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決算延期

17.決算延期


足利製作所の会計監査人は、大手会計事務所でありビッグ4の一角「ちくま監査法人」である。足利を担当するちくま監査法人の業務執行社員である佐久間敏盛さくま・としもりから窓口である経理部に至急、本件を畠山社長に報告したいとの要請があった。できれば常勤監査役も同席してもらいたいと。

緊急に、佐久間のほか、もう一人のちくまの業務執行社員の林秀夫はやし・ひでおを加えて、畠山社長、池田将成監査役、経理部員数名が加わり会議が始まった。今川と浅井は当事者なので外されていた。会議の冒頭、佐久間から、「今期の会計監査を行う中で、子会社アシカガ・ファイナンスにおいて、大きな損失があることを発見しましたのでこのようにお集りいただきました。」と会議の主旨が説明された。続いて、林からこれまでにちくま監査法人が把握した事実について説明がなされた。「以上がこれまでの調査で分かったことです。しかしまだ、全貌が判明していません。至急、損失の総額を確定しないと決算案について会計監査人として適正意見の監査報告書を提出することはできません。」と林が畠山社長の方を見て、強い口調で言い放った。「監査報告書を書いてもらわないと決算発表ができないということですか?」と畠山が質問する。「決算発表を予定どおりすることは会社の自由ですが会計監査の適正意見がないと発表した数字の信頼性がなくなります。あくまでも私ども会計監査人が同意していない決算案のままなので、それを株主総会で承認してもらえるか甚だ疑問ということになってしまいます。」と佐久間が半分脅かしともとれる口調で言った。「それではどうしたらいいのでしょうか?」と再度、畠山が聞く。「一刻も早く、損失を確定し、それを反映した決算案を作ってもらうことです。そうであればそれに対して監査報告書を書くことができます。正しい数字になっているということが前提です。」と強く念押しされた。林が「アシカガ・ファイナンスでの損失がいったいいくらなのか。本社からも応援を出して確定作業に入ってください。そうしないと決算発表も延期、株主総会も予定通りに開催できないという事態になります。」と再度、脅しをかけた。佐久間が池田の方に向かって「監査役会を開いていただき、社外監査役にも理解いただく必要があります。」と付け加えた。これまで何も動かなかった池田もこれは大変なことになったと気付き、「わかりました。緊急に監査役会を開きます。佐久間さんも林さんも出席いただけますか?」と尋ねた。二人は「もちろんです。」と答えた。子会社所有の金融資産を正しく評価減する作業が必要であり、これが決算発表に間に合わなければ延期することを暗に求めたのだ。監査報告書を提出しないというのは会計監査人にとっての伝家の宝刀だ。伝家の宝刀を抜かれた畠山社長と池田監査役は大いに焦り、経理部員に子会社を支援し損失確定作業を急ぐよう指示を出した。

足利にとっては時期的に幸いだった。この夏に開催予定の2020東京オリンピック・パラリンピックの開催が1年延期さることがこの頃、決まった。開催に突き進むIOCと日本政府だったが遂に諦めた。パンデミックの中とは言え、日本各地で聖火ランナーが走り始めた頃、世界中が未知の感染症と戦っているのにオリンピック関係者と日本政府があたかも予定通り、大会を開けるかのように振舞っているのは無責任極まりないと、世界からの批判が高まった。また、参加する選手からも十分なトレーニングが出来ず、開催されても選手間で不公平が生じる、だから止めるべきだとの声が上がっていた。これらを受け、ようやく、日本政府は「選手や大会関係者の健康と安全を考慮して1年延期する。」と決定した。

企業の決算についても同じ状況になっていた。この時期、他社においても2020年3月期の決算発表の延期が相次いだ。今、起きたばかりの感染症について企業業績がどれほど影響するのか計り知れず、次期の予想を見送る企業が多かった。結果、3月決算会社の20%が次期予想を公表しなかった。また今期の本決算についても海外子会社のある諸外国でロックダウンやら都市封鎖があり、社員が自宅待機で出社できず、決算業務が大幅に遅れて発表を延期する会社が多く見受けられた。足利はこのような他社の合理的理由ではなく、損失を隠蔽しようとしていて会計事務所に見つかってしまい決算発表できなくなったのだ。事は大きく異なる。今川の隠蔽の画策の方向に反して、ちくま監査法人が事態を見抜ぬいたことで正しい方向へ物事が修正されたのは足利にとって幸いであった。


緊急監査役会に続き、緊急取締役会が招集された。社外取締役、社外監査役も含めて、足利の全役員が出席のもと会計監査人からの説明を聞いた。社外監査役の加藤正清から「虚偽の決算は私も絶対認めない。正確に決算を確定するため、多少の時間は惜しんではならない。」との意見が出された。また、事前に開催された監査役会からは、「額はまだわからないが、このような莫大な損失がなぜ発生してしまったのか。原因追及と今後このようなことを発生させないための再発防止策を講ずるように。」との要望書が社長の畠山に出された。要望書の提出を強く推したのは社外監査役の加藤正清だ。

