変な本を貰った
4時間ごとに投稿していきます
小鳥がひとつ、ため息を溢した
それは神話より紡がれる恒久的な、魂に刻まれ逃れることの出来ない呪い。
呪いとは即ち楽園から追放された人間たちへの最後の賜物。決して降ろす事のできぬ原罪を背に、神より愛されたどこまでも愚かな子羊たちは、寵愛のない世界へ足を踏み入れる。
これは永久からの鎖を断ち切る物語である。
「第58セクターはお前の管轄であったな、天道命」
「はい」
どこまでも続く白い空間。男が1人、ただ跪く。目の前には何も無いが顔を上げることもせずに肯定を告げる。どこからともなく聞こえる声は耳に届いている声か、はたまた頭に届いてくるものか。
「時を司る神であるお前にも、よもや破滅の道しか残されていないことは分かっているであろう」
「…、はい」
苦しそうに、天道命と呼ばれた男は答える。頬には一粒の汗が流れていた。
「次の流星群とともに第58セクターは廃棄とする」
「ッお待ちください!どうかお慈悲を、あの人間たちへも大洪水のような一筋の希望を御与えください!」
「あれは実験段階の第1セクターだからこそ出来たようなもの。生命の流れが確立されている今行えば他のセクターへも影響が出かねぬ」
「しかし…、どうか、どうか……っ!」
天道命は地に伏せ、声の主に懇願する。己が育てた星を、生まれた時から見守ってきた星を、捨てられるのだけは嫌だった。時を司る神でありながら破滅の道しか導くことができない己に絶望した。けれどだからといって捨てられるのをはいそうですかと肯定できるはずもない。
「…天道命よ。私とて苦しい決断なのだ。このまま放っていれば星は腐り、それはやがて蔓延するだろう。だが…そうだな、最後の希望を与える。第1セクターより1人、第58セクターの星に送る許可を与える。ただし命を落としたばかりの人間に限る」
「ああ、ありがとうございます。きっと成功させてみせましょう」
「だが忘れるな、期限は先ほどどおりに次の流星群までだ。そしてお主は第58セクターにおいて一切の干渉をしてはならぬ。針の先ほどにも満たぬ希望であるが、それでもよいか?」
「ええ、ええ、きっと、私の力なぞなくともよき道を歩んでくれましょう。私はただ、信じて傍観するのみです」
男は泣きながら何度も感謝の言葉を上を見上げて言い続ける。それは声が聞こえなくなってからも長く、長く続けられた。
「失われる命があるのです、どうか信じて話を聞いてください!あなたに救える命があるのかもしれないのです!」
往来の多い駅前で、大きなローブを被った男が叫ぶ。顔もローブに覆われて口元ほどしか見えない。東京都心にはあまりにも似つかわしくない姿だが、きっとコスプレか宗教勧誘の類いだろう。触らぬ神に祟り無しとばかりに大勢の人間が素通りしていった。
私もその中の1人。会社と自宅を往復する毎日の中に訪れた非日常だが、カルトか何かであれば近づきたくもない。珍しく19時前に仕事が片付いたのだ、早く帰って溜まった洗濯物を片付けねば。
チラリと横目で叫ぶ男を見て、帰路へとついた。
洗濯物を干し終わり、テレビを見ながら晩御飯を食べている時スマホが鳴り出した。
見覚えのない電話番号からだったが、市外局番からみるに東京であることは間違いない。少々訝しげに思いながらも電話に出る。
「…はい」
「ああ、すみません。こちら東京駅遺失物係ですが、駅で定期を落とされませんでしたか?」
慌てて通勤用バッグを覗く。最悪だ。バッグの外側ポケットにいつも入っている定期が無くなっている。落としたのは本当らしい。
「…落としたみたいです。今から取りに行きます」
「はい、お待ちしております」
たまに早く帰ってもこれかよ、と陰鬱な気分になりながら手早く身支度を整える。時刻は23時を少し過ぎていた。
