小さなお礼、大きなお世話
-リリック視点、翌日-
「…どうぞ」
「…どうも」
卵を手渡すと、ぺこりと少しだけ頭を下げてすぐ冷蔵庫へ向かった。
「………」
「……失礼」
特に何も言われなかったのでそのまま部屋を後にする。前回は茶はどうとか言っていた割に今回は何も無しか。まああんなもの、貰ったところで口を付けるのもおぞましいが。
「…?」
なぜか自分の体に鳥肌が立っていることに気付く。それほどにあの女が嫌いということか。
それが家族の絆を表しているようで、少し気分が良かった。
-翌週-
行きたくない。会いたくない。あの女を見たくない。
なぜか分からないが、強く思い始める。
1回目、2回目ともに月曜に訪問しており3回目となる今週も月曜に訪問しようとしたのだが……、どうしようもなく嫌な気分になり、既に今日は土曜の19時を回っていた。
なんとしても今日行かなければ、勅命に反することになってしまう。絶対にしてはならないことだ。
重い足を引きずり、呼吸がぜえぜえとなっても意思の力だけでどうにか部屋を訪れた。
「………失礼、する」
「…………どうぞ、お掛けください」
遠慮なしにどかっと椅子に腰掛ける。どういうことだ、息がしづらい。深く呼吸しているはずなのに全く楽にならない。額から汗も出てきた。嫌な汗だ。特に暑くもないのに出てくるとは。
「…あの、書きました…」
「……ああ」
手に取ろうとして、目の焦点が合わず取ることができなかった。
「大丈夫ですか…?具合、悪そうですけど」
「…平気だ」
目の前にいるのは確かに王女だというのに、敬語を使うことも忘れていた。
「でも汗もすごいですし。タオルどうぞ」
「……、…く…」
うまく腕に力が入らない。どうしたというんだ。こんな状態になったのは生まれて初めてだ。気分が悪い。早くここから逃げ出したい。
「…私、汗拭きますね。少し失礼します」
彼女の手が顔に触れた途端、反射的に顔を思い切り逸らした。
「…ッ汚い手で触るな!」
しまった、と思った。思わず本音が出てしまった。仮にも王女、これでは激怒されてもおかしくない……。
しかし返ってきたのは、至って冷静な声だった。
「病人なんですから、私が嫌いでも我慢してください」
「……、っ」
その時初めて、目を合わせた。吸い込まれるような深い青。どこまでも落ちてゆけそうな海の色を連想させるその色に、不思議と呼吸が楽になってゆく。
「…はぁ、……っはぁ」
「……首の後ろ、失礼します」
彼女は汗だくの俺の顔を、丁寧にタオルで撫でていった。少しひんやりとした手に心地よさすら感じる。
「…お水、飲めますか」
「あ、ぁ…」
コップを受け取ろうとしたが、まだ手が震えている。それを見て彼女はまた話した。
「飲ませますね。少し顔を上に上げます」
「…………」
細い指が遠慮がちに顔に伸びてくる。優しく持ち上げられ、口に水を含む。冷たい液体が喉から胃へと流れていくのが分かった。
「………」
彼女はコップをシンクに置き、タオルを絞ってまた俺の元へと来た。
「まだじんわり汗が出てますね…、失礼します」
ひやりとしたタオルが、残りの汗を吸い取っていく。だんだんと体が楽になっていく感覚が分かる。撫でられている感覚が心地よく、思わず目をつむる。
「…まだ具合が悪いのであれば、休まれていきますか?…あなたには少々、ベッドは小さいかもしれませんが…」
言われて、ハッとして立ち上がる。
「…そんなことはしない!仮にも王女であるならばそのような発言は慎んだほうがいい!……失礼する!」
「え…」
机の上にあったメモを咄嗟に取り、部屋から慌てて出て行った。
先程の体調が嘘のように、まるで体に羽が生えたように軽くなっていた。
…しかし、心臓だけはまだドクドクと脈打っていた。これはさっきとは違って、気分が悪いわけではないとは思うが……。…けれどなぜだろう、王女の顔が、頭から離れないのは。
メモには桃、リンゴ、オレンジがそれぞれ3個と書いてあった。
「…っふ、よほど果物が好きなんだな…」
思わず笑みが溢れる。…笑み?
…笑ったのなんて、いつぶりだろう。母が死んでから…記憶にない。
肩が軽い。体が鉛のようだったのに今は羽のよう。頭が冴えてすっきりとしている。あんなに王女を憎く思っていたはずなのに、なぜだかそれも消え失せた。
「…」
もっと知りたい。彼女のことを。
---------*
-翌日-
「…失礼する」
「……はい」
また彼が来た。嫌で嫌で仕方ないだろうにそれでも訪れるとは、兵士とは凄いものだ。しかし昨日は本当に具合が悪そうだったけど、体調は大丈夫なんだろうか。
「…!?」
いや、待って待って。昨日のメモには、果物それぞれ3個ずつ、って書いたはず。なのに何なの?この量は。
軽く10個ずつくらいあるよね。
「えっと……少し、多いような」
「…昨日の礼だ」
「あ…お気になさらず。それに……私1人では、この量はとても……その…消費出来ませんので……」
遠回しにいらねえから持って帰れって言ったけど通じたかなあ。
「……俺も食べよう」
「…え」
「……甘い物は得意な方だ」
「……えっと……では今切ってお出ししても?」
「ああ」
リリックが椅子に腰掛ける。
なんだろう、一体どうしてしまったんだろう。これまでの態度とは大違い…、汚いとまで言われたのに打って変わって食べるだなんて。
ハテナが乱立する頭を抱えつつ、果物を1個ずつ切って皿に盛り、フォークとともにテーブルに置いた。
するとどういうことか、パクパクと食べだした。少し呆気に取られていると、彼が言いにくそうに言葉に出した。
「……君は…食べないのか」
「え」
「…そもそもはあなたに差し上げたものだ」
「…えと…ではご一緒させてもらいます」
再度呆気に取られながらも、私もともに食べ始める。
…気まずい。でも果物は美味しい。…あ、お茶を出すのを忘れてた。
「…すみません、今お茶をお出しします」
「あ、ああ」
果物がかなり甘いから、無糖のアールグレイを出しておこうかな。
紅茶の香りがふわりと漂って、いい匂いに思わず少し笑顔になる。
誰かと一緒に食事を取るのは、いつぶりだろう。
「どうぞ」
「…どうも」
彼は紅茶も口にしたようだ。
互いに戸惑っているからか、会話は無かったけれど…気のせいか、以前のような殺気だった雰囲気ではなくなっていた。