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夕暮れの森と、天界の少女

作者: 藍乃木是羅

 錆びたような褐色の空。赤く美しい夕暮れを演出するはずの太陽は、霞み掛かってよく見えない。何故、あの太陽は姿を見せてくれないのだろう。先ほどから、そんなことが気になっていた。


 今、俺は大量の荷物を背負い、一人で山奥の森林を歩いている。この先のある場所から、とても綺麗な夕日が撮れるのだ。本当は、自分用に新品のカメラを買ってから来るつもりだったが、今朝の天気予報を聞いてから気が変わった。一生の記念になるかもしれない撮影を、雲の群れに邪魔されてはたまらない。

 俺が今歩いているみちは、凸凹していて安定感が無い。コンクリートの舗装は随分前に終わり、それからずっと土と小石が続いている。木の枝や枯れ葉なんかもそこら中に落ちている。こんなにたくさん障害物があれば、当然歩きにくい。さっきも、枯れ葉にカモフラージュされた太めの枝を踏んづけてしまった。捻った右足首がまだ少し痛むので、自然と重心が左に傾き、真っ直ぐに進めないのだ。

 山道って、こんなに疲れるものだったか?

 元々体力はある方で、この程度なら大丈夫だと思っていたが、想像以上に脚に負担が掛かる。最近はあまり来ていなかったので、感覚を忘れてしまったのだろう。だから疲れたように感じるのだ。そう納得することにした。



 この周辺には、子供の頃から父親と共によく来ていた。初めはカブトムシを捕まえたり、滝(といっても小さなものだが)で水を浴びたりするのが楽しかったが、興味は次第に父親のカメラと写真へと移っていった。夕暮れになると、決まって父親はカメラを取りだし、沈みゆく太陽を撮影した。三脚のついた、大きめのカメラだ。シャッターに指を置き、レンズ越しに赤く燃える日を見つめる彼の様子が、当時の俺にはとても印象的だった。


 ある日、父親に出来た写真を見せて欲しいと言った。その前までは、居間に飾ってある森林の写真しか見たことがなかった。父親は頷いて、自室から現像した写真を持ってきた。写真は6枚で、どれも山奥のあの場所で見た赤い日が映っている。

 最初に目がいったのは、ほぼ沈み掛けた日の写真だ。そこに映っていた空は、夕暮れというよりほとんど夜空だった。完全に暗くなっている訳ではなく、山々の上が少しだけ照らされていて、それがとても不思議な色をしていた。2枚目には、夕暮れに入る間際の景色が映っていた。ほんのりと赤みを帯びた太陽は、昼の活発さと夕方の落ち着きを併せ持っているようだった。3~5枚目にもそれぞれ特徴はあったような気がするが、細かく覚えているのは前述の2つだけだ。「真っ赤な夕日もいいけど、この写真みたいな夕日も綺麗だ」と、子ども心に思った。


 それからというもの、俺はひたすら写真を撮り続けた。まずは家からの景色をいくつか撮ってみた。庭の花壇、隣の家の畑、庭に入って来た猫なんかも撮った。そして、撮った写真はすべてファイルに保存した。最初はそんな写真を眺めているだけで満足していたが、段々それでは物足りないようになってきた。

 小学生の頃は父親のカメラを借りていたが、中学生になってからは、父親に買ってもらった新しいカメラを使った。当時は、"自分のカメラ"という響きに浮かれていたのかもしれない。撮る回数は小学生の頃よりも圧倒的に増えた。それに連れて写真の為に出かける回数も増え、帰りが遅くなって親に叱られるようにもなった。元々俺は大人しい性格で、外に出て遊ぶことも少なかったので、その変化に両親も驚いていた。俺が写真のことについて話すと、両親はとても喜んでいた。撮った写真について話をしたり、小さいころのように、また父親と出かけるようにもなった。


 しかし、俺の望む写真は撮れなかった。高校生になってからも続けたが、どの写真も平凡なものばかり。夕日の写真も、どうしても普通に見えてしまう。この趣味にハマってからは写真の知識も増えたので、目が肥えていたのかもしれない。とにかく、俺の心を打った"あの写真達"のようなものは、ファイルには一枚もなかった。

 そのうち、両親の対応も変わってきた。かつては写真を見せる度に、「すごいじゃない」とか「綺麗な夕焼けだな」とか誉めてくれたのだ。それが高校に入ってからは、「宿題はやったの?」「写真以外にも、何か趣味はないのか?」と、言葉が冷たくなっていた。そしていつの間にか、両親に写真を見せることはなくなっていた。



