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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ヤンデレ短編

聖女に祈りを、神に刃を

「あなたは法王になるの」


 そう母である王妃が言ったのは、私が七歳のときのことだった。

 ハーゼンバイン国では代々、王になるのは嫡男で、次男が最高位の聖職につくことが決まっている。そうして、政治と宗教によって国を治めてきた。

 だから、さしたる反対の声をあげることなく、私は法王になるのだと思っていた。兄になにかあったときのために帝王学も学んできたが、幼少時の私のおもな仕事といえば、現法王のもとで祭事について学び、神に祈ることだった。

 幼いころによく覚えているのは大聖堂のなかにあった、少女の肖像画だ。黒髪黒目の、あきらかにこの国の者ではないすがた。――その神秘的なまなざしに、一瞬で心を奪われた。


「……この女性は、」


 自分より高い場所にかざってある絵を見上げている私に、となりにいた法王が答えた。


「聖女だよ」


「聖女?」


「いつか、この国を救ってくださるかただ」


 意味がわからず、私は眉根をよせた。いつかって、未来の話だ。過去のことじゃない。なのに、絵として描かれている。

 私が顔をしかめたのを見て、法王は笑った。


「これはね、半世紀前に予言者が描いた絵なんだ。いつか、この国にとんでもないわざわいが降りかかるだろう、と。それを回避してくれるのが、魔法使いの手で異世界から呼び出されたこの聖女なのだ、と聞いているよ」


 絵空事えそらごとだ。

 そう、私は笑おうとした。けれど、その少女の澄んだ瞳を見ていると、かるく笑い飛ばすこともできない。


「――法王猊下げいかはそれを信じているのですか?」


「さあ? でも、宗教もそうたいして変わらないよ。僕らの仕事は、目に見えないものをあると信じさせること。だから、僕はこの予言を否定しないけれど」


 そう、くすくす声をたてる法王を、私は半眼で見やった。


「国の最高位聖職者ともあろうかたが、そのように神を軽んじることをおっしゃるのですか」


「祈ったときに、神などいない。今までずっと、そうだったからね。……でも、そうだな。もしも、この少女が僕が生きているあいだに目の前に現れたら、心の底から神につかえてもいいけれど」


 そう、法王は軽口をたたいた。

 私は、神など信じていなかった。けれど、初めてこの瞬間、神を信じたいと思った。この聖女をつかわせてくれるのなら。




 それから、私はひまさえあれば、その肖像画を見ていた。


「……こんにちは」


 声をかけても、少女は答えてくれない。ずっと口をつぐんで、意味深にこちらを眺めているだけだ。

 護衛は離れた場所に立っている。時計の長針が一周まわるほど経ってから、従者が私のもとへやってきた。


「マティアスさま、そろそろ王城に行かねばお時間が……」


「ああ、もう、そんな時間か」


 私はため息をおとして、椅子から立ち上がった。ふとした衝動で、私は従者を見つめて、訊ねた。


「ねぇ、私は何のために城に行くのだと思う?」


「はっ……それは、政治を学ぶためです。それがいつかきっと王になる兄君の支えとなり、国を豊かにすることにつながりますので……」


 模範解答のように答える従者に、私は笑ってしまった。いじわるな気持ちがわいてきて、私はさらに問いを重ねる。


「私は法王になるのに? それは直接、政治には関わらないでしょう?」


 そう口角をあげて言うと、従者はぐっと言葉につまったようだった。

 私は代替品だ。

 兄に何かあったときに、代わりに王になる器。

 だから、こうして政治について学ばされている。ほとんど役にたつことはないだろう知識を詰め込まされている。

 法王には妻帯権はない。

 表向きの理由は、清らかな身でないと神につかえられない、という文言をかかげられているが、じっさいには違う。いつからか、そのことに気付いてしまった。

 ――王位継承権の争いをなくすため。

 いつからだろう。この国では玉座をめぐって血で血を洗うような内戦を繰り広げたことがあった。だから、かつての王が嫡男以外の男児に『法王』という枷をあたえて、血縁争いを未然にふせごうとしたのだ。


「……それがこの結果」


 私は、ぽつりと口のなかでつぶやいた。

 政治からもっとも遠い王族でありながら、いつかくるかもわからない代替品としてまつりごとを学ばされている。この国のために祈りながら。




 十代前半に、私は荒れた時期があった。

 王族ゆえなのか、家族の縁もうすく、周囲には私をうやまう者ばかりだった。ゆいいつ気を許せたのは血縁である法王だけだったが、彼すら困らせるほど私は街を遊びまわっていた。そのたびに、忙しいはずの彼が仕事の手をとめて、私を怒りにやってくる。