こうして、子会社アシカガ・ファイナンスの決算を至急、厳密に確定の上、それを条件に親会社の足利製作所の決算確定を行う旨の決議がなされ、この取締役会の内容が公表された。会議終了後、加藤は池田に頼んだ。「池田さん、粉飾や隠蔽は絶対にダメだ。正しく損失を評価するように、よくチェックしていてください。」過去には大手電機メーカーや光学機器メーカーなどで損失の飛ばしやら隠蔽が行われ、そのたびに社外役員までも責任を負うという事件があったのを十分知っている加藤から池田への念押しだ。

その日から足利本社の経理部員数名がアシカガ・ファイナンスに入って損失確定作業に取り掛かった。損失の中でもやはり一番の原因は、今川が盛んに買うように指示した仕組み債であった。「誰の指示でこんなリスクの高い債券を買ったのか?」というのが調査に入ったメンバーの実感だ。こうして、約1か月にわたる調査が土日を返上して毎日行われ、その結果が出た。損失は50億と確定され、会計監査人もこれを認めた。1か月遅れで、ようやく決算発表でき、株主総会も7月に開催されることになった。

 経理部員による損失額の確定作業と同時並行で、監査役会から畠山社長に要請されていた真の原因調査については、畠山が法務課長の明智光市を指名し、彼が専念して行うことになった。まずは、浅井社長のヒアリングからである。加藤から言われていた手前、池田監査役もこれに同席して聞いていた。

明智が「今、損失額の確定作業は行われていますが、これ程までの額になってしまったのはなぜですか?」と尋ねると浅井社長は神妙に答えた。「正直言って、日東証券から来た吉川さんに騙されました。損失の大半は仕組み債です。仕組み債は証券会社にとって手数料収入がよく、株を売るよりうま味がありメリットが大きいのです。あとでわかったことですが。」「吉川さんというのは日東証券から招いた顧問の方ですね。彼がアシカガ・ファイナンスよりも出身の日東証券の儲けの方を優先したということですか。」と明智が言い換えて聞いた。「そのとおりです。でも最初の数年間は利益を出して、足利本社に貢献できていたので私はそのまま黙っていました。吉川顧問は畠山社長が日東証券に頼んで来てもらった人ですから。遠慮がありました。」と浅井が答えた。

明智が続ける。「仕組み債ですが、浅井社長はどの程度、危険な商品であると知っていましたか?また、なぜ、仕組み債を大量に買ってしまったのですか?」「それも吉川さんの奨めです。私も今川専務も、仕組み債なんて全く知りませんでした。とにかく、安全のうえ、儲かるという吉川さんの言葉を信じて深くはまってしまいました。しばらく儲かっていたのでそう信じていました。」「危険な商品だと知った時、止めていれば、その時、何とか処理していれば事態は変わっていたのではないですか?」「今から思えばそうですね。でもパンデミックが起きて損失が出て初めて分かったことです。誰もコロナを予想した人はいないでしょう。コロナがなければ今でもやっていたと思います。」と浅井はコロナのせいだと開き直った。「今川専務のことを言われましたが、専務は仕組み債の購入にどのように関与されていたのでしょうか?」と明智が今川のことを尋ねる。「吉川さんが仕組み債を奨め、専務が了解したということです。私は専務にアシカガ・ファイナンス設立の当初から会社の運営状況や細かな資産状況について逐一報告していました。仕組み債についていえば選定の場に専務も必ず同席されていました。責任を転嫁するようで言いにくいが、仕組み債を選んだのは専務だと言ってよいと思います。」と浅井が今川の責任をはっきり述べた。

こうして、浅井社長へのヒアリングが終わり、明智が1日かけて調査報告書をまとめ上げ完成させた。翌日、明智は浅井社長自身にこの報告書を読ませて確認させた上で間違いないと署名させるつもりでアシカガ・ファイナンスを訪れた。浅井は読み終え、「この通りで間違いないが、今、私が恥ずかしいと思うのは、日東証券に騙されたと思いながらも半年毎に、彼らからの接待を受けていたことです。それで仕組み債を止めることも、彼らとの関係を切ることもできませんでした。このことも追記してください。私と今川専務が日東から接待をうけていたことも。」と頼んだ。明智は了解し帰って、接待の記述を報告書に追記した。

これで報告書が完成した。浅井の証言を正直にそのまま記述したレポートになった。明智はこれを社長の畠山に出す前に、今川に見せて彼の意見をもらうのが公平だと考えた。何故ならば、浅井からの一方的な言い分だったし、今川にも大いに責任があるという中身になっていたから彼にも弁明の機会を与えるべきと考えた。

今川専務からの反応は素早く、かつ強烈なものであった。明智は今川の秘書の山口さやかにこれを専務に読んで確認してもらってくださいと預けた。すると1時間もたたない間に、呼び出されたのだ。「明智君、ただ単に浅井さんが言ったことを書けばいいというものではないよ。」と今川はいきなり怒鳴り声をあげてきた。続けて「バカヤロー、これでは私に責任があると言っているようなものだ。こんな報告書を社長に出したら社長も困るでしょう。そんなことが分からないかなあ君は。」と真っ赤な顔になり罵声を浴びせて、最後には報告書の書類を投げ付けてきた。明智は今川の反応をある程度予測していた。以前も報告していて書類を目の前で破かれたことがあった。しかも、皆が見ている前で。経験していたことなので予想はしていたが、これはまさにパワハラだと思った。 