 過去を振り返っていたら、何だか眠気に襲われている気がした。昨日はネットで、プロの写真家の撮影した写真を見ていたのだ。気がついたら2時をまわっていた。今日が土曜日なのが幸いだったが、起きる時間を遅くしても治らないのが寝不足というものらしい。生活リズムが崩れているせいで、変な時間に眠くなるのだ。

 ダメだ、どうにも眠すぎる。しかし、こんな場所で居眠りでもしてしまえば、もれなく風邪を引いてしまう。いや、風邪どころか野生動物に襲われるかもしれない。なんとか強く意識をもって、分かれ道のところまできた。地図で見ると、家から目的地までちょうど3/4の地点だ。

 しかし、そこまでだった。足が動かないのだ。 段々と全身の力が失われていくのを感じた。そのうちに立っていることも出来なくなり、よろめいて座り込んでしまった。なんとか目を開けて睡魔に抵抗していると、急に目上に影が現れた。夕日が完全に隠れてしまったのかと思い、その方向を見つめると、見慣れない人の姿があった。


「あの……」


 女性の声、というより少女らしき人の声だ。心細いような、とでも小さな声だ。道に迷ってしまったのだろうか? 自分に話し掛けられているのだとわかり、立ち上がって返事をした。


「あ、はい。何ですか?」

「あなたは……人間?」


 ……えっ?

 何を聞いているんだこの人は? というかあなたは人じゃないんですか?

 声にはならなかったが、心の中で疑問をぶつけていた。その気持ちは、驚きの表情として表に出ていたらしい。


「あ、ごめんなさい。変なこと聞いて」

「えっと……?」

「私、天界に住んでるの。でも、急に何かに引きずり込まれて、目が覚めたらここにいたの」


 天界? なんの冗談だろうか。それとも頭でも打ったかな。自分でこんなことを思うほど、俺の頭はこんがらがっていた。幻聴の類いだと思い、そのまま進もうとした。


「待って! あなたに聞きたいことがあるの」

「え、あぁ、はい」


 幻覚ではないその人陰に再び尋ねられ、おぼつかない口調で返事を返す。眠い目をこすって相手に視線を合わせるが、やはり少女のようだ。その少女はこう質問してきた。


「この先で、夕日が見える場所を知らない?」

「え……なんで夕日?」

「"夕日には特別な力がある"って聞いたことがある。そこならきっと……」

「まあそれなら、これからちょうど向かうところだけど」

「……私もいっしょにいっていいかな?」

「別に、いいけど」


 話の半分も理解できていなかったが、あまり深く追及しなかった。俺は彼女を連れて、分かれ道を右に進んだ。



 2、3分くらいの間、俺と彼女は無言のまま並んで進んでいた。何か話そうと思ったが、特に思いつかないのだ。いやむしろ、"天界"ということに関しては聞くことだらけなのだが、何か触れてはいけない気がしたので聞いていない(本当に幻聴の可能性もあるので)。


「……あなたは、私が天界から来たって言ったこと、疑わないの?」

「多少は引っ掛かるけど……。まあ、特に聞く気もないよ」

「そっか……。こっちの世界で疑わない人は、あなたが始めて」


 "天界"というのは幻聴ではなかったようだ。他の人はそれについて疑ったらしいが、俺は割とすんなり受け入れてしまった。やはり、俺はどこか他人と違う思考回路をしているのか? 友人にそのような事を言われた気がする。


「他の人にも話しかけたんだけど、信じてもらえなくて」

「そりゃあ、だと言われても普通は信じないよ。俺もまだ、完全には信じていないし」

「やっぱり、そうだよね……」


 もともと静かな彼女の声のトーンが一層低くなって、少なからず落ち込んでいるのがわかった。いけない、何かフォローしないと。


「あ、でも、君を案内するくらいなら問題ないよ。それにほら、夕日って綺麗だから、俺も好きだし……」

「うん、ありがとう」


 そう言って、彼女は微笑んだ。後半は訳のわからない事を言ってしまったが、取り敢えずフォローは成功、といったところか。

 その彼女の微笑みを目にしたとき、俺は初めて彼女の姿を注視して、驚いた。会った時点で見ていたのだが、眠気のせいかぼんやりとしか見えなかった。まさか、こんな真っ白な長い髪、そして蒼い目をしているなんて考えもしなかった。"天界"のイメージとも合っていて、とても美形だ。


