#11 死神の咲かせる紅の華
部屋の隅で小さく体育座りしていた私。帰ってきて着替えた浴衣はベッドの上で無造作に広げられている。ほとんど一睡もせず夜を明かし、カーテンの隙間からは暖かな朝の陽射しが差し込む。遠くでかすかに聞こえる雀の声。とてもじゃないが爽快な朝とは言えなかった。
ゆっくり立ち上がり、カーテンを開き、窓から外をのぞき込む。さすがにこの時間に出歩いている人はほとんどいない。なぜだか溜息が出てくる。私はカーテンを静かに閉め、五歩ほど歩いて台所へ入った。
冷蔵庫をあけ、封の空いた牛乳パックを取り出し、棚から取り出したコップへと注ぐ。家に着いてから彼――福本のことを思い、延々と泣き続けた。短い期間だったがあいつとの思い出は私の中でかけがえのないものへとなっている。彼と二度と会えないと思うと、私の中の感情はもう止まらない。現に牛乳を注いでいる今でも涙が溢れそうだ。気付いた時には涙ではなく牛乳が溢れて出していた。
「俊……輔…………」
こぼれた牛乳に気にせず、並々次がれた牛乳を一口だけ口へと運ぶ。味がわからない。どこかからわき上がってきた溜息を大きくフウッとつき、コップをカウンターに再び置く。こぼれた牛乳を洗い場におかれた布巾で拭きとり、また洗い場に置いた。
コップに牛乳を半分以上残したまま、着物が広がるベッドへうつ伏せに倒れこんだ。ゴロンと体を転がし、まっ白い天井と向かい合う。するともう枯れたはずの涙が込み上げてくる。
「ア〜ヤちゃん、期限切れやで」
私の感情を感じ取ったのか、氷堂さんの声はいつも以上に優しかった。
「氷堂さん……、もう私は死神に戻れないんでしょうか……?」
目を横にやると、氷堂さんはうかない表情でこちらを見ていた。返事をしようと思ったが、もう泣きしゃがれて声が出ない。
「せやね。厳しいことを言うけど今すぐ福本俊輔を殺す以外、もう戻る方法はない」
すでに私の中からは除外された選択肢。今の私には彼を殺すことなんてできない。込み上げてきていた涙は流れることはなかったが、こんな姿を氷堂さんに見せたくなかった。自然に背中を氷堂さんに向け、壁に方を向く。
「ふう、ホンマに抜け殻みたいになってもうてるなぁ。もうこんな彩ちゃんを僕は見たくないよ」
呆れ気味に言った氷堂さん。もうその言葉は私には永遠に届かない。“抜け殻”、今の私にぴったりの表現だろう。
見捨てられるのを覚悟して氷堂さんを見る。困ったように頭を掻きながら、氷堂さんは続けて言う。
「その様子やったら君はもう死神に戻るつもりはないんやね?」
もう私の気持ちはすでに決まっていた。薄々でも氷堂さんはそれに気付いているようだった。
「……僕の方から彼には全部話してある。もちろん君が死神であることも、彼を殺すためにこの街へ来たこと、それでも彼を愛して自分の身を犠牲にしてまで命令に背いたこと、そしてもうすぐ彼との思い出も消えてなくなることも……」
ここで氷堂さんの声は歯切れが悪そうに途切れた。
そして大きく溜息をつくと、今できる精一杯の明るい声で私に言ってくれた。
「記憶が消える前に最後に今すぐ彼に会っておいで。昨日のあの公園へ来るように言ってあるから。それが僕から一番弟子の君にできる精一杯のことやから」
「えっ!?」
私が聞き返した時には、もうそこにはいなかった。一瞬私の周りの時間が止まった気がした。昨日は止まれとあれだけ願ったのに……。
私の体は、考えるより先に玄関へ駆けていく。靴を履き、部屋を鍵もかけずに飛び出した。エレベーターのボタンを押す。上を見上げると、エレベーターは六階で止まっている。
「もう!」
早く彼に俊輔に会いたい。エレベーターを待ち切れず、すぐ横の階段を駆け下りていく。トントンと規則正しい速い足音が上から下まで響きわたる。
会いたい、彼に会いたい。管理人すら起きていない無人のエントランスを抜けて、マンションを飛び出た。
そのままの勢いで、マンションの前の道路を渡る。幸いこの時刻に車は走っていない。そのまま道路沿いに、ずっと太陽を背に西へ走っていく。すれ違う人々が、必死で走る私を見て振り返る。ジョギングしている人が比較的に多い時間帯ではあるが、やはり今の私は目立つようだ。しかしそんなことは気にしていられない。
学校の前を通り過ぎ、神社の前を通り過ぎ、公園が見えてくる。緑の生垣で覆われた公園の真ん中に佇む一人。
「俊輔!」
そこにいるのは紛れもない、福本俊輔だった。
ゆっくり減速していき、彼の前で立ち止まる。息が荒れ、自分の膝に両手をつく。すると、彼が私に手を差し伸べてきた。
「……全部聞いたよ」
少しショックだったが、もうそんなことはどうでもいい。もうすぐ彼の中から私が、私の中から彼が消えてなくなってしまうのだから。彼の差し伸べてきた手を掴み顔をあげる。
「……嘘、でしょ?」
私を見つめる彼の眼はあの冷たいものだった。何か裏切られた感じがする。今の彼とは目を合わせられず、思わず掴んでいた手を振りほどき、背筋を伸ばし、右下を向いてしまった。
「嘘じゃないさ、死神!」
「……!?」
彼に背中を向け、私は走って逃げ出した。疲れてほとんど歩いているようなものでしかなかったが。
なんで? 自分の中でその三文字が壊れたCDのように次から次へと湧いてくる。
フラフラのまま公園を飛び出すと、こんな時間なのに車が走ってくる。
――――ドーンという音が鳴ると、私は自らの体で深紅の華を咲かせた。
ねぇ……なんでなの?
私の体は吃驚するほど軽く宙に浮いた。
「おい、大丈夫か!? 早く救急車を」
車から飛び出してきた男が、私の体を起こし助手席に座っている人物に救急車を呼ぶように言っている。車に弾かれたのだと自覚するのにそう時間はかからなかった。
自分の体に目をやると、全身が赤く染まっている。
ああ、私……、もう死ぬんだ。死神なのに情けない。ふと公園の中に目をやると、もう俊輔はいない。そこにいたのは肩より短いサラサラの銀髪と狐目の男。
『もう君は死神やないんやで?』
そう私の心に直接問いかけてくるような雰囲気を氷堂さんは漂わせていた。。
「氷堂さ――――」
私の声が救急車のサイレンにかき消されると、私の意識は消えてなくなった。
テレパシーで意識がなくなるのを知った氷堂さんは右のポケットから携帯を取り出し、メールを打ち始めた。
To 明智先生
TITLE お願いしますm(__)m
この間お話した通り、人間に成り下がった紅彩を殺しました。
つきましてはこの間お願いした通り、うまく死神協会にお願いします。
では自分の任務に戻ります。
えー、バッドエンドとなってしまいました(汗
最後に出てきた福本は本人なのか、氷堂なのか、それとも……
とにかく、短い間でしたがありがとうございました
最後まで読んでくださった方はそう多くは有りませんが、読んでくださる方がいただけでも十分うれしいです
個人的にはこの終わり方があまり気に入っていないので、もしかしたらもう数話書きくわえて別の物語にしてしむかもしれません
月一くらいでいいので覗いてくれるとうれしいです