魔法ってすごい!
「うーみよー俺のうーみよー大きなーその愛よー」
小さなバルコニーにせっせとシーツをかけながら、加山雄三を歌う5歳児はきっと不気味だろう。
でもいいんだ、だーれも見てないもん。
今日も今日とて天気のいい日和に毎日の日課になった洗濯物を干す。洗濯物は朝一番に干すことに決まっている。なぜなら、洗濯機がないので手洗いな上に子供の体ではろくに脱水もできずびちゃびちゃしているので、朝一から干していないと乾き切らないからだ。
塔の下は寝転がったら気持ちの良さそうな芝生で、向こうには森が広がっていた。
さながら気分はラプンツェル、ってところかな。まあ私に王子さまはいないんだけどね、ハハ。
少々自嘲気味になった気分を払いのけて大きく腕を伸ばす。
初めて目覚めた時から3ヶ月が経っていた。あのキツいメイドはもういなくて、2〜3週間ごとにメイドは交代されるようだった。
あれから毎日掃除と読書を続けて分かったのは第一王妃はとても国民に好かれていたことと、この国の人間は魔法が使えるのにナシュティリカには使えないということ。
王族なら通常魔力も多いのになぜか使えず、けれど血筋はたしかに王族であると証明されたせいで疎まれ、噂では禁術で作られた子供ではないのかとかなんとか…、、、人生ハードモードすぎでは?ナシュティリカ可哀想すぎる。
「あっ!おーーーい!」
そんな幽閉生活の唯一の楽しみといえば、時折芝生を横切っていく深くフードを被ったローブの人間に手を振ることくらいだ。
多分こっちの声が聞こえてないだろうし男か女かも分からないけど、いつか気付いてくれたらいいなと思いながら見かけるたび声をかけている。
「さーてと…トイレ掃除から始めようかな!」
ぽかぽか陽気の中、すっかり手慣れた様子で掃除用具を取り出した。
「ぬーすんだバーイクで走り出……、あ!!」
少し肌寒くなってきたがいつものように洗濯物を干している時、風で靴下がひとつ飛ばされてしまった。
どうしよう、靴下3組しかないのにすごく困る……。ひらひらと自由に地面へ近づく様子を眺めている時、落ちてゆく側にいつものローブ人間がいることに気づく。
「ねー!!その靴下取ってちょうだいー!」
思い切り叫んだおかげか、それとも目の前に靴下が落ちていたからかローブ人間は靴下を手に取り、初めてこちらを見上げた。
「あ、気付いてくれ…」
「おい」
「びゃあ!!!」
瞬間、真横から声が聞こえて飛び上がる。
「え!?えっえっ!ええ!!?」
「うるさい。毎度毎度通る度に大声上げやがって」
「あーっ気付いてくれてたの!?よかったあ。でもそれなら返事してくれてもいいのに」
どうやって来たかは分からない、多分これが魔法ってやつなんだろうけどローブ人間は意外と小さな男の子だった。歳は10歳くらいだろうか。
「…俺が誰だか知らないのか?」
「え?誰?」
「ハッ、まあ隔離された忌子だから仕方ないな」
子供らしくない皮肉めいた笑みを浮かべた少年の顔が、ローブのフードからちらりと見える。
「…ねえ、綺麗な黒髪だね」
「はあ?俺に言ってんのか?」
「他に誰がいるっていうの?なんでローブで隠してるの?」
「お前…、ん?」
何かに気付いたように、いきなりバサリとフードを取ってこちらを見つめてきた。
漆黒の黒髪に輝く銀の目は、闇夜に浮かぶ月のようで思わず見入る。目つきが少々悪いが綺麗な顔の少年だった。
「…お前………、…やっと見つけた……今度こそ……」
パチリと目があった瞬間、男の子はぼそぼそと聞き取れないほど小さな声で何かを呟く。
やっと……なんだろう?それしか分からない。ナシュティリカを知っているのだろうか。
「なに?何か言った?」
「……いや、なんでもねえ。お前、随分チビだな」
「…あのねえ!さっきからお前お前ってやめてくれる?ちゃんとナシュテレ…ナシュテリ…ナチュティ…ナ、ナシュッ」
言いにくいっっ!!5歳児には言いにくすぎる名前なんだけど!!考えたの誰よ!!
「………ブハッ!自分の名前も満足に言えないのかよ!」
「うっ、うるさい!」
恥ずかしくなって思わず頬が熱くなる。少年は初めて、子供らしい笑顔を浮かべる。
「ほらチビすけ、これお前んだろ」
「あ、私の靴下!」
うん、もし今後自己紹介がある時はナシュと言うことにしよう。呼びやすいし子供っぽいし。
「ありがとう!」
「べつに。じゃあな」
「ねえ、よかったら暇なときまた来てよ。ずっと1人で暇なんだ。次来たときはお茶も出したげるから」
「…気が向いたらな」
名前を聞こうとして、でも気付いた時には既に消えていた。
「…魔法ってすっごーい」
初めての魔法の感動を噛み締めながら、いつもより楽しく掃除に打ち込んだ。
「よう」
「あ、いらっしゃい」
少年は次の日の朝ごはんを食べ終えた後、いきなり室内に現れた。
意外と早く来てくれたなあと思いつつ、お茶の用意を始める。
「コップのはしがちょこっと欠けてるやつしかないんだけど、はいどーぞ」
「このくらい直せばいいだろ」
シュルルという音とともに、コップのふちが綺麗に直る。
「え、すご」
「大したことない」
涼しい顔でお茶を飲んでいるが大したことに しか見えない。この国の人間ならみんなこれくらい出来るのかな?ナシュティリカにも魔法が使えたらなあ…。
ここに来て初めて二つ目の椅子に腰掛ける。日頃1人きりなのでこうやって喋るだけでもかなり楽しい。
「ねえ、名前は?」
「ヴァレミラン」
「へー!この国の一番強い魔法使いと一緒の名前なのね」
「知ってるのか?」
「昔の新聞があってね、その中に何度か名前が出てきてたから」
最年少で歴代一の魔力だとか、その気になれば国一つ滅ぼせるとか…。シブいおっさん魔法使いって感じ?
