一体ここはどこですか?
「ナシュティリカ様、早くご起床ください」
「………」
ぱちくりと数度、瞬きする。キツい顔のメイド服の女性が、こちらを嫌な目で見ていた。
「ハア。5つにもなってまだ愚図るつもりですか?それとも聞こえなかったのですか?ご起床くださいと言っているのです」
「ご、ごめんなさい」
ちんぷんかんぷんだったが責められているようなので慌てて起き上がる。そこで自分が見慣れぬ服を着ていることに気付く。
「…汚らしい顔」
呟かれた言葉は隠す気もないのかこちらに届く。周りを見渡したが自分の1Rの部屋とは大違いだ。寝てる間に誘拐でもされたんだろうか?やっぱりあのへんな本を貰ったせいなのか…。
「さっさとしてください」
「あ、はい」
いや起きてからまだ数分も経ってないんですけど、悪魔かこの女。少しくらいまったりさせてよ。
随分と上からまた嫌な目線でチラ見された。
え、この女巨大すぎない?
よく分からないがダラダラ汗が流れる。そのままメイドは鍵を開けてから一つの木製のドアへ入っていった。この部屋に比べるとどこか簡素な鉄枠のあるドアだ。
てか、て、手、手!?なんか小さい!!髪も黒じゃない!!
「っごほっ!げほ!」
慌てて呼吸が浅くなったせいか、埃で咳が出る。
なぜこんなに埃っぽいのだろう、何年も掃除していないかのようだ。
埃っぽさにやられて窓を開けようとした時、ガラスに映る自分の姿に驚愕した。
「………子供?」
髪がボサボサの幼い子供が、そこにいた。
シャワーを浴びながら長い髪の毛と格闘しつつ、混乱しそうになる意識をどうにか繋ぎ止める。
なぜ子供になったのか、ここはどこなのか、私は誰なのか。てか髪いつから洗ってないの?中々泡立たないんだけど…でもシャンプーはすごくいい匂い。手が小さいからやりにくいけど。うわークリクリのブロンド癖っ毛って憧れてたんだよね、これサラサラだったら綺麗なんだろうなー。うん、やっと髪は洗えたかもだから次リンスリンス…、おーこれも良い匂い……、…。
いや、こんな現実逃避してる場合じゃないよなあ。頭が痒いから真っ先にシャワー浴びちゃったけどさあ。てかなんなのあのメイドコスプレおばさん態度悪過ぎ。私が何したってーのよ。あ、そういえばナシュ…ナシュなんとかって私のこと呼んでいたような…。
「ナシュティリカ様!?せっかく朝食を持ってきたというのにシャワーですか!あまり水を無駄遣いしないように!!」
「はい!!」
「!?お、大きな声は出さないように!」
脱衣所からヒステリックな怒鳴り声が聞こえて反射的に大声で返事をする。遠慮なしの大声プラス浴室という反響しやすい空間で、自分でもかなりうるさかった。
…今ナシュティリカって言った?
ナシュティリカといったら謎の男から貰ったあの本の女の子と同じ…、そういえばあの物語の最初は5歳の王女ナシュティリカに転生したところからだったけど……、いやそんなまさか。ハハ。まさか…ね。
全身くまなく洗い終えて、先ほどまで着ていた服に袖を通す。ワンピースのそれは細かい刺繍のレースがついていて可愛らしいが所々ほつれていて少々臭う。別のものに着替えよう。
脱衣所を開けるとコンソメスープの良い匂いがした。
「…無駄なお湯を沢山ご使用されたようで…、!」
「はあ、すみません」
何やら驚かれたようだが一体何に驚いているのか。
タオルで水気を拭きながら、適当にクローゼットを開けた。開けた衝撃で小さく埃が舞う。質素なワンピースが中に1枚だけ入っていたが、清潔そうには見えない。しぶしぶ今のままでいいかと、食事の置いてある小さなテーブルに向かい座った。
「いただきます」
「え…」
またもや驚いたようにメイドから声が漏れる。
大人の握り拳ほどのパンと何の具も入っていないスープ。パンは硬く、小さく噛みちぎって何度も咀嚼しスープで流した。しかしよほど腹が減っていたせいかそれでも美味しいと感じる。
小一時間かけてようやく完食。5歳の子には硬過ぎてアゴが疲れたが、そこそこ腹は膨れた。
少ない食器を片すメイドに声をかける。
