13、アダマントファング
「じゃあ、どうするの? 本当に逃げ道なんてあるの? 」
イシスが強く訴える。彼女の言うことはわかる。だが、レイヴンは別の事を気にしているのだ。
レイヴンが、逃走犯が、地下下水道を通ること自体は特に珍しい事でもないだろう。裏社会に通じている奴がここに待ち伏せていることは想定もしていた。
だから、ぐずぐずせずに大道芸の一座では一夜だけにして、すぐこの都市を出る事にしたのだ。
ここにいた奴ら、そして、後から現れたあの男。
会話の中で掴んだのは、レイヴンがリリアンに売られたという事実。そして、彼女が生きたレイヴンを引き渡すつもりがないということ。彼女は彼の死体が欲しいのだ。
「もう逃げるのは止めた。俺を売ろうとしてる奴を殺りに行く。俺の事を一番詳しいのはその女だ。そこを殺れれば、まだ何とかなる」
レイヴンはリリアンを殺しに行く一番の理由までは話さなかった。話す必要はない。
「殺せるの? 」
「殺せるか、殺せないか、じゃあないんだよ。殺すんだ」
「確実? 」
レイヴンは首を振る。
「あなたが慎重なのはわかったし、大事なモノがあるから奴隷になりたくないと云うのもわかった。でも、慎重なあなたならわかるんじゃない? 今のまま殺しに行くのと、力を手に入れてから殺しに行くのと、どちらがいいのか」
沈黙で答える。力を手に入れてから行くのがいいに決まっている。ただ夢みたいな話を信じられないだけだ。
「黒き獣の魂から出来たと言われる刀を持って、黒き獣のように生きて欲しいだけ」
イシスの言ってる事がよく分からない。黒き獣って、何なんだ? アータルの民の下僕にでも成って欲しいんじゃないのか?
レイヴンの疑問に答えるように、イシスが続ける。
「宝剣というのが信じられないなら信じなくてもいい。魔剣だと思ってくれてもいいわ。でも、その剣に選ばれたなら力が確かに手が入る。私はあくまでも願うだけよ、力を手に入れたあなたが後々アータルの民の助けになってくれる事を」
「君がなってもいいじゃないか? 」
「私では黒き獣になれない。私はあなたならこの刀に選ばれると思ってる」
「力はこの短刀にあって、選ばれたものしか使えない。で、何だかわからないがイシスは俺が選ばれると思ってるわけか。あってる? 」
イシスが頷くのを見て、レイヴンは黒い短刀をしっかりと見る。布越しに触りさえすれば問題なさそうではある。
嘘か本当か、目の前に『力』がある。
魔力や魔術なんてない、一般人だが、確かにレイヴンは、目の前の短刀から何かを感じ取っている。
冷たい暗闇。真っ暗な闇の中に蠢いているモノがある。機会があれば顕現しようと笑っている。隙を窺い、出ることが出来れば、今の冷たさなんて一瞬にして融かしてしまいそうな、そんな隠れた熱がある。
「魅入られてしまいそうだ」
「あなたの魂が求めているだけよ」
冷静に考えるんだ。そもそも今のままで、リリアンを殺れるのか? 彼女自体に剣や魔法の腕はないだろう。暗殺対象として、普段の彼女ならいける。
だが、手持ちの暗殺者をここに寄越してる。レイヴンにリリアン自身の存在を明らかにしてしまっている。絶対に焦っていて、かつ、彼女自身には護衛をしっかりつけてるだろう事が読める。
リリアンがつけている護衛の壁を今の自分が越えれるだろうか?
「その特殊な布越しに使えば、ただの切れ味のよい短刀よ。布を取って握った時に答えが出るわ。それから迷ってみたら? 」
レイヴンはもう一度短刀を見つめる。それからイシスを見る。彼女が彼を騙す必要性はない。可能性があるなら賭けるべきではないかと思った。
彼女が布を広げ、黒い短刀の全てを見せて差し出す。
黒い短刀を手に取る。
怪しい光が溢れる。レイヴンの身体を包み込んでいく。
熱い。
いや、触れた手が熱いわけではない。
力が身体の中を暴れるように駆け巡る。その熱さだ。冷たく見えた刀が彼の身体に力を与えているのか? それとも自分の主に成り得るのかを調べているのか?
一呼吸だったのか、それくらいの短い時間で何かが生まれ変わった気がした。彼の身体の細胞の一つ一つが一瞬の熱と刺激を感じて、馴染む。
「ね? 選ばれたでしょ? 」
「選ばれたのか? 」
「さっきの男は『黒き獣の牙』に拒否されたから、その熱に身を焦がしたのよ」
イシスに止めを刺された男を見てみると、その左手は確かに焼けただれていた。レイヴンは先ほどの匂いを思い出す。手が焼けた匂いであったわけだ。
「確かに俺は火傷もしていない。いぃだろう。力は必要だ。君は一座のテントで待ってな」
「それは困るな。あなたが暴れ回る時に近くにいないなんて、それでは星になれない」
「足手まといなんだよ。俺は俺の事だけで手一杯なんだ」
レイヴンは冷たく言い放つ。事実である。力が身に付いた気はする。さっきの一瞬で、だ。しかし、それがどれ程のものかわからない。彼が護ろうと思っているのは唯一人。
「守らなくていいのよ、ともにあればそれでよい。私には私のやるべき事がある」
「俺が嫌なんだ。少なくとも君が……イシスが死んで動揺できないでいる自信はない」
「私がそばにいないとその刀、『黒き獣の牙』は力を発揮しない」
レイヴンは唸るように呟く。
「何でもかんでも都合のいい後出しだな」
彼には彼女の話を確かめる術も時間もないのだった。