14、正面から
もう日がしっかり昇っている。人も働き出している。いかに裏通りに詳しくても、誰にも会わずに済む道はない。レイヴンは麻で出来たフード付の外套を羽織っている。少し後ろを付いてくるイシスも同じ外套を着ている。
急いでリリアンがいるだろう酒場に行きたいが、身を隠さないと動けないと、二人は大道芸の一座に戻り、外套を取ってから出発した。
レイヴンは腹にあの短刀を当てている。少しでも『黒き獣の牙』を直に触れている方が強さを身に付ける事が出来ると、イシスが言ったからだ。
今は黒の短刀から熱は感じない。本当に手に取った一瞬だけだった。
身体の変化を感じるのも怖かったが、何にも感じないのも不安になる。レイヴンは自分の力を過信したりはしない。だが、信じるも信じないも進むしかないのだ。
普通にレイヴンを殺すことに失敗しそうだと思えば、アルキュオネーに手が伸びる可能性がある。彼の身元を調べずにリリアンが仕事を回していたとは思えない。
「あとどれくらい? 」
「それほどかからない」
「そう」
「あの酒場には正面から入るしかない」
裏口が無いわけではない。だが裏口から入るとしたなら階段を登らないと中には入れない。階段に誰か待ち構えているのは間違いない。階段の上からの攻撃を凌ぐのは難しいし、何かトラップがあってもおかしくない。そこまで裏口に詳しいわけでもないからこそ、よく知っている方から侵入するのがいいだろう。
酒場の近くに来てからは様子を窺いながら進む為、進むペースを落とすしかない。まだリリアンは下水道に置いていたメンバーと、あの細い剣を持った殺し屋が死んだことは知らないはず。気を付けているのは当然としても、教えて得することは何もない。
イシスも静かに付いてきている。誰かに見つかったとして、彼女を責めるのはない。レイヴンはあらためて最後の確認を行い、酒場の入り口まで一気に歩を進める。
レイヴンは呼吸を止めて、神経を集中させ感覚を研ぎ澄ます。数人の存在が音でわかる。この時間からこの酒場に人がいるなんて、リリアンが集めた用心棒に違いない。
本来は待ち伏せがいるんだから、そこに突っ込んでいくのは愚策だ。
レイヴンは扉を開けて中に入る。当然、腹に当てていた黒短刀は手に握っている。
「本当に来たよ、さすがリリアンだな」
男の声が耳に入るが、レイヴンが目を向けたのは右手に座っていた大男だ。
大男ではない。人間の体格の2倍近くはあるオーガだ。
リリアンが護衛に置くのも納得だ。レイヴンのもっとも苦手にするタイプ。腕力と生命力に溢れ、小賢しい技術を粉砕してくるような存在。
レイヴンが賞金稼ぎでなく、暗殺なんてのを仕事にしている理由がこれだ。
魔物や亜人にはレイヴンのナイフでは致命傷を与えられないのだ。
剣を持っていたとしても同じだろう。分厚い筋肉や硬い鱗を持つ魔物や亜人に深く斬りつける事も、打撃でダメージを与える事も叶わないのだ。
いや、今は魔剣を手にしている。
レイヴンはオーガが攻撃を仕掛ける前に斬りかかる。敵はそもそも五人以上いるように見える。体力的にも長期戦は不利だ。
初めて使う短刀だが、何故か扱いやすい感覚がある。どこから腕を降れば当たるかイメージできる。
「おお」
オーガの手首付近に刃を落とす。手甲の内側部分、肉の部分をピンポイントで狙う。
「いい腕してたんだな」
レイヴンの攻撃がオーガの前腕に入るのを見て、カウンターの奥に立つ男が話す。
そう。攻撃は確かに当たった。オーガの右腕に傷はついた。出血もしている。
だが、オーガが黙って攻撃を受けるわけはなく、傷付くのを恐れずにその右腕はレイヴンの身体へ振るわれる。
レイヴンは入り口付近の壁まで吹き飛ばされた。
「いでえなあ」
レイヴンは身体を起こしながら、オーガの傷を確認する。ナイフの時とは違い、確かに傷を与えられているはずだ。だが、相手に圧倒されているのも間違いない。
息がまともに出来ないのをレイヴンは自覚する。どこか骨が折れてる。あばら骨だろうか。立ち上がれた事が不幸中の幸いだ。
黒の短刀を力強く握る。
応えるように力が流れ込んでくるのを感じる。流石に骨折が治ってしまうような事はないが、痛みはかなり和らぐ。
周りの男達はニヤニヤしながらレイヴンを見ている。彼等がこのオーガの男に信頼を寄せているのがわかる。戸口から中に入っているイシスに近付いたりしていないのがそれを証明している。
こいつらの姿を見ていると、屑の破落戸には思えない。
「おまえもいでえか? 」
にかっと笑いながらオーガが近付いてくる。武器は持たずに拳を握り込んでいる。あの手甲が防具であり、武器なのだ。
暴風か巻き起こる。少なくともレイヴンは拳を避けながらそう感じていた。
身体を捩り、転がし、椅子やテーブルを盾にする。
「にげるな」
オーガが声をかけ右腕を上げた瞬間に、懐に飛び込み、脇口に短刀を振るう。血が吹き出る。レイヴンは血を浴びながら答える。
「ああ、逃げないさ」
確かな感触。吹き出る血の量で確信する。いける。これなら……。
「うっ! 」
レイヴンの身体をオーガの分厚い腕が拘束する。レイヴンは身体を動かそうとするが、オーガの腕のロックは微動だにしない。
「ゆるじゃなあい」
「しつこいんだよ」
レイヴンは叫ぶ。そうだ、まだやれる。オーガの目に唾を吐きかける。
オーガは確かに目を閉じた。だが、腕も閉じたまま、いや、腕の締まる力がさらに上がる。
「ぜってえ、ころず」
レイヴンの右手には黒の短刀が握られたままだが、右腕は身体とともにロックされたまま動かす事はできない。
レイヴンの意識が朦朧とする中、声が届く。
「レイヴン! 」