遡及
僕は殺してしまった。殺してしまった、人を。僕が、この手で殺した。殺した。殺した。僕が……。
膝を抱え丸まり空間の中央に僕は位置する。無の空間。そこでは言葉と事実だけが僕に襲いかかり、僕はそれから逃れられない。
延々と永遠に淡々とそれは繰り返される。
「ゥゥウ」
耳を塞ごうと言葉は聞こえ、目を閉じても視界には殺した光景が繰り返す。
いつか慣れるのだろうか。僕はふと思う。
しかしその時にこのままでいられるだろうか。今のこの僕のままで。今まで生きてきて僕という人間を構成する要素は何一つ変わることはないのだろうか。
「人を殺したんだ、僕は」
呟きは掻き消されること無く不思議と辺りに反響する。
僕は気づいていた。これが夢であることを。しかし意味がない。意味を成さない。この地獄から開放されないのだから。僕が目覚めるその時までこれは続くのだろう。
時間の感覚も曖昧な悪夢のなか、僕は何も出来ない。ただ待つだけ。終りが来るのを静かに待つ、それだけが僕に残された選択だった。
どれぐらいの時間がたっただろうか、一秒、一分、一時間、一日、一年、わからない。しかしそれは聞こえた。
「人を殺したんだね」
マシロの声だ。幻聴かと僕は顔を上げると、そこにはマシロがいる。見下ろすように、見下すように、感情を感じさせない瞳が僕を映す。
「僕を見ないでくれ」
何も言わずに視線を少しも動かすことのないマシロ。それこそ人形のように動くことなくマシロは微動だにしない。
「……頼むよ」
懇願するように僕は言葉を絞り出す。
それでもマシロは動かない。僕を責めるかのような視線が突き刺さる。
「もう、見るなよ」
声を荒げて拒絶する。
睨むようにマシロを見上げる。
「私も殺すの」
僕の目つきが変わると途端にマシロが喋りだした。悲しげな表情に変わるマシロは僕を苦しめる。
「殺さないよ」
「でもライアは人を殺した」
「でも殺さない」
「どうしてそう言えるの」
力強いマシロの言葉に僕は一瞬息を呑む。
「……マシロだから」
僕が紡いだ言葉は呆気無く、理由と言うには弱いものだった。
「ならシラ姉は殺すの? リヲンも殺すの? みんなみんな殺すの? 私以外の全員をライアは殺すの」
「違う、僕は……」
誰も殺さない。
言葉が出ない。殺さない、その言葉は僕にはもう使えない。0と1は明確な線で分けられ、決して交わることはない。
そして僕はそれを越えてしまった。
「ハハハ」
僕は笑っていた。
笑う、嗤う。
かすれて枯れた声で自らを嗤う。滑稽な自分が可笑しくて仕方がなかった。
「もう戻れない」
涙が頬を伝う。温かい雫は止まること無く、僕の瞳からこぼれていく。
「僕はこんなにも弱かったんだ」
情けない自分を嘆く。たかが、と殺しを軽んじ、僕は自身を嘆く。
僕が見せる醜態にもマシロは眉一つ動かさない。しかし今ばかりはそれに感謝した。同情されてしまえば、それこそ僕は壊れてしまうかもしれない。
それほどまでに僕は自身の弱さを痛感する。
「きっと僕はこれからも人を殺すのかもしれない。そしていつか僕は当たり前のように人を殺し、そのことに何も感じなくなるかもしれない」
返事ないマシロに僕は語りかける。マシロの目を見ることなく語る。後ろめたい気持ちを胸に抱え、僕は吐き出す。
「僕はもうマシロの隣に立つことが出来ない。僕自身がそれを許さない」
マシロの顔を見ない僕は、表情が分からない。しかしきっと何も表情を浮かべていない。
「それでも僕はマシロの隣に立ちたい」
「だから……」
僕は大きな過ちを犯す。
どこか懐かしい感覚が全身に広がり僕の夢は崩壊する。
* * * * *
目が覚めると頭が鈍い痛みを訴える。思考は重く、澄まず、まともに働かない。
「ッ」
頭を抑えながらベッドから起き上がり、その足で何処かへ向かう。目的もなくただ歩く。動いていなければたちまちの内に気が遠のいてしまう。
壁にもたれかかるようにして進む。長い廊下を抜け、玄関に出た。そして中央の大きな扉に手をかけた所で聞こえる声に僕は振り返る。
「どこにいくんだ」
駆け足でこちらに近づく少女。
「すぐに部屋にもどれ、まだまともに動ける状態じゃない」
「何を……ッ」
言っているんだ。
突如として痛みが体を駆け巡った。記憶に無い痛みに襲われ僕は困惑する。何故、どうして、頭のなかには疑問が生まれては積み上がる。
