二章 第三話
次の日は休養日に当てられたこともあり、イセリとキリクは賑わう町の散策に出かけたり、別につれてきたストームとタイニーの世話をしたり(ミアタからはそんな事は厩舎に任せればいいのにと言われたが、イセリが譲らなかった)、地元の人間から釣りをするポイントを聞いたりと、ゆっくり過ごしていた。
途中食事中に、わずかな荷物を抱え城門の方へ急ぐアサドラを見かけたが、イセリはなにも言わずにさわやかな香りのする水を飲んでいた。
夕方になりミアタから「明日急に忙しくなって外に出られなくなっちゃったの。もしよかったらイセリちゃん達だけでも先に釣りに行ってくる?」と言われたので、次の日はキリクと二人だけでストームとタイニーに乗って出かけることにした。
翌日早朝、ストームとタイニーに乗り、少し遠いが地元の人に聞いた湖畔まで行き、シートを広げ釣りの準備を始める。
「昨日の話では、こういった入り組んだ部分で良く釣れるそうですが」
キリクが椅子を置き、竿の仕掛けにこれまた地元の人に売ってもらった芋虫を針につけると、イセリに竿を渡す。
芋虫を針に付けるところを「うぇぇ」と言いながら見ていたイセリが、恐々と竿を受け取る。ミミズの時も微妙な顔をしていたが、芋虫はもっと微妙らしい。
「地元の人の話だと、この餌が一番釣れるそうですが、練り餌に変えますか?」
「これでいく……でも、これを食べた魚を食べるって言うのが微妙だわ」
そこですかとキリクは思ったものの、実際手のひらの上に乗ってむごむご動いている芋虫を見ると、確かに魚の内蔵は捨てた方がいい、そうも思うのだった。
教えて貰ったポイントと餌のおかげか、午前中だけで型のいい魚が四匹ほど釣れた。
「この分だと、ミアタの両親の分まで釣って帰れそうだわ」
ふふんと、仕掛けの先に付けられた浮きに集中している。
と、木陰でタイニーと一緒に寝ていたストームがすくっと立ち上がり、鼻息荒く湖畔から繋がる丘の上を見上げる。まだなにも反応せず浮きを見ているイセリの側までくると、鼻をイセリの頭にこすり付ける。
「なに?ストーム、魚が逃げるわ。悪いけどあっちで草でも食べてきて」
少し邪険に追いやる。
だが、ストームは気にせず、今度はイセリの髪を噛むと、わずかに引っ張る。
「い、痛い、こらっ!なんて事するの!あなたはこんな事するような……」
そこまで言いかけて、イセリがハッとしたように丘の方に目を向ける。
「駄目、キリク、怖い物がくる。逃げないと」
キリクはその言葉を聞き、即座に行動を起こすために竿をしまい始める。
以前にもキリクは同じ言葉を聞いた。その時は五人組の盗賊が現れたのだが、帯同していたシリウスがあっと言う間に叩き伏せたので事なきを得たのだった。
その時からキリクはイセリの言葉を軽んじる様な事が無いように心がけていたのだった。
「駄目、ごめんなさい、気が付くのが遅れた、こんな大きな……」
丘の上に馬にターバンを頭に巻き、馬に乗った男が現れた。何かを探しているのか、キョロキョロと見回しているかと思うと、こちらを見つけ何かを叫んでいる。すると、その背後からさらに数騎が現れ、数をどんどん増やしていく。
約三十騎ほどだろうか。丘の上に現れると、一本の旗を掲げる。
「……帝国旗だ」
荷物を片づけようと手に持っていた物を捨て、イセリの方に駆け寄る。旗を揚げたという事は、野盗やはぐれなどではなく、帝国の正規軍であるという意思の表明であり、正当な手順に則った行為であると言っているのだ。
(この状況でそんな事に何の意味があるのか)