「どうしたの?」

「いや、何でもない」


 彼女に勘づかれたと思い、俺は慌てて視線を戻した。また無言が続く。

 足元に木葉と長い木の枝が現れたので、今度こそは引っ掛かるまいと、軽く足を持ち上げて避けてやった。結果、木葉のカモフラージュを剥がして、木の枝が露になった。意図した訳ではないが、仕返しをしてやったみたいで少し上機嫌になった。

 再び地図を見る。その場所まであと1kmくらいだ。


「……あのね、天界って言っても、ほとんどこの世界と変わらないの。街や川や山があって、たくさんの人が住んでる」


 少女が再び口を開いた。


「そうなんだ。でも天界っていうと、神様とかが居そうなもんだけどな」

「もちろん居るよ。私は見たことないし、周りの人もみんな見たことないけどね」

「ここに迷い込んだって言ってたけど、そんなことってあるのか?」

「……わからない」


 天界とこの世界が繋がったか、あるいは境界がなくなったか。いずれにせよ、彼女の話を信じるならば、この世界以外に別の世界が存在することになる。もっとも、信じられる要素はほとんど何処にも無いのだが。ただ、本当なら面白そうだというだけで、彼女の話を信じることにしていた。


「私たちにはお仕事があるの。こっちの世界の人たちのお手伝い」

「お手伝いねぇ……。でも世界が違うんじゃ、何もできないんじゃないか?」

「直接干渉する訳じゃないの。私たちのお仕事は、人の悩みを解決する手助けだから」


 彼女は、自分の"お仕事"について話を始めた。


「ある人が悩みを抱えていたら、まずその声を聞いてあげるの。でも、その人の前に現れたりはしないよ。そういう人は、誰かに話を聞いて欲しいって思っているはずだから、その心の声を聞くの」

「心の声なんて聞けるのか。てか、それだとまるで、独り言を盗み聞きしているみたいだな」

「……そう言われると、なんか話しずらいんだけど」


 彼女は唇を結んで、少し不機嫌そうな表情を作ってみせた。これは余計なツッコミだったか。


「ごめんゴメン。で、話を聞いたらどうするんだ?」

「その人を見守るの。悩みが解決するまでずっとね」

「……それだけ?」

「うん」


 彼女は"お仕事"と言ったのだが、実際にはすることはほとんどないらしい。俺はてっきり、仕事というからには"魔法"とかでも使うのかと思っていた。しかしその辺は、むやみに干渉してはいけないのだろうか。


「悩みを聞いたからって、私たちがしてあげられる事はあんまり無いの。その人が何年もずっと悩み続けているようだったら、ヒントをあげることもあるけどね」

「例えば、どんなヒントだ?」

「悩みの原因を教えてあげるの」

「それ、ほとんどの人はわかっているんじゃ……」


 やっぱり、この子は暇なのだろうか。最初の注文が悩みの相談相手で、追加オーダーが悩みの原因を教えること。この一連の流れで、彼女は何も特別なことをしていないような気がする。

 しかし、彼女は首を振った。


「ううん、本当は皆わかっていないよ。悩みにも色々あってね。悩みそれ自体は大きなことじゃなくても、原因になることはとても大きいこともあるの。例えば、"友達ができない"とかね」


 これについては、俺も少し心当たりがある。内気なせいで、小中の時は友達が中々できなかった。それが高校では、このマニアックな趣味でも気の合う友人ができたのだ。

 もちろん、俺自身も努力はした。前までは半ば「対人恐怖症」だったが、クラスメイトに積極的に話しかけた。周りの視線が気になって発言できなかった授業も、機会があればドンドン発言した。気は進まなかったが、クラス委員長に立候補さえした。


「友達ができないのは、結局はその人の努力次第だろ?」

「それだけじゃないよ。努力して友達が出来れば、悩む人なんかいないよ」


 俺の至極単純な結論は、これもまた単純な意見によって打ち砕かれた。それはまさにその通りだ。


「その人は"友達を作りたい"って思って、色々な努力をするよね。でもそれって、簡単にできることじゃないの。自分の行動や立ち振舞い、もっと言えば、自分の性格をかえようとしているんだから」

