16、自己満足の世界だ
そして、彼女は現れた。
レイヴンはぼんやりとその姿を捉える。彼の視覚は既に虚ろだ。
「リリアン。あんたのボスは、あんたの裏切りを既に知っている。諦めるんだな」
「なっ……」
「口封じがしたいならもう少し上手くやらないと。それとな……こんな少年を使うのが間違ってるのさ。バレバレだよ。もう少し腕の立ちそうなのを使わないと……」
レイヴンには彼女が話している内容はよく分からない。
彼女は男の喉から剣を抜き取るのと同時に男を蹴り飛ばす。剣を振り、血を落とす。そして、状況の読めていないリリアンの手下どもを無視して、アルキュオネーを連れて、イシスの元に行く。
「あんたも無茶しすぎ……」
イシスの肩口に彼女は手を当てる。イシスの肩口が輝く。治癒の魔法だろうか……。斬り落とされた腕は戻らない。しかし、命は助かるかも知れない。
「少年。あんたが魔物になるか、黒き獣になるかは知らん。だが、そいつらぐらいは片付けろ。なに、討ち漏らしても、そん時はあたしが殺してやる。仕事なんでな。そうだ、あの時の代わりだ。少年があたしの仕事を果たしてくれよ」
何を言っているのか、未だにわからない。いや、レイヴンにもわかった事はある。アルキュオネーもイシスも彼女が守ってくれる。
レイヴンは吠えた。力を、力を求めて……。
レイヴンは手下どもに短刀を振っていく。黙って斬られてくれるはずはない。避けて彼に反撃を与えようとしてくる。彼の脚に激痛が走る。だが、倒れない。彼は吠えながら、脚の痛みを吹き飛ばし、男の腹に黒い短刀を突き刺す。
彼の人間離れした動きに、恐れを感じながらも次々にリリアンの手下達は剣を刺し、斬ってくる。彼は傷と痛みを増やしていく。だが彼が止まることはなかった。次々に攻撃してくる男達の刃を身に受けて止め、短刀で刺していく。敵の血よりきっと彼の血の方が多い。
リリアンが動かないのは諦めたからなのか、恐怖を感じたのか、それはわからない。だが、レイヴンはリリアンから目を離さない。他の者の動きも、自分を襲う剣にも、視線はいかない。ただ彼女の目を射抜く。
邪魔な肉の壁となった者達を押しのけ、前に進む。
「レイヴン、お前に生きる術を教えたのは誰だい? あの子に薬を与えられたのは誰のおかげだい? 」
レイヴンの耳に、リリアンの言葉が入ってくる。まともに思考できない彼だが、彼女の言い種には笑ってしまう。
「ああ、信用できない人間との付き合い方は教わった」
レイヴンは脚を引き摺り、目の前に崩れ落ちているリリアンの手下を支えにして、前に進む。
「レイヴン、私は仕事をしただけなんだよ。ゲールズを殺るように指示したのも、お前を殺そうとしたのも全て、上から言われた事なんだよ」
「俺を殺そうとしただけなら構わん。違うんだよ、リリアン。アルキュオネーをここに連れてきた。人質を取るんなら、自分の身内に何されても仕方ないと思え」
「私の身内なんて知らないだろ……」
レイヴンは笑った。笑えてると思ってる。そう表情を作ったつもりだ。彼女に心底後悔させてやらなきゃならない。
「貴様には時間がない。俺には時間がある。そういう事だ」
レイヴンにはリリアンの表情を視覚で判別する事はもう出来なかった。だが、もう十分だ。もう、いい。
リリアンが動かなかったのが何故なのか、レイヴンは考える事を放棄している。誰も人の心が見えるわけではない。多分、自己満足の世界だ。
リリアンの左肩を掴み、引き寄せると同時に腹部に短刀を突き入れる。何か声が聞こえた……気がした。音は聞こえた。レイヴンは声を出す。レイヴンは声を上げる。レイヴンは吠えた。吠えたはずだ。
何かが生まれる。
何かが駆け寄ってくる。
そこで全てが消えてしまった。光が消え、音が消える。