帝国旗を掲げた一団の内、軽装の数騎がこちらめがけて丘をかけ降り始めたのが見える。
キリクは即座に決断を下すと、イセリを抱えあげてストームに乗せ、馬の尻を叩く。
「まっすぐ走れストーム!お前なら行けるはずだ!」
なぜそんな言葉が出たのかはわからないが、ストームは少しだけ振り返ってキリクを確認したあと、了解したかのように一声鳴いて全力で疾走し始めた。
キリクはストームが走り始めたのを確認するまでもなく、自分の馬、タイニーに走り始める。
広げてあった敷物やお茶を飲むための道具が視界の端に写る。
(あのティーセット、イセリ様が気に入っておられたのに……悲しまれるだろうな)
すべてあきらめてタイニーに乗り、こちらに向かっていた数騎とは別に、新しく一団から抜け出した2騎が目に入る。キリクに向かうのではなく、先に走り出したイセリの頭を押さえようとしているようだ。
(大丈夫だ、ストームの足ならギリギリ抜けられるはず)
斜面を馬で下るのは難しい事もあり、速度も抑えられている。
走り出したタイニーの向きを、イセリを押さえにかかっている2騎の方に向け、鞍に吊していた短弓を取り出し、矢の準備をする。
と、キリクはストームの速度が僅かに落ちている事に気がつく。見るとイセリが頭を上げ、キリクの方を振り返っている。
(まずいまずいまずい……)
キリクは全力疾走のまま鐙の上に立ち上がり、今まで出したことのないような大音声で叫ぶ。
「全力で走れ!振り返るな!」
イセリはスピードを上げず、抑えに来ている敵とキリクを見比べている。
「邪魔なんです!あなたのせいで逃げることができない!足手まといなんです!さっさと行け!」
言われて少しびくっとしたような顔をした後、ストームのたてがみに顔を埋めるようにしてスピードを上げるイセリ。
(抑えられる……!)
キリクは、矢筒より一本の特殊な形状をした矢を取り出し、つがえると、抑えにかかっている2騎の方に放つ。
すさまじい音量の笛の音が鳴り響き、2騎の足が乱れ、体勢を立て直すために減速する。それを見たキリクはさらにタイニーに鞭をいれつつ、矢をもう一本つがえると、減速した1騎にねらいを定め放つ。
空気を切り裂くように飛んだ矢が、ねらい違わず1騎の馬の首に命中すると、棒立ちになった馬が騎手を振り落とす。
残った1騎が振り落とされた騎手を避けつつ、キリクを新しい驚異と判断し向きを変え、先に向かってきた数騎とで獲物を挟むように向きを変える。
キリクは剣を抜き、その1騎と正対するように馬首を向け、僅かに身を低くする。
(これでいい……)
キリクの口元に自然と笑みが浮かぶ。
残された一騎が減速し、クロスボウを取り出すのが見えると、キリクは馬上で身を伏せ、背中の重いマントで体を覆うようにし、速度を上げる。
騎手がしっかりとねらいを定め、引き金を引き絞ると、セットされた矢がレールよりはじき出される。
放たれた矢がまっすぐにキリクに向かい、その背中に当たろうとした瞬間、熱した鉄板に水を垂らしたような音と共に青白い光が迸ったかと思うと、矢はあらぬ方向へはじき飛ばされていった。
キリクはマントの隙間から様子を伺うが、何が起こったのかいまいちわからなかったものの、正面の射手が馬の上で呆然としているのをみて、マントを背後に追いやり猛然と切りかかった。
(行ける!切り抜けられる!)
正気に戻りボウガンから剣へと、持ち代えに慌てている射手の右横を通り過ぎざまに、射手の右手の肘から先を切り落とす。
(切った……切った!!)
