空腹
「ライア?」
マシロが僕を呼ぶ声がする。目を開けると眼前にはマシロが映る。それは少し動けば触れてしまえるほどの距離だった。
「マシロ」
「ん?」
僕は意味もなくマシロの名前を呼んだ。そうして何か安心感のようなモノを感じる。ああ、マシロはマシロなんだと、僕の頭に蠢く言葉は嘘だったんだ、と。
「マシロは僕を助けたよね?」
「うん」
満面の笑みで頷くマシロ。そこに不純はなく、ただただ純粋な輝きを放つ笑顔だった。
「良かった」
「どうかしたの?」
心配そうに顔を覗き込むマシロ。心から心配してくれている、そう感じさせる優しさに満ち溢れた表情だ。
「実は、リヲンが君を人形だって言うんだ」
言ってすぐに僕は否定する。
「もちろんそうじゃないのは知ってる。そんなはずはない」
マシロではなく、僕は自分自身に言うかのように言葉を吐き出す。
「だけど、リヲンは言うんだよ。君は人形のような人間だって、自分の意思がないって、おかしいだろ?」
僕はマシロに頷いて欲しかった。
「ねぇ、そうだって言ってよ」
マシロは何も言わない。ただただ僕を見ているだけだった。優しげに微笑みを浮かべた顔は微動だにせず、不気味なものを感じさせる。
「マシロ!」
僕は思わずマシロの両肩を掴む。
「君は優しいんだ。だから僕に優しくしてくれた。だから僕を助けてくれた。だから……」
……人形じゃない。僕の口からはその言葉が出なかった。そんな自分が情けなく、腹立たしさを感じる。わかってる、僕は自信が無いんだ。だから言葉が出ない。もしかしたら……という言葉が僕に重くのしかかる。
「私は人形だよ?」
突然マシロが口を開いた。そして言った言葉に僕は目を見開く。否定したかった言葉をマシロが口にした。
「嘘……だよね?」
「ううん」
マシロは顔を横に振る。
「じゃ、じゃあ、僕を助けたのも、僕に優しくしてくれたのも、嘘だっていうの……」
「そうだよ」
顔から笑みの消えた、無表情でマシロは言った。優しさも、温かさも、全てが失われた寒気すら覚える表情を僕に向けて。
「私は人形。ライアを助けたのも、ライアに優しくしたのも、全て言われたから。私は全部言われた通りにやっただけ」
淡々と語るようにマシロは言う。その言葉をどれも僕はまともに聞けていなかった。
「私は人形」「私は人形」「私は人形」「私は人形」「私は人形」「私は人形」「私は人形」「私は人形」
「私は人形」「私は人形」「私は人形」「私は人形」「私は人形」「私は人形」「私は人形」「私は人形」
いつの間にか無数に現れたマシロがひたすら言葉を繰り返す。ただただ繰り返す。耳を塞いでも僕の頭に嫌でも言葉が入り込む。
「私は人形」
「うああぁあああぁあああぁぁああああああぁあ!」
耳元で聞こえたマシロの声に僕は絶叫する。無数のマシロから繰り出される言葉をかき消すように、全てから逃げるために。
「ハァハァ……」
マシロの真実を聞いて呆然とし、気の抜けていた僕はいつの間にか寝てしまっていたようだ。呼吸は乱れ、全身は汗でぐっしょりと濡れていた。
「起きたか」
リヲンは僕が起きたことに気づき声をかけてきた。
「だいぶうなされてたな」
そんなにショックだったか? と尋ねるリヲン。僕は乱れた呼吸をただ繰り返すだけで、何も言わない。
「そうか……」
僕のその沈黙を答えと取ったのかリヲンは一人納得する。それから僕が落ち着くまで、リヲンは一言も喋ることなく待ってくれていた。
日が昇る。濃霧の中の視界が明るくなり、夜より幾分か見渡せる状態になる。
「そろそろ行こう」
立ち上がるリヲンは僕に言った。
「今日こそ見つけ出そうぜ」
リヲンはできる限り明るくそう言った。僕を気遣ってのことかはわからないが、僕は気持ちを切り替えて返事を返した。
しかし相も変わらず濃霧の中を彷徨っていた。人間起きていれば腹も減る。昨日から何も食べていない二人は日が真上に昇りいよいよ限界に達していた。
腹の虫が何度も何度も訴えてくる。何かを食べろと主張する。
「何か食べられるモノを探すか」
「この森に入ってから木しか見てないけど」
「そうか、そうだな。いっそ木でも囓るか」
