永遠の乙女に恋したある彫刻家のおとぎ話
━━カンカンと、ある工房にて甲高い音が響く。
そこには等身大の大理石の像を彫る、年若い男の姿があった。
彼は若いながらもその名を知られた彫刻家であり、高く評価されたその作品を求め遠路遥々足を運ぶ人間も居たほどである。
焦げ茶色の髪を短く刈り、深い緑の瞳は一途な色を宿し、切れ長の目をすっと細める。顔立ちは整い、よく鍛えられた肉体を持っているが故に服装さえ整えれば町を歩けば女性から騒がれること請け合いなのだが、全身を薄汚れた作業着で覆い、一心不乱にノミを奮う様を見ていると、それは難しいと言わざるを得ないだろう。
男の名はセドリック。彼は現在、己の人生の全てを掛けた作品へと向き合っているところであった。
「……ふぅ、もう少しだな」
構想に何年もかけ、素材も厳選に厳選を重ね、最高の大理石を削り出すことおよそ一年。その甲斐もあり、ようやく完成が見えて来た。彼自身の理想を込めた、乙女の像が。
「もう少し、後ちょっとで完成だ……ああ、楽しみだな」
満面の笑みと共に、軽く台座をたたく。幼い頃に見た、世にも美しい乙女の絵画。芸術家である父に連れられ見に行った、とある展覧会にて飾られていたその絵のあまりの美しさに目を奪われ、立ち尽くしたものである。
時間も忘れて呆けたように見入られているその姿を父は、しょうがないなぁ、と眺めていたそうだ。
なにせあまりにも見事な出来の絵画だったのだ。乙女自身の美しさは元より、肌の質感や表情、衣服の皺や髪の毛一本一本から爪の先まで細部に渡る程に細緻に描かれたそれは、まるで生きているかのように幼い少年の目には映ったものである。
そして少年は、その描かれた乙女に一目で、恋をした。
やや伏し目がちながらも瞳はぱちりと大きく、海のような色彩を湛えて穏やかに凪いでおり、長い睫毛がくるりと上向いてそれを彩っていた。眉は柔らかなカーブを描き優しげな印象を醸し出し、鼻は小ぶりながらもつんと上向いていて可愛らしく、頬は薔薇色でふっくらとしており、唇は薄い桃色で小さく、可憐である。陽光を穏やかに照り返す美しいブロンドヘアが背中の辺りまで伸ばされ、編まれることもなく風に微かになびいている。
高貴な生まれなのか身に纏うのは目映いばかりのそれでいて上品な青いドレス。肩とデコルテを美しく見せるオフショルダーのドレスは、健康的な年若い乙女の未成熟な肢体を儚いものと魅せていた。胸元のネックレスと耳のイヤリング、それから右手に付けたブレスレットは揃いの真珠で出来ており、ネックレスの先に付けられた翡翠が美しく輝いていた。風景はどこかの草原らしく、芝生に座り込んだ乙女を柔らかく包んでいた。
タイトルは、「永遠の乙女」
作者不詳で、描かれた時期はごく近年であることは確かだが、モデルとなった少女の実在は不明とされている。と、いうのは男がこの絵について後年調べた時に知ったことである。
しかしこの絵は最早この世には現存していなかった。男が絵を見に行った数日後、その展覧会付近の食堂で起きた火事に巻き込まれ、会場ごと消失してしまったのである。
その絵が永久に失われたと知った少年、セドリックはしばし茫然自失となった。もう二度とあの絵に会えないのかと嘆き悲しみ、何日も塞ぎ込んで過ごしていた。そんなある日、少年は決意した。ならば自分が、あの日の絵を、再現しようと。
あの絵をそのまま再現しようと思っても、流石にキャンパスを用いてそのまま描くのは憚られた。盗作と言われかねないし、何よりも絵画ではまた焼失しかねない。それなら、自分は石像であの日の絵画を再現しようと決めた。
幸い、と言うべきか。セドリックの家系は芸術家の一族であった。絵画で、音楽で、誌で、物語で、陶芸で、それこそ彫刻で己が魂を表現し、それにより日々の糧を得る。その才能に惜しみ無く資金が投げ出され、売りに出した作品は素晴らしい評価を得られてまた次の作品へと繋がる。そんな一族に産まれたセドリックが彫刻の道を選ぼうと、歓迎されこそすれ、疎まれることはあり得なかったのである。
