただ彼女も家を出て自立しており、もう私がいなくても大丈夫だろう。自分は負け犬だ。SNSの言う通り、消えてしまおう。可愛い娘よ!幸せに生きていっておくれとの思いが増して尚も思い詰めた。
夏のある日、浅井は思い立ったように家を出て、名古屋駅から新幹線に乗っていた。行先は富士山だ。娘がまだ小学生の頃、毎年家族3人で出かけた富士山を死ぬ前にもう一度見てみたいと思った。新富士駅で降りると目の前に雄大な富士の姿があった。山頂は夏姿で雲を被り、見えない。どちらに行くかのあてもなく、駅前をふらふらしていると、富士五湖巡りのバスがロータリーに入ってきた。そのまま、バスに乗車した。バスは国道139号線を進み、静岡県から山梨県に入る。富士五湖のうち最初の湖である本栖湖付近にさしかかった。青木ヶ原の入り口、「石塁入口」というバス停が彼の目に付き、ここで下車した。
石塁とは何だろうか?青木ヶ原樹海の中にあり、高さ2メートルの石垣が溶岩で築かれて2キロメートルも続く。戦国時代、武田信玄が今川家の衰えをみて、甲斐から駿河に侵攻するため荷駄隊が通れるように広幅の軍用道路を作った。この道を守るために付近に石塁を築いたのだ。浅井誠司が武田信玄のように強い人間であったら、失踪や自殺など選ばず、今川の責任を暴くことを選択できたかもしれない。がしかし、浅井は逆方向の選択に向かっていた。
樹海を歩くと方向感覚がなくなる。日中も暗く日の光がみえない。樹木が鬱蒼と生い茂り、方角不明となるとも言われている。遊歩道が整備されそこを歩いていれば安全なのだが、一歩はずれると迷走してしまう。浅井はそのことを知っていて自らの意思で遊歩道から外れて行った。自らの死にあたり、この世から消え去りたいとの思いから、身元の分かる物は全て携帯電話、運転免許書等は事前に処分して、石塁を越えて樹海に入って行った。
浅井元社長が行方不明になったとアシカガ・ファイナンスでは一時、大騒ぎになった。しかし、責任の全てを浅井ひとりに押し付けた足利製作所においては浅井の失踪など誰も関心がなく、失踪届を出すこともせず、ただ放置されることになった。浅井の失踪は足利関係者にとっては不都合な真実であり触れたくない事実だった。こうして、アシカガ・アイナンスの巨額の損失は一時は公になり問題になったが、株主総会を乗りきったことで何事もなかったように時は流れた。それから一年が経過していた。
一方の殺人事件、事件発生から5カ月が経過していたが捜査の方は進展のないまま行き詰まり、猛暑の夏が始まっていた。1年遅れで東京オリンピック・パラリンピックは開催された。柔道、野球、女子ソフトボールなど、日本人選手の活躍があり、日本中が熱気に湧く一方、事件は世間から完全に忘れ去られようとしていた。あれほど熱心に事件を伝えたマスコミ各誌もオリンピック一色となり、事件の続報を取り上げるところはなかった。