「アガァ」
左腕を押さえる右手が血に染まる。見に覚えのない傷だ。僕は知らない。
「何だよ、これは」
右手を染める紅が僕の目に映る。
「戻るぞ」
近寄ってきた少女は僕に肩を貸し歩き出す。
半ば少女に任せる形で歩く僕はうわ言のように繰り返す。この異様な現実が理解できず、ただただ言葉を漏らす。
何だよ一体。
少女に連れられ僕は元いた部屋に帰り、ベッドに寝かしつけられる。
「そこで待ってろ」
そう言い残し少女は部屋から出て行く。
いつの間にか消えた頭の痛みと入れ替わるようにして現れた全身の痛みが僕を苦しめる。少しでも気が紛れるものはないかと辺りを見渡すが、この部屋は簡素でものが少なくすぐに視線を戻した。
「イッ」
中でも特に痛み左腕に目を向ける。身につけた衣服も赤く染まっていた。一体いつ僕はこんな怪我を負ったんだ。
答えの出ない思考を繰り返していると扉が開く。
「め、目覚めたんだな」
言葉を詰まらせるリヲン。表情にも心なしか覇気がない。
「良かった。もう一度寝るって言ってから丸二日起きなかったから心配してたぞ」
口調こそ同じだが、感じる雰囲気が全く違う。本当にリヲンなのか疑わしいぐらいの変容だった。
「悪いな、特性の効果がない時はうまく言葉が出なくてな」
浮かべる笑み一つとっても柔らかく弱々しい。
「その、なんだ……」
視線がさまよい言いよどむ様子を見せるリヲン。しかし意を決したのか、すぐに言葉は紡がれた。
「ライアが人を殺した事実は消えない。だけどな、それによって救われた者がいる。俺も、そしてアイツもな」
そう言って扉の近くいる少女を指出すリヲン。
「だから気にするな、ライアのしたことは正しいと言えないが、間違っているとも言えない。俺もアイツもお前を責めたりしない」
何を言っているんだ。僕が人を殺しただって。意味がわからない。僕はそんなことをしていない。どうして僕が人殺し扱いされているんだ。
静まり返る場の空気を変えるためにリヲンは笑みを浮かべて少女を手招く。
「お前らまだ自己紹介とかしてないだろ」
「ああ」
リヲンに押し出されるようにして僕の前に来た少女。
「アタシはチギリだ」
僕も自らの名を名乗った。無理はするな、と消え入りそうなほどチギリの言葉を僕は拾う。
「ホントは町に帰ってシラ姉に報告したいところだが、お前がそんな状態だしな。しばらくここで厄介になる」
それに森を抜けるのは大変だしな、と付け加えた最後の言葉がリヲンの本音に感じられた。
「必要なものがあれば言ってくれ、可能であれば用意する」
「今はいいかな、必要になればまた言うよ」
「そうか」
「それよりさ、どうして二人して僕を人殺し扱いするのさ、さすがにそれは傷つくよ」
僕の言葉にリヲンは面食らった様子で聞き返す。
「何を言っているんだ」
「え?」
どちらの言葉も通らず押し問答する。リヲンは僕を人殺しと言う、僕はそれを否定する。
「ライア、お前が最後に覚えてるものはなんだ」
起きるより前に何が残っている、そう言われ僕は記憶をたどる。過去へ過去へと、次々と記憶を思い起こす。しかしやはり僕が人を殺したという事実はない。
「厨房でチギリと別れた後までは覚えている。盗賊を追っていたよね。きっと僕は呆気無くやられたんだろうね、この有様だし」
僕は自身をあざ笑う。きっとこの傷は僕が弱かったからそのせいだ、とそう思った。
「ライア」
リヲンの気配が変わる。目つきも声音も鋭くなり変容する。特性が発動したのだ。しかし何故、と僕は思わざるをえなかった。特性が発動する理由がない、それともリヲンには今のやり取りの中でそれがあったのだろうか。
その真意を知るためにも僕はリヲンの言葉を待つ。
「お前の特性は行動型だと思っていたが……どうやらお前も異常者のようだな」
でなければ記憶をいじるようなことは出来ない。きっとそれはまともではないから。
「お前は精神型の特性だ。きっとそれはお前が思っているよりも酷く狂っている特性だ」
辛い何かを押し込めるように顔をしかめるリヲンの姿を僕は呆然と見ることしか出来なかった。
「そう、なんだ」
精神型、そう言われても僕は実感よりも理解が追いつかない。僕には特性の知識が足りなさすぎた。何か重い宣告を受けた、僕はそう理解した。
リヲンの特性が発動するぐらいの重大な問題だ。
一頻り喋り終わるとリヲンの特性が切れる。
