5、腐臭がない
「体格に合わせた力を無理矢理抑制されてる気がする。本来は特別な理由がない限り全体的に能力が上がるはずだろ? 」
「腕力はあったんだろ? 」
アグライアは素直に疑問をぶつける。ヘロンは一度上を向いて、その後で頭に手をやり答える。
「腕力や圧力ってのかな? それは確かにあった。で、それは抑制に失敗した部分で、速さが抑制に成功した部分……みたいな。ま、推論だけどね」
アグライアはあらためて周囲の様子を確認する。今、現場で二人とも頭を使っていてはいけない。ヘロンが考え事をしているなら、自分が警戒にあたるべきだ。
ヘロンは牧場の側の木陰に立っている。魔力感知ができるという石を見ながら何か考えている。アグライアは牧場の中の様子を窺うが何も反応はない。
「すまない。中を調べてみようか」
牧場の柵の壊れた部分から、辺りの様子を警戒しながら忍び込む。ヘロンの動きは流れるようで、盗賊であったとしても一流になれるのではないだろうか……。アグライアも静かに柵を越える。
飼育小屋と思われる大きな建物が見える。その隣に小さな小屋がひとつ。どちらも壁に壊れた部分がある。
日射しが強く、暑さはある。しかし、アグライアは汗が日射しのせいだけでないことを知っている。弓は背に置いたまま、ナイフを手にして、ヘロンの後をついていく。建物に向かって行く。
そのヘロンが右前方を指差す。建物の手前にこちらへ向かおうとして倒れた人がいた。
いや、人の着ていた、びりびりに破れた衣服と、既にかなり食い散らかされている遺体だ。間近に見た村人の死体に気持ち悪さと恐怖を感じているアグライアに落ち着いた声が届く。
「腐臭がない」
アグライアは自分の鼻を確認する。きちんと草の匂いを感じれている。……何時、食い散らかされたかわからない人肉の側で。
ヘロンは片刃の剣をいつの間にかに抜いていて、その剣で遺体とともにある衣服に触れる。確かめるように、衣服を剣で持ち上げるが、肉がこぼれ落ちるだけだ。
「先を見る」
手前の小屋に入る。中央の机が真っ二つに割られている。破壊された机の周りに二つの遺体。残っているのが骨だけなのが救いかも知れない。アグライアには殺された村人の悲鳴が耳に聴こえそうだった。
「これ、わかる? 」
ヘロンは机の側で座り込み、紙を持ち上げている。血と汚れでよく分からないがびっしりと数字が書き込まれているのがわかる。
「わからない。なに? 」
「何か資料を作っていたのかもな」
壁から落ちた小さな黒板がある。手の平3つ分くらいの大きさと思われる黒板も割られていたが、板面の中央には図形が描かれていたようだ。
この小屋からも異臭は感じない。
「さて飼育小屋に行くか。化物豚が元々飼われていたとこだろうな」
「う、うん」
小屋の中から外の様子を改めて窺い、誰もいないのを確認して外に出る。そして、隣の飼育小屋へ……。
ここも壁が破れていて中はある程度透けていて、中に動いているものがいないことはわかった。
「あれ? 」
アグライアが気になったのは壁の隙間から見えた衣服だ。目に入って来た衣服は真っ黒で、汚れや血で黒くなったようには見えなかった。隅から隅まで黒色だからだ。
中に入って、その服と遺体を確認する。
「この人、医者? 」
「全身真っ黒で作業着にしか見えない意匠、これ医者だな」
「何で養豚場に? 」
「その答えは、そこにあるかもな、ほら」
ヘロンが示した先にあったのは、壁は壊れ、残った壁にも血か飛び、小屋の中の柵は破れ、藁が乱れ落ちている、そんな荒れた飼育小屋で一切乱れていない図形だ。
「これ魔方陣? 」
「俺は魔法に詳しくない。使えないしな。でも、こんなに綺麗にこの図形だけが残っているのは何か魔術的な要素があるんじゃないか? 魔方陣だと俺も思う」
「じゃあ、医者じゃなくて、魔術師? 」
先ほどの黒衣を見る。確かに魔術師は黒色の服を着る者が多い。
この世界に魔法を使える人間は多くない。血によって使える魔法は限られている。例えば、プリームス帝国を興したプリム人の貴族は炎の魔法を代々使える者達だ。もちろん親から能力を受け継がない者もいるし、突然、魔法が使える者が現れる事もある。だが、それはあくまでも例外なのだ。
そして、魔術師とは、魔法を使えて、さらに魔法を研究している者の事だ。
「何で? ここで魔法の研究をしていた? 」
「だろうな。そして、研究の成果が、あの新種の化物豚」
「自分達で魔物を作り出してたって事? 」
「召還魔法とは考えにくい。召還の失敗で、呼び出した魔物に殺される事はあるかも知れないが、今回の魔物の大量発生……俺が知っているだけで13頭。そんなにまとめて召還できるか? あの大きさの魔物を」
もちろんないとは言い切れない。本当に魔法は謎に包まれている。しかし……
「飼っている豚に魔法をかけた? 」
「アグライア、俺もそれが思い浮かんだ」
高い屋根は壊されていない。だから日の光は壊れた壁の隙間から入って来ているだけだ。静かに眠る死体と、乱れた柵と藁、そして美しい形を保つ魔方陣。言葉を出すはずのないその魔方陣が、アグライアを呼んでいる気がした。