「ハハ、そーそー。その最強に強くてかっこいい魔法使いと同じ名前」
どこか白々しさを感じる声色でヴァレミランは答える。
なんだ?お茶の味が気に食わないのか?あいにくアールグレイ以外はこの部屋に無いんだ、わがまま言わないでくれ。
「じゃあ私は掃除するから、くつろいでていいからね」
「掃除?んなモン侍女にやらせればいいだろ」
「やってくれないよ、私が掃除始めるまで埃いっぱいだったし。1日2回ご飯持ってきてくれるだけ」
「…いや、そんなわけ…、ああ」
「ま、ご飯来るだけありがたいけどね」
ハタキを取り出してパタパタと本棚を叩く。
ああ、人間とお喋りしてるだけでこんなに楽しいだなんて。見かけたクモやらハエやらに話しかけなくてもいいなんて。お客さんが来るなら掃除にも身が入るってものだよね。
それから3時間ほど経った頃。ヴァレミランは暇なのかベッドに寝そべりながらペラペラと本をめくっていた。
その時、またいつもの腹痛に襲われて思わずしゃがみ込む。
「……っう、…」
「?…おい、大丈夫か?」
「あ…うん。いつものこと…、お腹、空きすぎて毎日痛くなるの…」
「腹減って…?…!飯はどのくらい食ってるんだ?」
慌てた様子でヴァレミランが駆け寄ってきてくれる。根は優しいのだろう、綺麗な銀目は心配そうに揺れていた。
「えっと…朝はこのくらいのパンとスープで…真っ暗になるとサンドイッチとスープと小さいチキンがでるよ」
「…その量で1日2回だけか!?」
「う、うん」
「……………ほら。とりあえずこれ食え」
「え」
何かを考え込んだ後、ヴァレミランが手をかざすとテーブルの上にたくさんの果物が並べられた。真っ赤なリンゴに大振りの桃、いい匂いのオレンジ……ふわりと漂う幸せな香りに胃袋が更にぎゅうっと縮こまった。
「明日からはもうちっと…、うわ!」
「ヴァレミランすごい!これ全部食べていいの!?」
思わず抱きつき、ヴァレミランは受け止めきれずに衝撃で後ろに倒れて馬乗りになる。
嬉しさで胸が爆発しそう、いやお腹が爆発しそう。
「い、いいぞ」
「……ありがとう!」
「…抱きついてないで早く食えって!」
叫ぶような彼の声は嬉しさのせいであまり頭に入ってこない。
ぐりぐりと頭を胸に思い切り押しつけてから豪華なご飯の前に座る。
「いただきまーす!」
どデカい桃。薄皮を丁寧に半分ほど剥いて、思いっきり齧り付いた。柔らかな実から濃厚な果汁が溢れ出して、溢れないように慌てて飲み込んだ。
空きっ腹の胃に優しく染み込むように溶けていくような感じがして、この世で一番美味しい桃じゃないかと思うほどに美味しかった。
「桃お゛い゛しい゛……!…うわ!このリンゴシャリシャリで匂いも強くて最高!!……っっはー、オレンジの果肉ぷりぷり…ほぼジュースじゃん…」
「いちいち感想言うなよ…」
「ほんと美味しいから!ヴァレミランすごい!私の中では最強の魔法使いだよ!濃厚でおいしーー」
「はいはい…、ふっ」
肘をついて楽しそうに眺める少年の眼差しには気付かず、食べ終わるまで一気に口へ詰め込んでいった。
「っふーっお腹いっぱいだあ…これは今日の晩ご飯、入らないや…」
「そうか、ならそう言っておいてやる」
「え?そんなこと出来るの?」
「俺は王室付きの魔法使いだからな。ちょっと厨房に行って言付けするくらいなんでもない」
「そーなんだ。じゃあお願いしようかな…」
「どうした?」
「ん…、お腹いっぱいになったからかな?ちょっと眠くなってきて」
眠気でつい目をこする。ナシュティリカになってから初めての満腹感だった。
「見たところ空腹で満足に眠れてすらいないみたいだな。よくそれで元気なもんだ…ほら、ベッド替えてやったから寝てろよ」
「…え、うわすご、ふかふか…」
見た目はいつもと変わらないせんべい布団なのに、寝心地は五つ星ホテル並のふかふかマットレスになり、不思議に思いつつももぞもぞと中に潜る。自重でゆっくりと沈む感覚がなんとも気持ちよかった。
「…ありがとう」
「何度も聞いた」
「いいじゃん、何回言っても…。嬉しかったから」
「…変なやつ。ゆっくり寝ろ、まじない掛けてやるから」
「うん。おやすみ、ヴァレミラン」
「……おやすみ」
温かなヴァレミランの手がまぶたに乗せられる。そのまま意識がすう、と遠くなった。