「お前は、何が不満なんだ」


「生まれたことが不満です」


「お前は子どもか! いや、まだ子どもだった……! お前の言動がいつも大人びているから、うっかり失念していたが、お前はまだ子どもだったな」


 なぜか、己に言い聞かせるように養い親は言った。

 私は、ぷいっと法王から顔をそむけた。


「聖女がきてくれたら、神を信じてもいいです」


「……僕みたいなことを言うな」


 ぼりぼりと、法王は頭を指でかいた。

 その瞬間、ふいに、涙腺がゆるみそうになった。ああ、きっと彼もこんな気持ちで、あの絵を見たときにそう言ったのだ。

 もし、聖女がいるなら信じてもいい。自分の役目に意味があることを。神がさだめたこの場所に、私がつかわされたのだ、と。

 だから、はやくきて。

 私が死んでしまう前に。




 日々、祈りをささげながら、私は考えた。

 ――どうやったら、聖女は私のもとへきてくれるのだろう?

 いっそ、自ら召喚してしまえばいい。最初は、そう思った。そして何人もの魔法使いを買収したり脅したりして、ひそかに召喚の儀を行わせたが、すべて失敗に終わる。

 この国には宮廷魔法使いがいる。

 魔法使いのなかでも、最高峰の実力者たちだ。きっと、聖女を召喚できる者がいるとしたら彼らのうちの誰かだろう、と私は思った。

 けれど、彼らは国王の命令でなければ、動かない。

 そもそも召喚の儀はむずかしく、数人もの高位魔法使いが数日かけて呪文を練り上げておこなうものだ。それでも成功する確率は低い。

 そういえば、法王は『いつか、この国にとんでもないわざわいが降りかかるとき』と言っていた。

 ならば、この国にわざわいを起こせば……?

 悪魔が耳元でささやいたようだった。




 私の思惑は成功した。

 はじめてじかに目にした彼女は、聖女と言って差し支えない。つややかな黒髪で、きめ細やかな象牙色の肌をしていた。

 肖像画のとおり、おそらくは十五、六歳くらいだろう。

 偶然にも、私も十七歳を迎えたばかりで、年がちかいことに内心歓喜した。

 召喚のための魔法陣の上で、彼女はきょとんとした顔で周囲にいる人々を見まわしている。私ははやる気持ちを抑えて、彼女に近づいた。


「はじめまして、聖女さま。私はマティアス・ヴィルシュタイン・ハーゼンバイン。この国の第二王子であり、法王です」


 彼女の目の前で膝をつき、手をとってその甲に口づけを落とす。

 聖女の頬が赤らんだ。私を見つめるその瞳は羞恥心のためか潤んでいて、私は人目もはばからず口づけしたい衝動にかられた。


「ずっと、貴女をお待ちしていました」


「待っていた……?」


「ええ、もう、ずっと」


 十年間も。

 笑みをこぼすと、聖女は私の顔をほうけたように見つめていた。そして、落ち着かない様子で己の格好や周囲を確かめている。


「ここは……? どうして、わたしはここにいるの?」


 聖女は、召喚されたことを理解していないらしい。まわりにいる者が答えようとしたが、私は手をあげてその言葉を制した。

 彼女と話すのは私だけでいい。


「ここは、ハーゼンバイン王国。この国は現在、奇病によって多くの国民が苦しんでおります。そして、隣国の情勢もあやうく、いつ攻め込んでくるかもわかりません……。こんな状態のなかで攻め込まれれば、病に侵されたこの国は滅んでしまう」