彼の作品を彫刻で表現するには、それこそ血の滲むような研鑽が必要となる。どれだけの年月が掛かろうと、セドリックの魂はあの失われた絵画のものだ。彼はそう決めて、のみと槌を手に取った。やがて彼の名が、王国一の彫刻家であるとして知れ渡るのは、そう遠い年月ではなかった。
あれから、何年が経過しただろうか。あの日の少年は強く逞しく成長し、彼の作品に惚れ込んだ女性から幾度もアプローチを受けながらも決して応じることなく、その腕を磨いてきた。全てはかつての乙女を再現するために。
巨大な大理石を削り出し、等身大の乙女の像を彫り上げる。髪の毛の一本一本、睫毛や服の皺まで再現し、肌も滑らかになるように磨き上げる。本来なら、そこで完成と呼ぶべきだったのだろう。しかし男が求めたのは、ただの石像ではない。あの日、自身が心奪われた絵画である。
「……足りない、そうだ、これでは足りないのだ」
用意されたのは、染料及びルビーやら真珠やらで彩られた宝飾品の数々。それらを巧みに使い、セドリックは乙女の石像を染め上げ、まるで生きている人間であるかのように装っていく。
肌と服は染料を用いたが、それ以外はなんと本物の宝石で再現しようとしたのだ。更に服にもキラキラとしたビーズを配し、豪奢なドレスであるかのように仕立てていく。彫刻としては邪道も良いところである。しかし彼はこの作品を誰にも見せたり譲ったりする気持ちはないので、関係無いと考えたのだ。
髪の毛と睫毛には金箔を。瞳には最上級のサファイアを。履かせる靴は純白の、少しヒールのある美しいものを。ワンポイントとして、花があしらわれている。ネックレスとブレスレット、イヤリングには真珠を用意したが、そこだけは少し拘って翡翠、ペリドット、エメラルドとセドリックの瞳の色を思わせる宝石をあしらった。
そうして出来た石像は、まさにあの日見た乙女である。一見しただけでは、本物の少女がそこに座っていると錯覚してしまうほどの出来映えだった。だが、セドリックはこれで満足しなかった。初恋の乙女が目の前に存在している。それが、長年の妄執を燃え上がらせた。
「……これを、貴女の心臓として用意した」
掲げたのは、女性の握りこぶし程の大きさのルビー。ピジョンブラッドとでも言うべき真っ赤なそれを、乙女の胸元へとそっと置く。と、音もなくルビーは石像の中へと潜り込んでいくではないか。それを可能にしているのは、男が唯一得手としている土の魔法だった。
「願わくばどうか……貴女が我が妻とならんことを」
もの言わぬ石像の背に手を回し、冷たい唇へと口付ける。それで本当にこの像が肉体を得て動くことを夢に見た訳ではなく、これはただの願望であった。その筈……だった。
セドリックの唇が石像に触れたその瞬間、乙女の石像が光り輝いたのだ。驚いたのはセドリックである。こんな、像を輝かせる魔法なんかに心当たりはない。何事だと唖然とする目の前で、石像の肌が柔らかみを帯びてくる。髪が揺れ、ぱちりと大きな目が瞬きをする。ドレスがゆっくりと広がり、折り畳まれた足がそうっと伸ばされる。そうして立ち上がった乙女は、はにかむように小首を傾げ、セドリックを真っ直ぐに見る。その神秘的な姿に息を呑む彼の前で、乙女はふわりとスカートを摘まんで会釈した。
「初めましてセドリック様。ずっとお慕いしておりました。どうか私を、妻としてくださいませ」
「なっ、なっ……」
あまりの事態に混乱しながらも、セドリックは目の前の少女を受け入れた。ああ、これは一途にこの乙女を想い続けた報いなのだろう。この奇跡のような出来事に感謝します。
男は一も二もなく頷き、少女にマリアと名付け、やがて夫婦となるのであった。
男は幸福の絶頂にあった。
愛するマリアとの間に可愛い子どもも産まれ、彫刻家としての名声もますます冴え渡り、何を作っても飛ぶように売れていく。
我が世の春、とばかりに幸せを満喫していた男は、気が付かなかったのだ。それが永遠ではないことに。
「マリア、聞いてくれ! 次の作品なんだが、これを……」