人を切った感触に動揺する間もなく、剣をしまい身を低くして馬を走らせる。もう少し走り、街に通じる道に出られれば、敵もあきらめるとキリクは思っていた。
1本の矢がキリクの太股に突き刺さるまでは。
あまりの激痛に意識が飛びそうになりながらも、何とか体勢を立て直そうとするが、その努力も2本目の矢がタイニーの首に突き立つまでだった。
タイニーがそのままつんのめるように前に崩れ、キリクの体が丘の斜面に放り出された。
背中から叩きつけるように落ちたものの、牧草地だったおかげで息が詰まるようなショックだけですんだ。だが、矢が突き刺さったままの太股に、そんなものを帳消しにするような激痛が走る。
「ぐぅ、あぁ……」
まともに声も出ないような痛みの中矢を太股から抜き放ち、その場でうずくまりたい衝動をこらえ、剣を腰から抜く。それを支えにしてタイニーに近寄るが、倒れたときに首の骨でも折ったのか、そのまま息絶えていた。
痛みで足の力が抜け、そのままタイニーの横に腰を下ろすと、そのまま立ち上がる気力もなくなる。今まで走ってきた方からは軽装の数騎が走ってきており、丘の斜面、目線を上に向ければ、真っ赤な鎧を着た騎士を先頭に、二〜三十騎の本体と思われる一団もゆったりと降りてくるのが見える。
キリクは親指の付け根をマッサージしながら気を落ち着けると、妙な満足感がわきあがってきた。自分は助からないだろうが、イセリを逃がすことができた。きっと父もほめてくれる。後方から迫ってくる数騎がものすごく殺気立っているのが見える。
(捕虜にして身代金を……というような雰囲気には見えないな……)
キリクは死を覚悟したものの、目の前に迫りくる剣や槍を振りかざす一団を直視することも出来ず、マントを引き寄せて顔を伏せる。
キリクは時間がとても長くなるのを感じた。近づいてくる死の蹄の音に身体が震えそうになる。重く激しい馬の蹄の音が近づいてきて、キリクは自分の身に降り架かるものを想像して身を堅くし、その瞬間を待った。
激しい蹄の音がそのまま通り過ぎていく。
と、キリクの身体に何かがのしかかって来た。さほど重くない。少しだけ顔を上げ、薄目をあけると、金色で柔らかそうなふわふわの物が視界に入る。その金色の物が自分の身体にしがみついているのがわかる。
キリクの身体に、先ほどまでの死を覚悟していたときを上回る恐怖が全身に走る。
「……なぜ……なぜ戻って来てしまったのですか……?」
キリクは足に力を入れて立ち上がろうとしたがよろめき、剣に手をかけようとすると、ふわふわの生き物がそれを手で制止し顔を横に振った。
「キリクは本当に鈍いわ。どれだけひどいことを言ったつもりでも、あんなに光輝いていて私を騙せる訳がないのよ」
イセリは立ち上がり、白いレースのハンカチを取り出すと、周りに見えるように頭上に高く掲げる。
それを見た騎兵が減速し、威嚇するようにキリクとイセリの周りを取り囲むと、距離をとりながら二人の周りに陣取る。
「捕まえたか!道をあけろ!」
体躯の良い黒い馬に乗り、頭に黒いターバンを巻いた、日焼けした20代前半と思われる男が前に進み出てくる。
「なんだ?小娘と従者、か?ムルタラの近親者というわけでもなさそうだし、これでは身代金を取ったとしてもたかがしれているな……アサドラ、どう言うことか説明してもらおうか」
振り返った視線の先で震え、怯える男がいた。ミアタ付きの使用人だった男だ。
「いえ、た、確かにこっちに、へ、変更になったはずで、そ、そそ、んな馬鹿な……」
声が震え小さくなっていく。
黒ターバンの男が悔しそうな顔をしつつ、ひとしきり思案した後「仕留めた奴の自由にしていいぞ」と、興味を無くしたように手を振りながら離れる。
「こ、殺してやる……!」
荒い息を吐きながら、肘から先を無くした男が左手に剣を持ち歩み寄る。
「仕留めたのは俺の矢だぞ」
クロスボウをこれ見よがしに掲げながら若い男が前にでる。
「う、うるさい!俺が殺すのは男だけだ!ガキを自由にすればいい」と、若い男を押し退ける。押された方も片腕の男の剣幕にそれ以上なにも言わなかった。
イセリが両手を広げ、キリクと片腕の男の間に立ちふさがる。広げた手が小刻みに震えているのが見て取れる。
「ど、どけ!お前も殺されたいのか」
イセリに剣の切っ先が向けられると、キリクが剣を支えに立ち上がろうとする。
イセリがキリクを制止し、口を開く。
「聞きなさい!」
震えるからだで胸を反らし、キリクが今まで聞いたこともないような大きな声で叫ぶ。
「私の名は、イセリ・ド・ダマスク!私と今私が所持しているものを、ムロギア帝に……」
「イセリ様!いけません!!」
キリクが止めようとするが、足がもつれて倒れ込む。
「捧げる!!」
イセリの宣言が取り囲む男たちに静かに広がる。