今川が明智に出した指示は、「私のことを書いている部分は全て消して、社長に出しなさい。さもないと今後の君の会社での立場がどうなるかわからない。日東から接待を受けていたことは事実だが、そんなことは、取引のある会社と会社同士ではよくあることだ。季節の挨拶や礼儀みたいなもので悪いことではない。リベートなど金銭を受けとっていたというなら別だが。」と接待についても悪びれず居直り、半ば脅迫してきた。

明智もサラリーマン、最後は今川の脅迫に屈してしまった。自分の上司の専務から命令され言われたことには従わざるを得ず、今川についての記述の部分をやんわりと削除した。こうして修正されたレポートを社長に提出したのだ。浅井のヒアリングに同席していた池田監査役も浅井証言の重要部分である今川に関する記述が全て削除されているのに気付いていたがそのまま知らぬ顔をしていた。最終的にこのレポートが社長から取締役会と監査役会に提出されたのだ。

こうして、損失の原因は吉川顧問の言葉通りに仕組み債にはまっていった浅井長治社長の過失責任によるものであるとされた。再発防止として今後は一切、仕組み債を購入しない。更に子会社の運用状況の定期的な報告を親会社の取締役会へするよう義務化された。また、社外監査役の加藤正清からこの調査報告書を足利のホームページにアップして公開すべきとの提案が出され、公開されることになった。社外役員としてもこれで事を丸く収めようとしたのだ。身内に甘い、誰も責任をとらない取締役会だ。事なかれ主義が横行している会社なのだ。このことが後に世間を騒がせる殺人事件の遠い要因になったことをこの時、誰も気づいていない。

社員の間では、ホームページを見て知ってか、「損失を出したのはアシカガ・ファイナンス社長の無知と不注意によるものだ。彼は証券会社から何度も接待され、危険な商品と気付かないまま、証券会社が推奨する商品を買っていたのだ」と密かにささやかれた。今川は今回も上手く逃げた。全てを浅井に押し付け、自分は知らなかったということで取締役会を丸く収めることに成功した。こうして会社ぐるみで浅井ひとりに責任を負わせたのだ。

遅れて開催される株主総会に先立ち、株式の15%を保有する創業家にもこの調査報告書に基づき説明がなされた。結果、総会では提案された議案すべてが無事承認可決された。株主総会での会社側の説明はこうだ。子会社アシカガ・ファイナンスでリスクの高い金融商品を保有していたことで大きな損失となってしまいました。これは新型コロナウイルス感染症が起き、世界的な経済の落ち込みが発生し、株式初め、保有していた金融資産に大きな影響があったからです。今後は子会社管理体制を見直し再発防止に努力します。結局、畠山社長をトップとする足利製作所の現執行体制には何らの問題もないということで済まそうとしたのだ。

株主総会は1か月遅れて7月に開催された。足利本社の大ホールにおいて。前年までは300人前後の株主が出席するが、今年は30人ほどの出席に留まった。会社が総会会場での密を避けるため、出来る限り、実際に会場に出席する人数をしぼり、代わりにインターネットで投票するか、議決権行使書を返信して行う書面投票を呼び掛けたからだ。他社でもネット配信による株主総会が工夫され行われていた。足利にとってこれもまた幸いした。不祥事があると普通は質問が増え、当然長時間になる株主総会なのだが。コロナがこれを防いでしまったと言える。

株主からの主な質問は次の通りだった。株主はマスクをしたまま、アクリル板で覆いがされた質問席に移動してそこで発言した。株主Aさんが質問した。「子会社での損失は、なぜ起きたのか?本業の自動車部品だけをまじめにやっていればいいと思う。余計なことはするな。金融子会社は解散したらどうか。」これに対して、議長の畠山が「A2020中期経営計画に沿って投資にも注力してきました。コロナは予想できませんでした。今後は株主さんのおっしゃるとおり本業に全力であたります。貴重なご意見ありがとうございました。」と上手くかわした。次に株主Bさんが質問席に立った。「投資または子会社の担当役員は誰ですか。責任はないのですか?」これにも議長が答えた。「投資担当というのは特に置いていません。社長の私に責任があると思っています。株主の皆さんには大変ご心配をかけて申し訳なく思っています。」と頭をさげると、株主席から「了解」との声が上がった。会社側が出席を依頼していたOB株主からであろう。次に株主Cさんが質問した。「監査役会はいつ知って、どんな対応をしたのか教えてほしい。」これには池田常勤監査役が立ち上り答えた。「決算業務を監査する過程でわかり、執行側と会計監査人とも協議して対応しました。結果として、決算発表が遅れて、株主総会もこのように1月ほど遅くなってしましました。申し訳ございません。」と謝った。 


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