パトロンとの食事会を終え、自宅へと駆け込んだセドリックは言いかけた言葉を飲み込み、目を見開いた。家の中が荒れに荒れ、金目のものは殆ど持ち出されてしまっている。この惨状に思わずセドリックが立ち竦むと、奥から微かに息子の声が聞こえて来るではないか。
愛する妻の安否も気掛かりだが、まずは息子だと駆け寄れば、彼は柱時計の中から震えながら這い出てくるところだった。見たところ大きな怪我もない。安堵して駆け寄り、三歳になったばかりの小さな身体を抱き上げる。
「トムス! ああお前だけでも無事でよかった……マリアは? 私の妻はどうしたのだ」
聞いた途端、トムスがしゃくりあげながら事情をつっかえつっかえ口にする。
「と、とうぞくが、いきなり、たくさん……きて、ママを……さらって、行ったんだ……ママは、ぼくだけでも助けたい、って……ぼくをかくして、それで……っ!」
「なんということだ……」
セドリックは人が大勢訪ねてくるのを嫌い、郊外にアトリエと邸宅を建てた上に人も雇うことはなかった。マリアが人でなく、元は石像であるのを知られない為であった。それが完全に裏目になった形となる。
この辺りを根城にする盗賊は、長年現れていなかった。故にこそ、セドリックも油断していたのだ。
「待っていろ、マリア……必ず私が助け出す……!」
そう決意し、セドリックは幼い息子を連れて旅に出た。誰かに息子を預けようとは思わなかった。何せマリアは、自分がいない間に襲われ、拐われたのだ。それを思うと、常に自分と共に居なければ不安だった。
盗賊を追うのは、思った以上に困難を極めた。
彫刻の技術を磨く傍らで剣もある程度扱えるようにはしていたものの、山歩きとなるとやはり向こうの方に分が有るようで、なかなか彼らのアジトらしきものは見付からなかった。
それでも何ヵ月もかけて彼らの痕跡を見つけ、マリアを浚ったと思われる盗賊を追いかける。
その間、幾度も最悪の想像を浮かべては、それでも良いからせめて生きていて欲しいと願う。何年も焦がれ、漸く己の妻としたのだ。仮に汚されていたとしてもセドリックにとってマリアは永遠の乙女であった。
奴隷でも慰みものでも何でもいい。どうか、生きててくれ。
そうして、ある時やっとセドリックは自分の妻を浚った盗賊のアジトを突き止めたのであった。
必ず奪還すると決め、息子のトマスは近くの村に預けて単身アジトへと突入する。無謀であったが、それでも彼は、そうせずにはいられなかったのだ。
そしてアジトに乗り込み、盗賊を次々と屠る傍らで愛する妻を血眼になって探し回る。しかし意外なことに、それらしい女性はまるで影も形も見えなかったのだ。彼らが浚ってきたと思われる女も、確かにいたと言うのに。奴隷として売られたのだろうか。だとするならばどこに売られようとも必ず見つけ出す、と決意し、盗賊団の頭から売却先を聞こうと探し当てる。しかし頭だという男は、セドリックに対してつまらなそうに肩を竦め、意外な言葉を発した。
「ああ、あの金髪女か。俺が愛人にしてやろうとしたのに、なんと驚きなことにな、石像になりやがったんだ。なんなんだありゃあ? でもまぁ、よく見たらすっげえ質のいい宝石身にまとってる上にすこぶる美人の石像だ。不気味だけど売れるに違いねえってんで……丁寧にばらして売り払ってやったぜ? まぁ、これだけは気に入ったから特別にもらってやったけどな」
そう自慢気に語る男が見せびらかすように掲げたのは、彼女のネックレスに付けていた翡翠そのものであった。
「貴様……よくも、私のマリアをー!!」
一瞬にして頭に血が昇り、盗賊団の首領を切り捨てる。その男から翡翠のネックレスをむしり取り、セドリックは泣き崩れた。
「マリア……マリア……何年かかっても何百年かけても……必ず君を、見付け出す」
男はそう誓うと、唯一残った翡翠のネックレスを首にかけ、妻を探す旅に出た。
終わりの見えない、果てのない旅である。その男の行方を知るものは、誰もいない……。
今考え中の物語の、序章のようなもの。
一応これ単体で完結してはいます。