「ごちそうさまでした。美味しかったですです」
「!…はい」
そのまま部屋を出ようとするメイドに慌てて質問を投げる。
「洗濯用の洗剤はありますか?」
「え?あ、洗面台の下に…」
「わかりました」
戸惑いを隠せないメイドコスプレおばさんはそのまま鍵付きドアの向こうへ消えて行った。
「さて……」
一体何から始めようか、それが問題だ。
「はあ、はあ…ビクともしない」
この部屋にドアは2つある。脱衣所につながるドアと、鍵のかかった鉄枠のドアだ。脱衣所には更に2つドアがあってそれぞれシャワー室とトイレになっている。
必然、鍵のかかったドアが外へと通じているのだろうがいくら格闘しても開かなかった。
窓は小さなバルコニーに繋がっており一応外には出られるが、建物の高さがビル6階建くらいになっていて飛び降りようもんなら確実に死ぬ。チラリと見える外壁から察するに、アパートというより塔という感じだ。
「ちぇっ…まあしょうがないっか。洗濯でもしよーっと」
考えるのは保留にして天気のいいうちに色々洗濯することにした。監禁されているのは確かだが、どうにも服の臭いが気になる。
………洗濯機、無さげだけど。
「………お腹減ったんですけどーーー!!!」
怒りのままに鍵付きドアを叩きつけるが手が痛くなるばかりで一向に返答はない。太陽は先ほどすっぽり隠れてしまった、それほどに時間が経っている。時計を見ると午後6時半を少し過ぎていた。
朝ごはんが終わってから一日中洗濯やら掃除やらですっかり体力も無くなりへとへとだった。
ぺったりした何の弾力もないベッドへ腰掛ける。本棚から適当に取ってきた本が枕の近くに散らばっていた。
文字がなぜか日本語仕様で助かる。苦もなくすらすらと読み解けた。
本だけではなく古い新聞もあり、5年前の日付のそれはナシュティリカの話題が一面を飾っていた。
ナシュティリカはれっきとしたこの国の王女だが、母親は第一王妃の侍女だった。王を誘惑し身籠った侍女は密かに生み落とし、ナシュティリカを盾に王宮入りを迫るも嫉妬に狂った王妃に殺される。その後王妃は病に臥し子供を成すことなく逝去。隣国の姫であった第一王妃の死に様に隣国の王は激怒しあわや戦争になりかけた。つまりナシュティリカが生まれたことで危うく国が滅ぶかもしれなかったのだ。
それゆえにナシュティリカは忌子として塔の中に幽閉されて育つ。成長し、適当な男の元へ嫁がせるその日まで。
こんな新聞を本人の部屋に置いておくとか、性格悪過ぎでは?
なんとなく、この世界が謎の本の中であることを理解しつつあった。ともすれば転生先のナシュティリカはどうあがいても悲劇なわけなんだけど、あのローブ男呪い殺してやろうか。何が悲しくてバッドエンド一直線の姫に転生せにゃならんのだ。前の人生も幸せとは言い難かったけど今の死亡フラグしか立たない人生に比べれば多少ましだよ!恨むぞ神様!
「失礼しま…!?」
ようやくドアが開いたかと思えば、今日何度目か分からないメイドの驚いた顔が見える。
いちいち驚き過ぎでは?疲れないのかな。
まあでも、他人の目から見ても多少この部屋が綺麗になったということだろう。
小さなワゴンには待ちに待ったご飯が乗っている。待ってましたとばかりにいそいそと椅子へ座る。
「…どうぞ」
「いただきます!」
朝と違って量は多少増えていたのが救い。
キュウリとハム入りのサンドイッチ、ビシソワーズ、チキンのハーブ焼き。
…これキュウリかな?うん多分キュウリ。食べ物は前の世界と大して変わりはなさそう。
豪華なご飯とは言えないけれどお腹が空きすぎてどれも美味しく感じる。ちょーーっと子供の舌にはしょっぱいけど。
「…ふう、ごちそうさまでした」
「………」
言い終わるや否や食器を片し始める。忌子とは1秒でも長く居たくないということなのだろうか。そもそもナシュティリカに罪は無いというのに、この世界の大人たちは腐ってるなあ。
「失礼します」
ガチャリとドアが音を立てて、またメイドは消えた。
この世界で生き残るにはどうしたらいいのだろうという疑問を残して。