1、魔物退治ではない仕事
夜明け前のかなり暗い入り組んだ路地を、少年は迷うことなく進む。彼は自分の黒髪より明るければ、夜目が利くので足場の悪い路地でも問題ない。ここで生まれ育ってきた身軽な彼には黒い目を閉じたままでもなんて事はなかっただろう。彼が走らずにここを通っているのは、大事な物を運んでいるからだ。
路地の奥にある古くて今にも崩れそうな建物に入る。まだ眠りに着いている子供達をおこしてはいけない。少年は物音を立てず進む。そして奥の部屋の扉を開ける。
「今、帰ったの? レイヴン。遅かったのね」
少女の声にレイヴンと呼ばれた少年は、少し残念な気持ちになる。彼女が起きている事に耳の良い彼は気付いていたが、はっきり確認するとやはり気が滅入る。彼女がぐっすり眠る事ができないのを知っていても、やはり悲しいものは悲しい。
ボロボロの衣服で寝床から出て来た彼女を見る。肩に掛けた小さいバッグから瓶を取り出して、早朝の寒さで冷えないように、すぐに用件を切り出す。
「アルキュオネー、相変わらず朝が早いな。ほら、これ」
レイヴンは目の前に立つ自分より少し背の低いアルキュオネーに手にしていた瓶を渡す。不思議な輝きを見せる群青色の髪をした彼女が、しっかりと小さい手に瓶を取ったのを確認してから彼は続ける。
「今夜も仕事が上手くいったんだ」
アルキュオネーは瓶の栓を抜き中の液体を一気に飲み干した。どうしても慣れることが出来ない苦い味を我慢して笑顔を見せる。それがレイヴンの望みだと彼女は知っている。遠慮なんてそもそも出来ない。彼女の為に、はっきりと値段は知らないが、非常に高価な万能薬を買って持って来ているのだ。
アルキュオネーは自分と年齢が一つしか違わないレイヴンが、賞金稼ぎとして、かなり無理をしていると思っている。そもそも年齢を二つも偽って仕事をしている。病弱な自分とさして体格の変わらない彼が、賞金稼ぎとして魔物退治に向いているとは思えない。
「ありがとう」
そう言って笑うことしか出来ないなら、一番の笑顔を見せなければとアルキュオネーは思う。まだ痛みは引いていない。でも、痛みには慣れている。レイヴンの黒い瞳にしっかり映るように痛みと戦い続ける。
「レイヴン。賞金稼ぎの仕事楽しい? 」
レイヴンは頷く。アルキュオネーは信じられないという顔をしながら微笑んで続ける。
「本当にそうならいいけと……。生きる事が全てじゃないからね。 今、大道芸の一座が来てるの。とても素晴らしい歌を聴いたわ」
レイヴンはアルキュオネーの儚い笑顔を見て、うん、と頷くと長居は無用と背を見せる。後ろ姿で彼女に手を降り、彼は来た道を引き返す。
大道芸の一座。多分、歌が素晴らしかったんだろうが、彼等の生き方に憧れたのだろう。特定の住居を持たず、国も持たず、差別されるのも当たり前、貧しくもあり、脛に傷持つ者も多くいるだろうが、彼等は自由だ。
アルキュオネーは死を側に置いているせいか、幼いのにどこか哲学的に見える。彼女に自由はないのだ。病と激しい痛みを抱える彼女は金もなけりゃ、自由もない。彼女とこういう話をするのは苦手だ。レイヴンは彼女が生きていてくれればいい。
孤児院から出て、自分の塒に走る。入り組んだ、足場の悪い路地を走る。彼は、自分とこの孤児院の繋がりを、あまり目立たせたくはないのだった。
いつものように駆けて戻りながら、昨日の事を思い返す。突然の大金なんて、幸せより不幸の暗示にしか思えないからだ。
※ ※ ※
レイヴンは昼過ぎからいつもの酒場に来ていた。もう既に前回の仕事から1ヶ月近くは経っている。後は仕事の中身を変えるくらいしか方法がないかと、弱くて不味い酒の三杯目を飲んでいた。
どうやら仕事が来てくれたらしい。恰幅のいい女性が近付いてきて、見た目と違う小声で話しかけてくる。夕方前でまだ客がほとんどいないのに、小声でだ。
「難しい仕事だよ。でも、金はいい」
「仕事の中身を聞いて、職を変えるか考えたいな」
「屑は仕事を受けるか、受けないかだけを答えな。金貨20枚よ」
レイヴンは耳を疑う。普段の五倍にはなる額だ。一般人の一年分近くの稼ぎにはなる。勿論、仕事を斡旋してくれるこの女性が気前がいいなんて事は絶対にない。レイヴンが仕事を断らない事を知っているし、上前をどれだけはねてるのかもわからない。
「今から慣れない盗みを選ぶ事は出来ないな、リリアン」
「じゃあ、詳しく話そうか。……的はゲールズ」
リリアンが特に小さな声で告げた名前は、ここいらでは、いろんな意味で有名な商人だった。レイヴンは罪悪感を感じないで済む対象にほっとしながら、難しさも感じる。当たり前だが、破落戸の護衛達が付いているのは確定だ。
ゲールズは典型的な悪徳商人であり、高利貸しであり、破落戸を使って強請・集りもしていた。
今夜、この都市の南ブロックの会合があり、そこにゲールズが出席するから、その帰り道を狙うのがいい、との話であった。屋敷の中では手を出しづらいし、この情報込みの依頼だと考えていいだろう。
依頼主がやり易い状況を作ってくれている可能性もあるし、ただ焦っているという可能性もある。
だが、レイヴンには選択肢がない。アルキュオネーに早く薬を飲ませなければいけない。
彼女の病が悪くなっていくのはもちろんだが、痛みが激しいのだ。病の進行で亡くなる者より、痛みで気が狂い、痛みの激しさで死ぬ者が多いくらいの病気だ。
リリアンの濁った視線を背に、掃き溜め達の酒場を出る。会合の予定時刻までまだ時間がある。ただあの酒場は職場のひとつであり、心休める場所ではない。
少し早いが待つのは苦ではない。仕事を受けて、場所や時間を聞いたレイヴンは、仕事場所を再確認して、その通りの身を隠せる場所を探す。ひとつの路地で歩みを止めて、物影に入ろうとした。
「いい場所を選ぶじゃないか、少年」
突然の声に、身体が凍る。気配を全く感じさせない先客がいたのだ。声に気付いた時には喉元に剣を当てられていた。
レイヴンは剣を持つ人物の言葉を待つ。
剣の先にいる人物は生成りの麻の外套を着ていて、フードで顔はほとんど見えなかった。
「叫ばなかった事に免じて、命はとらないわ。ただあたしの仕事が終わるまではここにいてね」
レイヴンはゆっくり呼吸をする。目の前の人物が声で女性だとわかった。それから一度、上を見た後、視線を戻して、彼女に小さい声で、しかし、はっきりと告げる。
「俺はゲールズの耳が必要だ。そこは譲れない」
本日、まとめて投稿致します。一章までは終わりまで既に書いてあります。続きが気になる、この話をもっと読んでいきたいと思っていただけたら、ブックマーク、評価、感想などよろしくお願いいたします。