「…どなたか、誰か、お願いします!救える命があるのです!」
驚いたことに男はまだそこにいた。最初に見た時から4時間は経っているが変わらず同じ場所で叫んでいた。
ていうか宗教勧誘ならもっと人数いないと効率悪いのでは?本も1冊しか持ってないし…。
なんて、宗教家側に立ってみて考えたが自分には関係のない話。どこか切羽詰まった声ではあったし誠実そうにも見えるがお近づきには決してなりたくない。早く用事を済ませようと、駅の中へと歩みを急ぐ。
「では書類はこれで以上です。こちらお返しします」
「ありがとうございました」
やれやれと思いながらも定期は回収した。せっかくの早帰りだというのに勿体ない気がしたが、外に出たことだしせめてコンビニでお酒でも買って帰ろう。
今度は落とさないようにバッグの内側に定期をしまい、再度自宅へ歩く。
ともすれば必然、またあの男がいるわけで。
「今この瞬間にも滅びが近づいているのです!どうか、……誰か………」
男の目の前を通り過ぎた時に聞こえた、消え入りそうな懇願の声。誰も話を聞いていないのに確かな誰かに訴えかけているような、そんな声だった。
思わず立ち止まってしまう。振り返るまでに色々考えた。いきなりナイフを突きつけられたらどうしよう、男に囲まれて誘拐されたらどうしよう、カルトだったらどうしよう、殴られたりしたらどうしよう……。逡巡していたが、もうどうにでもなれと意を決して男に向かう。
「誰か、どなたかー」
「あのっ!!」
「はいっ!?」
思いの外大きな声が出てしまい、男がビクついた。元々大きすぎる声を持っていていつも小さく声を出すようにしていたが、緊張でそれもどこかへいってしまったようだ。
「よ、よければ話………聞きますけど」
「ああああっありがとうございますうっあなたは女神だ!救世主様だ!」
「え、いやそんなんじゃ…」
「この本をどうぞお読みください!全てはこの中にありますので!ああ本当に良かった!これ頑張って読みやすく書いたので!ちょうど転生物とかいうやつが流行っているようですしちょっとなぞらえてみました!私の星をどうかよろしくお願いします!」
強引に握手されぶんぶんと手を振り回されて、思わず受け取ってしまった本を眺める。
「あのこれ題名無いんですけど……」
率直な疑問を口に出して顔を上げると、そこにもう男はいなかった。周りを見渡したところで後ろ姿ひとつ見かけない。
「…えー…、ヤバいものじゃない、よね……」
こちらから声をかけた手前、捨てる気にもなれず自宅へと持ち帰る。
「……バッドエンドじゃねーか」
本を読み終えて出た感想が思わず口から飛び出る。
謎の男が言っていたように転生物の物語だったが、現代から魔法有りの中世ヨーロッパ風世界へ生まれ変わった女の子は国王である父親から嫌われ幽閉されて育ち、貴族の男の子たちに助けられることもなく16になった途端結婚、そして結婚生活は3週間も持たずに殺された。なんの救いも無い、ただただ悲しい物語。
それになぜか登場人物の名前が主人公のナシュティリカ以外明記されていない。かなり大雑把な…、あらすじしか書かれていないような印象を受ける。
「なにこれ、あの男の自費出版か何かなの?…あ、後書きがある」
ー最後に。この悲しい女の子の人生を、どうか君の手で幸せにしてほしい。それが星の願いでもあるのだから。
「…君の手で、って。二次創作でもしろっての?」
ぐびりとチューハイの最後の一口を飲み切って、机に置く。独身が長いせいかすっかり独り言が癖になってしまった。
割と短い物語だったが時刻はすでに午前4時を回りそうだった。急いで寝なきゃと勢いよく立ち上がった時、くらりと視界が揺れる。
「あれ?」
瞬間、ゴツンという鈍い音と頭への強烈な痛み。
ああ、きっと机にぶつけちゃったんだ。やっちまったなあ。
それを最後に、意識が途絶えた。