 私は大げさな身振りで、この国の情勢を説明した。

 彼女の瞳に理知的な色がともる。私の話に興味を持っているのだ。ああ、きっと、この娘は愚かではない。


「貴女は、この国を救うために、神につかわされた聖女なのです」


 感動すらおぼえながら、私はそう言った。


 私は神に誓った。

 もしも聖女がいるなら、神を信じよう、と。

 でも、もしも、私がこのわざわいの原因だとしたら。


 聖女は、私を滅ぼすのだろうか。

 ――それとも。



 ◇ ◆ ◇



 もしかしたら私は狂っているのかもしれない。数十人を殺したくらいで止めておけば良かったのに、彼女がいつまでも現れなくて歯止めがきかなかった。

 何百何千もの犠牲の上に、ようやく聖女が現れた。

 神につかえる者として、恥ずべき行為だ。

 もちろん、誰かのせいにするつもりはない。すべて私の行いだ。きっと、過去に戻れたとしても、私は同じだけ民を殺すだろう。

 私はきっと何度でも、彼女が倒すべき『悪』そのものになって、彼女の前に膝をつく。


 けれど、予想に反したことが起きた。

 私の正体を知った彼女が、思い悩んだ表情で言った。


「これまでのことを悔い改めて、これからはこの国の民のために生きてほしい」と。


 世界でもっとも悪徳なおこないをした法王として死ぬ覚悟もしていたというのに。なんという笑い話だろう。

 誰もいない玉座の間に、私の笑い声だけがひびく。

 人払いしているため、周囲には私と聖女以外に誰もいない。病魔は温室育ちの兄を侵し、いまは私が代理として国王の職務をこなしている状態だった。

 王が不在では形にならないと言って、側近たちは一日も早く私が戴冠することを望んでいるらしい。これほど、王にふさわしくない者はいないのに。法王だからいまさらか。

 聖女は、血の気のひいた顔をしている。

 よほど、勇気の要る言葉だったのだろう。彼女の細い肩は小刻みに揺れている。こんな悪党を前にして、勇敢な女性だ。

 彼女は病気になった人々を調べあげ、その原因を特定した。

 最終的に私が脅していた魔法使いが真相を口にした、という形だった。

 聖女の行動は、すべて私の耳に入っている。彼女の侍女として召し上げられた女は、私の息のかかった者だった。聖女を危険から遠ざけ、ちくいち聖女の行動を報告するように、と伝えていた。


「手がかりひとつ与えていなかったのに、よく私の正体を見破りましたね」


 私は惜しみない拍手をおくりながら、玉座から立ち上がった。その瞬間、聖女が後ずさりする。

 腰に剣をおびていないのは、護衛の者たちが玉座の間に入る前に止めたのだろうか? それとも、敵意がないことを示すためだろうか?


「……だとしたら、甘い」


 彼女が扉のほうへ逃げていく前に、私は彼女を捕まえた。

 彼女の両手をつかみ、後ろでひとつにまとめあげる。声を出せないように口を手で封じると、彼女は目を見ひらいた。

 両手がふさがっているので確認はできないが、彼女の衣装におかしなふくらみはない。隠しナイフなどは持っていないだろう。

 つくづく、甘い。


「悔い改めろ?」


 私は込みあげる笑いを耐えるために、彼女の肩に顔をうずめた。

 首もとのひらいたドレスだ。

 直接、吐息が肌にかかったためか、うつむいて落ちてしまった私の髪が肌を撫でたためか、彼女の肩が震える。


「何のために?」


 そう問いかけると、彼女が何か声を発しようとしたのか、うめき声をあげた。口をふさいでいるからだと、遅ればせながら気づく。

 口元を押さえていた手を離しても、彼女は声をあげなかった。

 もしかしたら、声をあげれば衛兵が飛んでくるかもしれないのに。ああ、そうなっても、兵士たちは王の代理である私の意のままに動くと思っているのかもしれないけれど。 


「……こんなことをしたら地獄に落ちるわ。聖職者ともあろうひとが」


「大丈夫です、神などいませんから。地獄もありません」


 私が微笑むと、彼女が顔をしかめる。


 ああ、私は、ひとつ嘘を吐いた。それは懺悔せねばならない。

 ――神を信じる、と。

 けれど、今は神はいないと確信している。

 だって、もしも神がいるなら、私のような悪党を生むはずがない。

 それに、病に苦しみ、神に祈りをささげている民を、見捨てるはずがない。

 それなのに、もしもいるとしたら、ひどく身勝手な神だ。

 民を救わない神ならば、いないのと同じではないか。


 聖女が言った。


「マティアスさまは、今やこの国になくてはならない存在になっている……。あなたがいなくなれば玉座が空位になってしまうし、また争いの元になってしまう」


「だから、王になれと?」


「……あなたは頭が良いから、愚かな政治もしない。代理で政治をしているすがたを見て、そう思ったの。悔しいけれど、あなたしか適任者がいない」


 まつりごとなど、どうでもいい。

 でも、彼女が。


「貴女は、私を赦すと?」


「……っ。赦す、赦さない、じゃない。今はそれしか選択肢がないだけ。あなたが愚王になるなら、私は容赦しない。刺し違えても、あなたを倒す」


「今だって殺せなかったのに、私を殺す? お笑い草だ」


 とても愉快な気持ちになって、私は腹をかかえて笑った。彼女の顔は紅潮しており、涙さえも浮かべている。


 ――ああ、彼女は心まで清廉なのか。

 本当に彼女は、清くて、正しくて、聖女にふさわしい。


 そして、私は心まで悪党で、悪役にふさわしいのだろう。


「良いでしょう。貴女の望むとおりにします。さて、取引しましょうか?」


 地位も名前も、捨ててもかまわない。

 彼女がそばにいてくれたら。

 そのためだけに、多くの民を犠牲にしたのだから。


「貴女が私のものになることが条件です」


 彼女は目を剥いた。

 そしてしばらくして、身を震わせながら頷く。ひどく屈辱そうな表情だった。困惑と羞恥心を秘めている。私のような醜悪なけだものに身を穢されるのだから、嫌がって当然か。


 きっと、彼女の身を穢しても、彼女の清らかさは失われないだろう。

 そして、私はいくら身を清めても、内に眠る醜悪さからは逃れられない。


 誰かのために無条件に身を捧げることができる彼女が、まぶしくて仕方がなかった。

 神などいない。

 けれど、彼女には祈ってもいい。そう、思えるほどに。



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