腹が減りすぎたのか、リヲンの言動が目に見えておかしくなっていた。僕は本当に木を囓ろうとするリヲンの体を掴みどうにか留める。
クォーーーン。
聞こえた獣の声に二人の考えはシンクロする。顔を見合わせ、遠吠えの聞こえた方向へ二人同時に走りだす。空腹の限界に達した二人は肉食の獣をただの肉としか考える事ができなくなっていた。
獣の遠吠えを頼りに濃霧の立ち込める中を駆けていく。正確な距離はわからない、しかしそれを考える余裕のないほど思考は肉で埋め尽くされていた。
僕の耳は獣の立てた僅かな音を捉える。それにより獣がすぐ近くにいることに気づく。
「こっちにいる」
僕はすぐさまリヲンに声をかけ、失態を犯した獣に肉薄する。本来狩る側である獣は逃げること無く襲いかかってきた。獣にとってもこちらは獲物なのだろう。
「ッ」
今まで戦うということをしたことのない僕は腕を獣に切られる。そしてその痛みが僕の思考を現実に引き戻した。
僕は切られて血の流れている腕を抑える。
「大丈夫か」
遅れてきたリヲンが僕を心配し近づいてきた。
僕はどうかしていた。肉食の獣相手に立ち向かうなんてどうかしている。蘇る恐怖が僕の体を萎縮させる。
「ここは俺に任せてな」
安心させるようにリヲンは軽快な笑みを浮かべる。そして獣の元へと駆け出す。
リヲンは戦い慣れているのか、獣の攻撃を危なげなく避けていた。そして獣が隙を見せた一瞬を逃さず、重たい蹴りの一撃を見舞う。獣は宙を舞い地面を数回転がり体勢を立て直す。
「流石に簡単には行かねぇな」
リヲンはそう言うと、辺りに生える木々の太い枝をへし折り手に持った。先が尖り鋭利な枝は十分な殺傷能力を有していた。
「今度は間違いなく仕留めてやる」
リヲンは再び獣の元に走りだす。互いに譲らず、均衡する戦いの中リヲンは足元を滑らす。獣はそれを見逃さず襲いかかる。それを見てリヲンはうっすらと口の端を釣り上げた。
体勢を崩したと思われたリヲンは正面から飛びかかってくる獣の喉元に枝を突き刺す。リヲンの崩れたように見えた体勢は全て計算された動きだった。逆に隙を作らされた獣は苦悶の声を上げて息絶える。
「ふぅ」
無事に戦いを終えたリヲンは地面に両手を広げて横たわる。その横には動きを止めた獣が並んでいた。
「どうだ。俺もやるもんだろ」
リヲンは歯を見せ、今日一番の笑みで勝ち誇る。
原始的な方法を用いて火を焚いた。僕は満足な道具はないが、それでも枝を器用に使い獣を捌く。リヲンはそれを関心するように見ている。
「いやぁすごいな。俺だったらそのまま焼いてたぞ」
リヲンの豪快な物言いに僕は破顔する。
僕は捌き終わった肉を枝に刺し、それを焚き火の近くに突き立てる。肉の焼ける匂いは、空腹の二人の二人の腹を更に空かせる。
「肉が焼けるまで食えないのか」
もどかしげに口にするリヲン。そんな当たり前の事でさえ待ちきれないほどに二人は腹を空かせていた。僕とリヲン焚き火を囲んで座り込み、今か今かと肉が焼けるのを待つ。
「そういえば、なんでリヲンは僕を一緒にこの森に来たんだ?」
空腹を誤魔化すというのも嘘ではないが、僕は気になっていたことをリヲンに聞いた。
「まぁ金が入るしな。それに……俺はシラ姉に頭が上がんねぇんだ」
「どうして?」
「そうだなぁ、昔助けられたってのが大きいな。俺にとっては何だかんだでシラ姉は家族のような存在なんだ。これでもシラ姉と過ごした時間は俺が一番長いんだぜ」
本人に言うなよ、と僕に念を押すリヲンはどこか恥ずかしげな様子だった。
「おっと、もう良いんじゃないか」
話題を変えるようにリヲンは肉の刺さった枝を手に取る。僕もそれに続いて肉を取る。
「うめぇ」
リヲンが感動を覚えるように言葉を漏らす。
「そうだね」
ここには味付けをするものがなく、正直あまり美味しいと言えるものではなかった。しかし空腹の状態で食べる肉はどんな料理よりもおいしく感じられた。
久しぶりの食事に二人とも貪るようにして肉を平らげた。リヲンに至っては僕の分にまで手を出すぐらいだった。
「腹がいっぱいなったら眠くなってきたが、そうしてる場合じゃないな」
焚き火を消し立ち上がるリヲン。