「まぁ、精神型であっても全員が全員狂ってるわけじゃない、まれに例外はいる。お前がその例外であることを俺は願ってるよ」
でなければ、と何かを言いかけてリヲンは口を閉ざす。
「腹減ってるだろ、なにか食べられるものを持ってくる」
そう言い残し部屋を立ち去るリヲン。重たい空気が漂う中チギリが僕の元まで近づいてくる。
「お前ら何を話してるんだ。特性、精神型、行動型、何の話かアタシにはわからん。知っていれば教えてくれないか」
「ごめん、僕もあまりわかってないんだ」
そっか、とチギリが不消化のままに話を切り上げた。
それが普通なのだろう。だから僕はこの時のリヲンの忠告じみた宣告を気に留めなかった。チギリという僕と同じ程度しか知らない者がいて僕は安心した。
僕はこの時不謹慎にもマシロと同じ型ということで僅かに喜んでいた。きっと血液型のような分類なのだろう。と結論を出した僕はチギリと雑談をして時間を潰した。
* * * * *
僕は数日の間ゆっくりと療養したことで痛みは残るが特に問題なく動けるようになった。慣れない怪我に手間取っていたが左腕の負傷を除けば殆どが大したものではない。
結局時間がかかったのは僕は弱かったからなのだろう。戦いに慣れている者は腕を千切られても帰還するのだろうが、僕は痛みに全く慣れていなかった。それだけの話だ。
僕は今まで大怪我とは無縁の生活を送っていた事に初めて感謝した。
そして今日街に帰るという話が出た。その途端、僕とリヲンは忘れていた現実に嫌でも見なければいけない。
また森に入るのか、と僕の考えとリヲンも一致したようで二人して同じく顔をひきつらせる。
「大丈夫だ。アタシに任せろ」
「抜け道や地図でもあるのか」
「いいや、普通に森を抜ける」
率直な疑問にチギリはすぐに応えた。その応えがあまりにも間抜け過ぎて僕もリヲンも言葉を失った。それでも言うなら、
「アホか、それで簡単に帰れるなら俺らは来るときに苦労しなかったぞ」
まったくもってその通り。来た時の苦労がリヲンの言葉を後押しする自信となる。それでもチギリは言う、問題ない、と。
「何か証拠となるようなものはないの? 僕もチギリの言葉だけを信じて安易に森には入りたくない」
「う~ん」
僕の言葉にチギリは考えこむように頭を悩ませる。それで必死に絞り出した言葉が更に僕とリヲンを混乱させる。
「アタシにはわかるから、か」
理由をすっ飛ばし結論だけ話すチギリ。
「アタシにはなんでお前らが迷うかがわからない。ただの森だろ?」
自信に満ち溢れている、というよりも当たり前のことを言っている様子のチギリ。
「とにかくついて来い、すぐに着くから」
そう言って意気揚々と森の中に向かうチギリ。僕もリヲンも納得していないが、見失うわけにはいかないと、チギリを追って森に入る。
チギリは声で先導してくれた。見失いそうになる時は声にしたがって進んだ。それでもはぐれてしまった時でさえチギリは的確に探し当てた。そうこうしながら数十分歩き、忌まわしい森を抜けた。
半信半疑だった僕もリオンも驚愕を露わにする。来るときに数日要した森を、ものの数十分で抜けることが出来た事実はそれほどまでに大きかった。
森を歩いている時もチギリの足取りに迷いは一切なく、見知った場所を歩いている時のように気軽な足取りだった。
「問題なかっただろ。だからアタシに任せろって言ったんだ」
自慢気に語るでなく、むしろ小馬鹿にするようにしてチギリは言う。
「俺たちの苦労って……」
「何だったんだろうね」
この時ばかりは二人して口から出るのはため息だけだった。
異能ではないけど、特殊な能力。力と呼ぶには当たり前すぎるほどの人間の一部である才能のようなもの。つまりそういうものが出ます。この作品は。火を出したりする魔法のようなものは出ません。一応ここらで書いておこうかと思って書きました。特性の説明も次の作品で入れようかと思っている次第です。長すぎず、短すぎない、と個人的に思っているのですが、とにかくそんな感じでこれからも書いていこうかと思います。もしかしたら長くはなるかもしれませんが、最低5000文字付近は書きます。今はとにかく書いて経験値を溜めるのが目的ですので。なんとなく始めた二文字熟語(造語も含む)縛りのようなものがいつまで続くか個人的に不安な今日此の頃です。