「……なるほど、そりゃ大変だな。何しろ今まで自分が浸かっていた生き方を、途中で無理やりねじ曲げるんだからな」


 彼女の言葉には、何とも言えない説得力があった。少し考えればわかりそうなことだが、案外気づけないものなのだろうか。


「だからね、その人は自分の生き方に直面していて、自分を変える努力をしているの。その難しさが悩みの原因。もしそれに気づけなかったり、挫けそうになったりしたら、私たちが助けてあげるの。"あなたは良い方へ進んでいるよ"って」

「……じゃあ、もし途中で踏み外したら?」

「連れ戻してあげる。いきなりじゃなくて、ゆっくり時間を掛けて」


 足に少し大きめの丸石が当たった。危うく、目的を忘れてしまうところだった。すっかり話に夢中になっていたようで、地図を見るとすでにあと500mもないほどだ。空を見上げると、既に夕日が沈みかけている。空は相変わらず淀んでいる。天気予報は快晴のはずだったが、外れたらしい。


「そろそろ着くよ」

「うん」


 それだけ言うと、また言葉が途切れた。"天界"だの"悩みの原因"だの日常感のない話をしていたせいか、急に現実に引き戻された感覚がする。しかし、この沈黙は、最初のそれほどは長く続かなかった。

 会話の始まりは、また彼女の言葉からだ。


「……もしかしたらね、私がここに来たのも、そういう理由かもしれないの。悩みの原因を見つけたから」

「悩みだって? もしかして、俺が悩んでるってか?」


 彼女はそれには答えず、じっとこちらを見つめている。それが肯定の返事だということは、すぐに理解できる。


「……違うかな。ただ本当に偶然ってこともあるよ。けどね、そうじゃないかもしれない」

「俺は今、悩んでることなんかないぞ。友達も無事できたし、あとは道筋通りに生きていくだけだ」


 ここで、彼女の歩みが止まった。俺は思わずその方を見返した。彼女は俺の方を見るのではなく、真っ直ぐ前方を見据えていた。真剣な表情で、その蒼い目の微かな輝きは、何かを確信したものだった。


「ーーあなたは今、自分の歩いている"みち"に不安を感じている。そうかな?」


 すぐには答えられなかった。否定することも肯定することも、何かが違うのだ。そしてすぐに気づいた。

 これは質問ではない。質問の形をとった、断言だ。


「それは、どういうことだ? それが俺の悩みっていうやつか?」

「あなたは今まで気づいていなかったけれど、あなたの心はずっと"摩擦"を起こしていた。そして今、自分でそれに気づくことができた。そういうこと」

「……」


 先の会話の内容が、丸ごと自分に返ってきてしまった。それはもう完璧に、今の心境をピタリと言い当てられてしまった。たったこれだけの、さして難しくもない言葉に。


「……参ったな、その通りだ。"悩んでることなんかない"なんてカッコつけてしまったが、その実は悩みだらけだ。特に最近はね」


 彼女は僅かに頷いた。視線は動かさず、尚も沈黙している。この姿勢が彼女の言う、"悩みを聞く"ということか。


「一番は、将来のことかな。子どもの頃は写真に夢中でな、そればっかりしていれば満足だったんだ。それが、今はそうもいかない。父さんも母さんも、やたらと俺のことを心配してくる。自分の生き方くらい自分で決められるって思っていたが、そんな簡単じゃないみたいだ」


 俺は思い付く限りのことを話した。写真のこと、父親と共に出掛けたこと、そして今現在、考え続けている"自分の将来"のこと。話している間、彼女は俺の話に口を挟まなかった。微動だにせず、ただ、白い髪だけがそよ風になびいていた。

 その時間は、長いようで僅か数分。俺の話が終わると、彼女はようやく口を開いた。


「君の答えは、もう出ているかもしれないよ」


 それがどういうことか、理解するのにはあまり時間を要さなかった。俺は話しているうちに、答えへと近づいていた。


 俺の将来を心配しているのは、俺一人だけではない。家族、親戚、友人と、周りにもその心配を共有する人がいる。それを俺は、すべて要らぬ心配としてはね除けていたのだ。


 ――写真ばっかり撮って、それで大丈夫なの?――


 ――お前もそろそろ、将来の自分の仕事について考えてみるべきじゃないか?――


 ――お前、将来写真家か? よく知らんけど、結構難しいんじゃないのか?――


 自分の意志を強く持つ人と、強がる人は違う。前者には余裕があって、周りの意見も取り入れる。しかし後者は余裕の無い状態で、周りになんか気を遣っていられない。その結果、独りよがりの無舗装な道を歩み、自滅する。

