乙羽と双葉家
必ず!...必ず戻ってくるからっ!
お母さまぁぁぁ...
暗闇の世界から夜景の綺麗な世界へ彼女は落ちていった。
美しい点々と光が散らばる夜空のような世界へ吸い込まれるように
4月1日午後8時。
夜空には“月だけ“が輝いている。
美里町の駅前から少し外れた住宅街では、白いコートに桃色のストールを巻いた少女がキャリーケースをゴロゴロ響かせ歩いていた。春と言っても夜間はまだまだ寒い。冷えた夜風がセミロングの髪をふわふわ揺らす。白い吐息が夜空に吸い込まれていく。帰宅中のサラリーマン達と何度もすれ違い、少女はスマホの示す目的地へ向かった。
「...と、この辺かな?」
彼女の見つめるさきには2階建ての一般的な住宅。開札には「双葉」と書かれている。
「彼らのこと、全然覚えてないや。今日からここが私の...、!」
ガチャ
「母さんコンビニ行ってくるわー!...っと?!あぶね!」
玄関前でインターホンを押そうとした彼女の前に小柄な男子高校生が勢いよく現れた。
短髪のジャージ姿で現れた彼は乙羽より10センチくらい身長が高い。160センチくらいだ。運動部だろうか、スマートな体型で少し日焼けしている。彼は突然現れた彼女を見て驚いていた。
固まる2人。
だけどなんだか懐かしい...?
お互いふとそう思った。
「お前、誰?」
先に口を開いたのは彼だった。
「聖ちゃんもうちょっとで乙羽ちゃんが、あら!いらっしゃい」
玄関の奥の扉から髪を斜めにまとめた綺麗な女性が出てきた。
30代だろうか、彼と身長はほぼ同じくらい、可愛い花柄のエプロンの上からでもわかる立派な胸。スタイル抜群だ。
“綺麗な方...モデルさんみたい“
乙羽は少しの間見とれて立ち尽くした。
「は、はじめまして!今日からこちらでお世話になりますっ!
桜 龍彦と鈴音の娘の乙羽です。両親が南極調査に行っている間よろしくお願いします‼」
乙羽は少し緊張しながらお辞儀した。
「?!え、何何?どういうこと?!俺聞いてないよ?母さん‼」
彼は慌てて乙羽と女性を交互に見た。
「久しぶりね!乙羽ちゃん、前会ったときはあんなに小さかったのに。乙羽ちゃんは覚えてないか、双葉 葉月です。こっちは息子の聖夜よ。弟の方ね。」
聖夜の母葉月は「ささっ上がって」と家の中に招いた。
キャリーケースを玄関に置き、リビングへ。
ソファ前のテーブルにはチューリップの花が丁寧に花瓶に生けてあった。双葉家のリビングには聖夜のだろうか、サッカーボールや部活カバンが散らかっていたものの、とても綺麗に片付いている。ところどころに可愛らしい花や置き物がレイアウトされていた。どうやら葉月の趣味のようだ。電話の横にはトロフィーや賞状がいくつか並んでいた。
葉月は聖夜と乙羽をソファに座らせホットココアを出した。
「改めましてようこそ、双葉家へ!たっちゃんとリンリン、いえ、あなたのお父さんとお母さんとは大学時代のサークル仲間よ。」
ニコっと葉月はとても優しそうな笑顔を向けた。
「母さん!俺聞いてないよ!
...女の子と ど、同居するなんて!明夜しか兄弟いないし。」
聖夜は恥ずかしそうに視線を反らした。
「あれ?そうだっけ?聖ちゃんには言ってなかったかしら。」
ガチャ
再びリビングのドアが開いた。
「ただいま。母さん頼まれてたネギ買ってきたよ。」
聖夜より少し低い落ち着いた声の男子がリビングに入ってきた。
聖夜とおんなじ顔をしている。彼の方は聖夜より少し身長が高く眼鏡をかけている。いかにも秀才なオーラを漂わせた彼は参考書や教科書が入って重そうなバックを肩からかけていた。
...そこからネギが生えていたのは驚いたが。
「おや、あなたが桜さんか。はじめまして、というより久しぶり?かな。双葉 明夜だ。そこのサッカーバカの兄。」
明夜は乙羽がくることを知っていたようで落ち着いて答えた。
「ちょ、明夜!サッカーバカってなんだよ!ちょっと勉強できるからって!、それより明夜、この子のこと知ってたのか?」
少し怒り気味に聖夜は言った。
「お前、母さんが話してるときテレビでサッカー見ながら空返事だったろ?」
明夜は呆れながら言った。聖夜は抜けているところがあるようだ。
「それに俺らは小さい頃何度か会っている。俺もよくは覚えてないがな。」
それから葉月は2、3歳くらいに数回会ったことがあるということ、桜家が遠くに引っ越してから会えなかったこと等を語った。
「今夜はひろ君も遅いから先にご飯にしましょう!」
葉月は自慢の手料理をテーブルに並べた。
「いきなり男兄弟の家に同居なんて...///」
聖夜は小さい声で照れながらぶつぶつ言っていた。
こうして双葉家での乙羽の生活が始まった。