泣いてたまるか
-2ヶ月後-
「……え?」
「……………ですから。クルノヴァ将軍に代わり今後は私が視察の務めを果たすことになりました」
唐突なことだった。2ヶ月前、確かに会えるのは前回が最後かも…と思っていたけれど、まさかこんなに早くだなんて…。
「…そう…ですか。クルノヴァおじ…将軍はもう、来てくれないんですね。…申し遅れました。私はナシュティリカ・ファシーズです」
「…リリック・アーダマイトと申します」
「そう…よろしくお願いします」
「………」
「………」
………気まずい。なんも喋らなくなっちゃったし、なんかすごい睨まれてる気がするし。…怖い顔がデフォだったりするのかな。だったらいいんだけど。……普通に嫌われてるパターンかな。
「あ…どうぞ、お掛けください」
「いえ。私の職務は王女殿下のお伺いです。必要なものがあれば申してください」
「あ…今、紙に書きますね。お茶を淹れるので、お待ちの間どうぞ?」
「…結構です。不敬になりますので」
「………えっと、でもせっかく今淹れたので…。将軍も気に入っていただいていた茶葉です。お掛けになってお待ちください」
「………はあ」
短くため息をついて、仕方なしとばかりに簡素な椅子に腰掛ける。
…うーんやっぱり嫌われてるよなあ。まあナシュティリカを好きな人間ってほぼいないから仕方ないんだけど…。
紙とペンを手に取り、必要な物を書き出そうとするが2ヶ月前に将軍が来たばかりで、特に浮かんでこない。まずいなあ、この人も仕事で来てるんだし…何か一つくらい…。
「………」
「………」
「……えっと、将軍はいつも兵士の方を2名、連れていましたけど…あなたはお一人なんですね」
「……はい」
「………」
「………」
……うぐ。会話が途絶えた…。もう、いいや。適当に小麦粉とベーキングパウダーとはちみつって書いておこう。
「…あ、あの、これ…お願いします」
「……承りました。では」
紙を渡すと、早々に男は立ち去った。
私が淹れたお茶は丸々残っていて、…それがどうしようもなく、美味しいとたくさん飲んでくれたクルノヴァおじさんを思い出して…悲しくなった。
ヴァレミランも、もう4ヶ月ほど来ていない。どうしてなんだろう………、すごく、寂しい。
飲まれることのなかったお茶を、そのままシンクに流した。寂しさも全部、流れていってしまえばいいのに。
-リリック視点-
小麦粉、ベーキングパウダー、はちみつ…?王女は一体何を作るつもりだ。
読みやすい字で書かれたそれを手に、苛立ちを隠して城へと戻る。
カエルのような太った容姿、鶏ガラのような外見、皮膚病で鱗の生えた姿……王女の見た目はまことしやかに囁かれていたが、実物は全く違っていた。美しい金の髪色に、深い海の色の目。白い肌でより色が映え、一種の芸術品とも思う。
けれど見目が整っていたところで、背負った罪は消えようはずもない。
幼い頃より母から聞かされていた。母は前第一王妃の世話係をしており、たいそう世話になったと。美しく慈愛に溢れ、とても穏やかな王妃だったと、毎日子守唄のように聞いていた。しかしそれも、あの忌子のせいで砕けることになった。母は城勤の兵士との結婚を機に王妃の世話係を辞めて街へと移り住んだ。しかし王妃の死に様を聞くや否や、心が壊れてしまった。狂っていったのだ。最後は自らの手で、生きることを放棄してしまった。自分が城勤となってから聞いた話では、前第一王妃に近しい者、近しかった者、ほとんどが精神を病んでしまったらしい。
それほどに好かれていたのだ。王妃はよく街にも下りてきて視察に訪れていた。国民からも好かれていた。一度会えば、姿を目にすれば、誰でも王妃の虜になった。
その王妃から全てを奪い、そして俺の母を奪った忌子。
その忌子が俺の妻になるとは、運命とは分からないものだ。
あんな女と毎週2回は顔を合わせなければならないとは、王からの勅命でなければ腹を切ってでも阻止していた。
だが、これも天命か。母の仇を取れと、神が言っているに違いない。あの塔では特殊な魔法がかけられており、武器を持っていくことや忌子を叩くことすら出来ないが、妻として自宅にさえ連れ帰ることが出来れば話は別だ。
自ら殺してくれと懇願させるほど痛めつけてから絶命させてやる。
ああ、憎い。あの王女が、どうしようもなく、ただ憎い。
-翌日-
「…どうぞ」
「…え!まさか、これ全てですか?」
次の日リリックが持ってきたのは、小麦粉推定30kg、ベーキングパウダー5kg、はちみつ20L。
いくらなんでも多すぎるだろう。確かに何袋、とか何キロ、って指定はしてなかったけど、普通一袋ずつでは?てか1人でこれ持ってきたの?力持ちだなあ……。
「…足りませんでしたか」
「あ…いえ、ちょっと…その逆、というか……」
「………では」
「あ、お茶はいかがですか?」
「……結構です。失礼します」
苦い顔をしながら、ドアを閉められた。
…露骨に嫌な顔されちゃった。ま、そういうのはメイドで慣れてるけどさ……。でも嬉しくはないよ、やっぱり。
チクリと心にトゲが刺さる。ヴァレミランは、いつ来てくれるんだろう。
-翌週-
「…失礼します」
「…!?」
入ってきたのはリリックだ。先週来たばかりだというのに、一体どうしたのだろう。
「お伺いに参りました」
「え…しかし、先週来られたばかりでは…」
「王より毎週伺うよう言われております」
「…そ、そうですか。お掛けになってお待ちください」
今度は素直に椅子に座った。ちょうど大量にある小麦粉でパンケーキを焼いていたところだったんだが、少しくらいは彼にもあげた方がいいかな。
「…あの、お茶とパンケーキです。よければ」
「………はい」
…すごく苦虫を噛み潰したような顔してる。…甘いもの、苦手だったかな。一応バターしか上には乗せてないんだけど。
紙とペンを手に取ったが、何も思い浮かばない。足りない調味料も特にないし、文房具もまだ残りがあるし…。
「………」
「……えっと、甘いものはお嫌いですか?」
「…別に、どちらでも」
「…き、今日のは上手く焼けたんですよ。厚みもあってふわふわになりましたし…、あ!食べやすい大きさに切りますね」
「…結構」
遠慮の言葉は聞かなかったことにして、彼に近寄りナイフとフォークを手に取った。
フォークを刺すと、すうっとパンケーキに吸い込まれていって我ながら美味しそうだった。
「やっぱりとっても上手く焼けて…」
「……ッ、私に近づかないでいただきたい!」
「っ!」
瞬間、大きな声を出されてパンケーキごとフォークを落としてしまった。
「…………」
彼は、立ち上がり汚いものでも見るかのように私を見下ろしていた。
「………すみ、ません」
惨めだった。とっても上手く焼けたのに。食べたらきっと、美味しかったのに。誰かに食べて…美味しいって言ってほしかっただけなのに。
ダメだ。泣くな。絶対に涙は見せちゃ駄目。こんな男の前で、泣いてたまるか。泣きたくない。更に惨めな思いなんてしたくない。
メモに走り書きで、卵20個と書いて押し付けるように渡した。
「……失礼する」
リリックはそのまま去っていった。
ぽたりと床に、水滴が落ちた。
「………」
ナシュティリカは少しの間、立ち尽くした。