 それでは駄目なのだ。自分の考えに自信を持てないままでは、将来への道など歩める訳がない。


 自分なりに考えがまとまってきたのを感じた。俺は、依然として空を見ている彼女に言った。


「……俺は少し、自分勝手だったのかもな。もっと皆に相談して、慎重に決めるべきだった。決して適当に決めた訳じゃないから、写真家になりたいって気持ちは本当だ。それも、君に話してようやく確信できたよ」

「自分の考えに自信を持てたみたいだね」

「自信と呼べるかどうかはわからないけど、家に帰ったら両親に話してみるくらいの覚悟は、できたかな」

「……良かった。あなたが笑ってくれて」


 そう言われて、初めて自分の表情がほころんでいることに気づいた。慌てて彼女の顔を確認すると、視線の先は空ではなく、俺だった。俺の戸惑う姿を確認すると、しばらく止めていた脚をまた動かし始めた。先ほどより少しスピードが速いようだ。置いていかれないようについて行くと、彼女はついに走り出した。それ以上のスピードには追いつけなかった。

 荷物の重さに耐えながら、彼女の居る場所へ着いた。それは同時に、目的地への到着であった。少し景色が記憶と違ったが、かれこれ3年ぶりなので記憶と違っても不思議ではない。

 彼女は夕焼けの下で、こちらを向いていた。


「特別に、あなたに1つヒントをあげる。あなたは自分の道を歩むつもりでも、色々な人に影響を受けると思うの。それを聞き入れることはもちろん大事なこと。でもね……」


 白い光が、蒼く輝く瞳を照らした。


「自分の気持ちも、大事にしてあげてね」


 太陽はさらに白く、明るく輝いた。その光は徐々に視界をぼやかしていった。こんなときに、また睡魔が襲ってきたのだろうか。

 どうしても目の前の光景を見たくて、必死で目を開けた。ピントが合ったとき、彼女は"驚き"の表情をしていた。そして日の明るさは限界に達しーー


挿絵(By みてみん)



 意識がはっきりしない。今まで俺は何をしていただろうか。

 目を開けると、夕暮れの橙色が目に入ってきた。少し青みがかっているのは、日の入りが近い証拠だ。何故、俺は夕日を見ているのか。こんなところに寝転がっている時間はない。体を起こさねば……。

 そして周りの景色を確認して、俺は困惑した。最初に眠気がした、あの分かれ道だ。確かに、目的地までたどり着いたはずなのだが。一体何が起こっているのか、理解が追い付かない。


 10分ほど座りこんで考えていた。そして、一つの結論に達した。

 分かれ道の前で座り込んでしまったとき、本当は眠ってしまったのだ。夢の中で目的地にたどり着いた。そして、目が覚めた。だから、元の連れ戻されたように感じたのだろう。腕時計を見ると、ここに来たときから時間がさほど進んでいない。夢の中の体感時間が、現実の時間よりも長かったために、こんな現象が起きているようだ。

 しかし、謎はまだ消えていない。俺は確か、夢の中で"誰か"に出会ったのだ。友人だったか、それとも見知らぬ人だったか。変わった容姿をしていたが、記憶に残っていない。そして、その人と何か大切な事を話した気がするのだが、それもまた覚えていない。

 何かが引っかかるまま、俺は分かれ道を左に曲がった。


 ――自分の気持ちも、大事にしてあげてね――


 ふと"彼女"の声が横切った。とても細いが、心に響く声だ。白く長い髪、蒼い目。徐々に記憶が戻ってくるような感覚がする。

 木々に囲まれていた景色が開けた。夢の中よりも距離が短いと感じて、地図を確認した。そこで俺は、分かれ道を間違えたことに気づいた。今から引き返しては間に合わない。術もなく、取り敢えず景色を見渡すことにした。

 そこは意外にも絶景だった。望んでいた場所とは違うが、そこにある空は、俺が求めていたようなものであった。沈んでしまいそうで、それでいてまだ光を発している。あの父親の写真に似た景色だ。そして、夢の中に見た光景と一致していた。


 カメラを設置し、撮る用意は既に完了した。あとは、この指でシャッターをきるだけだ。霞がかっていた太陽は、今はとても明るく、よく見える。チャンスだ。

 照準を合わせながら、記憶の片隅に"彼女"の顔を思い浮かべていた。この写真は、"彼女"のために撮ろう。そう思って、指に力を込めた。

 短く、カメラの音が鳴った。空は綺麗な橙だった。

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