12、贄になって
音を頼りに、イシスは下水道への入り口を見つける。金属音が続いている。暗くはあるが、誰かが奥で灯を灯しているからか、何とか地下下水道を進むことができる。
足音を立てないように気をつけては進むが、焦りはある。まず間違いなく、この音は剣を合わせている音。そして、その片方にはレイヴンがいる。
彼は決して弱くはないと思う。だが、追手がどれ程のものかは全然わからない。イシスは彼に絶対に生き残ってもらわないと困るのだ。
イシスは自分の勘を信じている。運命が彼と自分を引き合わせたと信じている。
視界にレイヴンが入ってくる。予想通りと云うべきか、押されている。手前に立つ細身の男は身体に合わせたかのように細身の剣を手にしていて、ほとんど無傷に見える。対して、レイヴンは身体のあちこちに斬られた跡が見える。
「頑張るなあ、小僧。でもな、油断はしないよ。お前には近付かない。距離を保ったまま切り刻んでやる」
「余裕ある振りが上手いじゃないか、先輩」
「挑発には乗らないよ」
二人はお互いに距離を計っているようだ。さらに奥にも火があり、男たちが三人いることがわかる。彼等がいるから逃げることも叶わず、細身の男と戦っていることがわかる。
イシスは考える。自分がどう動くべきか。いきなり後ろから手前にいるあの男にこれをどう使うべきか……そう、武器はあるのだ。
布から取り出したそれは、暗い中で怪しく存在を主張する漆黒。いつも以上に光沢がある。黒いのに耀いているように見える、
刃も柄も闇。地下の暗闇より黒い。
さらに近付く。布越しに柄を持って、細身の男の動きが止まるのを待つ。
レイヴンに向けて、右に左に剣が振るわれる。空を切る音が響き、時にレイヴンがナイフで弾く金属音が鳴る。
「さあ、そのナイフがいつまで持つかな? いや、お前の集中力がいつまで持つかな? 」
「暗殺術を後輩に教えてくれよ、先輩。それとも弱い敵しか殺してこなかったのかい? 」
「勿論さ。自分より強い奴に挑んでいるのが、お前の失敗さ、小僧……何者だ? 」
イシスは動きを止める。あと数歩というところで気付かれた。
「あ、気付きました。流石、腕がいい」
剣をレイヴンに向けたまま、壁を背にして、男はイシスを確認する。彼の目には、彼女の手に布越しで握られた黒い短刀が目に入る。ナイフより長く、剣より短く、反りは僅か、何より刀身も柄も漆黒なところが目を引いた。
男がレイヴンに向けて大きく剣を振る。レイヴンが下がるのにあわせて、そのままその長い剣をイシスの手元へ回す。
イシスは布越しに握っていた黒い短刀を落とす。
レイヴンに剣を向け直した男が落ちた短刀を拾う。
「ぐあっ」
男が悲鳴を上げたときに、勝負は決まった。
短刀を握ろうとして、短刀を落とした男の右脇腹にレイヴンのナイフが衝き刺さっていた。
レイヴンがナイフで掻き切るようにして引き抜く。
「このナイフで止めを頼む」
そう言って、レイヴンがナイフを渡してくる。イシスはナイフを受け取ると、彼の右手には先程の男の細く長い剣が握られていた。
イシスはナイフを置いて、黒い短刀を布越しに拾う。
「贄になって」
彼女は笑って、短刀を男に突き刺す。漆黒の短刀が妖しく輝く。嗤うように、哀しむように……。
彼女が男の命を捧げた時には、レイヴンも残りの三人を片付けていた。
「大丈夫? 」
イシスの問いかけにレイヴンが厳しい眼差しを返す。肉が焼けた匂いが広がっていた。
「命を粗末に扱うのは嫌いなんだよ」
「私の事? あなたの事? 」
「命がかかっている俺が無茶をするのは生きる為。当然だろ? 君が無茶をするのは命を軽く見てるようにしか思えないね」
「私は命を粗末に扱っている気はないわ。自分の夢の為に命を賭けただけよ」
「夢で飯が食えるのか? 命を賭けたら実際に叶うのか? 」
「何の為に生きてるのかって話よ。私は夢を叶える為に生きているの」
レイヴンが睨み付けたまま、剣を置く。手を出してきたのは、ナイフを受け取る為だろう。イシスは左手に持つナイフを渡さず、右手にある短刀を布とともに差し出す。
「さっきその男がその黒い刀を持とうとした時、何があった? 叫んで落としたのを見てるんだよ。俺のナイフを返してくれればいい」
「宝剣よ」
布を柄にしっかり巻き付けなおして、もう一度差し出す。
「黒き獣の魂から生まれたという宝剣」
「それ、魔剣と同じたよな? 怖くて受け取れないんだが? 」
「このボロ布は特殊な布なの、これ越しなら持てる。あなたが受け取って、使ってくれるなら……」
「いやいや、元のナイフでいい」
「圧倒的な力が欲しくないの? レイヴン、貴方が言っていたのよ、力が欲しいと」
「欲しいな。でもな、無料で貰えるものなんて、呪いの品より怖い」
「信じて貰えないのね。条件はひとつだけ。黒き獣になること」
「黒き獣になりました。無敵になりました。それでアータルの民の奴隷になりましたじゃ意味がない」
「奴隷になれなんて言わない」
レイヴンがゆっくりと落ち着いた声で話かける。
「俺には誰にも譲れない、大事にしているものがある。奴隷でなくてもだ。だから受け取れない」
「じゃあ、どうするの? 本当に逃げ道なんてあるの? 」