7、受け取って
アグライアはレイヴンと別れた。彼はすぐに準備に取り掛かると言ってくれた。ああ、彼が来なくたって恨みはしない。犯罪者濃厚な弟と、知り合いになったばかりの姉。何故、彼が命を賭けなければならないだろうか? だから、彼の瞳の色についても口にはしなかった。そんなもので沈み行く船に縛り付けるのは良くない。
アグライアはもう一度店に戻り、水を頼む。何も理由を訊かずにすぐ出してくれる主人に感謝を述べ、銅貨をカウンターに置いた。
「いらないよ」
「おいおい、麦酒ならわかるが、高価な水を奢られるのはちょっと」
「さっきの小僧にかなり多目に貰ってる」
「値段を誤魔化した……わけはないか」
アグライアは情けなく思う。余裕がなくなると信じるべきモノを信じられなくなる、そんな自分の器の小ささに悲しくなる。
考え込んでも何も進まない。行動するしかないのだ。
「ありがとう」
そう言って店を出る。行く場所は弟のところ以外にない。走り出したい気持ちを抑えて歩く。走ることは逃げることだと思う。
そう、ゆっくり進んでも、いくつか角を曲がっても、着くものは着く。アウルム商会の倉庫、先日、新種の化物豚を運んだ倉庫の隣にある研究所に着く。もちろん聞いていなければただの建物だ。ヴァルカスについて仕事の事を詳しく訊いた事はないが、働いている場所くらいは知っている。
呼び鈴を鳴らすと、出て来たのは黒い服を着た男だった。
「何か用か? 」
医者では残念ながらない。何度か見かけた助手でもない。魔術師だ。答えを尋ねる気に成らないくらいだ。
「弟……ヴァルカスに会いに来た」
黒衣の魔術師の後方から声が飛び出してくる。
「姉さん、どうしたの? 」
「姉か……。ここだと面倒だ。ヴァルカスの研究室の方で話してくれ。終わったらすぐ戻ってくれ、時間がない」
そう言うと、魔術師は入り口を開けて、奥へ入っていった。時間がないというのは確かなのだろう、実の姉弟ではあるが簡単に中に入らせてもらった。
研究室と呼ばれた部屋に通された。大きめの机がひとつと、これまた大きい書棚がひとつ。椅子は机にひとつと、部屋の隅にひとつ。机の上も、床もチリひとつない美しさである。
「綺麗ね」
「掃除したんだ」
そう言って、どうぞ、と部屋の隅に置いてあった椅子をアグライアの為に持って来る。落ち着く為にも、ゆっくりとその椅子に腰掛ける。アグライアは息を吸い、吐く。
こんな遅い時間にやって来て、なかなか話を切り出さない姉をヴァルカスはどう思っているだらう?
話は上手くない。だが、緊張して話さない姉の姿を見た事はないはずだ。
どう話したら、どう尋ねたらいいのだろう……。
どんな言葉を使えば素直に話してくれるだろう……。
「もしかして……彼の事かい? 」
「彼? 」
「ヘロン……だったっけ? 彼と付き合うようになった、とか? 」
つい笑ってしまった。弟に自分の恋人を伝えに着たと? ふふ、それなら確かに口ごもるかも知れない。そんな会話に来たんだったら、どれだけ良かっただろうか……。
「それとも、化物豚についての話かな? 」
いきなりの話に息が詰まる。ヴァルカスは優しい顔をしている。とても優しい顔を、そして、ヘロンが見せたような、優しい瞳をしている。
「調べに行ったの? 」
「彼……と、この前、あの新種と出くわした場所からさらに奥へ進んで行ったの。……牧場があった」
口が一度開くと、流暢には行かないが、どんどん後から言葉が続いて出て来る。
「牧場の中には、あの新種に食べられた遺体があって、飼育場には……あの黒い……服の死体もあって……魔法、魔法陣が書かれてて」
声が震える。でも、話せてる……はず。
ヴァルカスは変わらぬ瞳で尋ねてくる。
「彼には会った事なかった、よね? 姉さん」
彼、とはさっき入り口で会った男の事だろう。
「あ、うん。違うの、魔術師がいたから、ここに来たんじゃないの……魔方陣は、そのまま残ってて、その中に、金が、金の板があった。大掛かりな仕掛けに、金の板、そして、魔物の研究所がある」
何もヴァルカスは話さない。
「何をしているのかわからない。でも、いや、いいか悪いかじゃないの。私達がそこで調べてたら軍隊が来たの。衛兵隊か公爵の軍隊か知らないけど、私達が逃げた後、きっと調べてる。彼、ヘロンはもっと何か気付いていたのかも知れないけど、私はただの勘なんだけど……ヴァルカス、あなた関係あるの? それとも私の思い過ごし? 」
「思い過ごし……なら良かったけど。姉さん、正解だよ」
呟くように答えて、ヴァルカスは一度、顔を上げて、天井を見る。アグライアは弟の言葉を待つ。きっと話してくれる。
「姉さん、家の、父さんの書斎の本棚1番下に鍵付きの引き出しがあるんだ」
そう言って、ヴァルカスが鍵を出してくる。
「どの機会で渡そうかと思ってたんだけど、丁度良かったかも知れない。受け取って」
「何があるの? 自分で取って渡せばいいでしょう」
「僕は捕まるんだよ、姉さん」
「魔物の研究をしていただけでしょ」
「この国で禁止されているような魔物化の魔法だよ」
「そんなの知らない。それにヴァルカスは魔法使えないじゃない」
「魔法の研究はしている。そして研究している者は魔物化の魔法が禁止されてるのを絶対に知ってる。こんな事故が起こるのを国は知っていたんだ。理由を話さずに禁止していたのは簡単に思い通りの魔物が作れないから、そして、国は内緒で独占して研究を続けているのかなあ……」
「わかった。あなたが悪いことしていたのもわかった。なら二人で逃げましょう」
「たくさんの人が新種の魔物で犠牲になった。それにこの魔物化の魔法はそれこそ悪魔と取引しているような物さ。だから、僕は罰を受ける」
「逃げましょう。どんなに悪いことをしていても、私と逃げて」
その時、隣の倉庫から叫び声が聴こえてきた。焦って驚いて言葉にならない声だ。窓を開けると、倉庫が燃えている。かなりの火の強さだ。
「なんで? 火事? バカな……」
ヴァルカスの声が漏れた。そして、その声を掻き消すように激しい音とともに戸が開いた。
「悪いが、俺の為に死んでくれ」