闇雲に走り回ったせいで前よりも居場所がわからなくなっていた。
「偶然に任せるほかないな」
「あまり頼りたくはないけど」
リヲンの案は正直とても良案とは言えない。しかしそれ以外に案は思いつかない。この森を知り尽くした者でもない限り、どうしようもないのが事実だった。
二人は結局進むことにし、その場を後にする。
偶然に頼るという愚策を使ったものの、二人は見事一つの建物の前に辿り着いた。建物の周りだけは不思議と濃霧がかかっておらず、二人の視界は久しぶりに広がった。
柱がいくつも天に伸び、その中央にそびえ立つようにして白亜の城。色からして町で使われている石材と同じものを使用しているようだったが、この場の雰囲気のせいかどこか神秘的に感じられた。
「森の中にこんな建物があるなんてな」
リヲンも初めて見るのか、観察しながら探索を始める。柱が境界線なのか、濃霧は柱より先には流れてこない。久しぶりに見る空はどこまでも続くように青一色に染まっていた。
一頻り見終えたリヲンと合流し、城に入り込む。扉にはなんの仕掛けもなく、すんなりと入りことが出来た。
「広いなぁ」
まるで富豪の屋敷かのように、城の中も豪華な作りになっていた。天井にはシャンデリアがぶら下がり、二階へと続く階段が正面に堂々と配置されていた。
窓から差し込む光で多少は明るいものの、それでも奥に進むに連れて明かりが必要に感じる暗さになっていく。
「明かりを持ってくれば良かったな」
長い廊下には扉がいくつも見られ、それだけでこの建物の大きさが尋常でない事がわかる。そのまま廊下を歩いていた二人の耳に足音が聞こえる。廊下の先から響くように聞こえる足音に二人は思わず顔を見合わせる。
「何かいるのか」
「とりあえず進もう」
僕たちは足音の正体を確かめるために歩を進めた。それに合わせるように足音は遠ざかっていく。まるで逃げているかのように僕には感じられた。
「走ろう」
僕はそうリヲンに告げると、足音を追いかけるように走りだす。徐々に徐々に差は縮まっていく。もう少しという所リヲンは腐食の進んだ足場にハマってしまう。
「先にいけ、すぐに追いつく」
ハマった足を引き抜こうともがくリヲンに応え、僕は足音の元へと急ぐ。その足音は小刻みに聞こえる事から足音の主は小さな子供だと僕は考える。
廊下を走りながら、一つだけ開閉された後が色濃く残るドアを見つける。僕はそのドアを開け、ゆっくりと中を覗き込むようにして入る。
幸い扉は立て付けが良いのか、音を立てずに開いた。暗がりの中見渡すが何も見当たらなかった。そのまま部屋にはいると、突然扉の閉まる音がして慌てて振り返る。
扉が閉まったことで僅かな光も失われ完全な闇に包まれた。僕はドアを開けようと試みるが、案の定扉は開かなかった。
部屋の中からは遠ざかっていく足音だけが僕の耳に残響する。
「嵌められたみたいだな」
足音の主は存外に頭の回る子かもしれない。閉じ込められた僕は感嘆を覚えつつ、どう脱出するかを思案する。
辺りを見回し、状況の確認を行う。最も闇の中ではあまり多くの情報は得られない。僕は部屋に入る前に見た情報を頼りに進む。
部屋にはベッドが2つあり、真ん中にタンスがあったはずだ。僕はタンスがあった場所に向かい手当たり次第に上から開けていく。
「これは」
最後の段を開けると、そこにはほのかな光を帯びた石があった。
光晶だ。それは光をその中に蓄えることが出来る特殊な石だ。僕は光晶をその手に持ち、その明かりを頼りに再び辺りを見回す。
すると天井にはすでに外した形跡の見られる板を発見する。僕は部屋にある机や椅子を重ねてそれに登る。天井の板は予想したとおり簡単に外れた。
僕は不遜に今の状況を楽しんでいる自分を感じていた。
やはり筆が乗ると進むようで、今回も早めに書くことが出来ました。それでも本当に早い人にはまだまだ及ばないですが。書いている時はやはり楽しいですね。自分の書いてる文章を頭に思い浮かべながら書いているとどんどん進んでいきます。だけど問題は語彙ですね。豊富な語彙が僕にはまだなく、今一番に僕が望むものです。次の話も早めに出せたら良いなと僕は希望的観測を述べることにします。