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一章 第四話

 キリク達は戻ってから釣ってきた魚を厨房に渡し、それぞれ服を着替えてイセリの執務室に戻る。


「最初はどうなることかと思ったけど、これならまた行ってもいいわね!」


 魚を釣り上げたときの感触が忘れられないのだろう、まだ竿を握ってブンブンと振っている。


「そうですね、確かミアタ様のおられるムルタラにきれいな湖がありますから、そこでも釣りが出来るかもしれません」


「うん、それはいいな!ぜひそうしましょう!」


 キリクはイセリから竿を受け取ると、それを丁寧に分解して袋に戻し、棚の上に置くと頭の中の持っていくリストに竿を加える。


「先ほどの騎士が落としていった銀貨だけれど」


 釣りをしていたとき道を聞いてきた、気分の良くない騎士が投げてよこした銀貨。イセリは拾う事にあまりよい感情はなかったようだったが、キリクの「たとえ銀貨1枚とはいえ、その価値もなく埋もれさせるのはもったいないことです。少しでも市場に流通すれば、町の活性にもつながります」と言う言葉で、拾う事に納得したのだった。


「冬神教会に寄進してはどうかしら」


 冬神教会。どんな時もどんなものでも受け入れる。浮浪者や頼り手の無くなった重病人など、誰にでも認められた最後の助けの手であった。そのため常に寄付を受け付けており、特に不浄とされる寄進も喜んで受け付けていたし、寄付する側もそれにより罪が洗われると言われていた。


 キリクがその意見に同意しようとすると、部屋の扉をノックする音が鳴り、シリウス付きの女中の声がする。扉を開けると、小柄な女中が裾を上げて小さく会釈する。


「シリウス様より御伝言です。今日の夕食は広間で行うので、同席していただきたいとのことです」


 キリクは腑に落ちない物を感じながらも、わかりましたと返事をし、扉を閉めてイセリの方を見る。イセリも伝言を聞いていたようで、訝しがるような顔をして机に肘をついて寄りかかるようにしながら、キリクの方を見ている。


 いつもなら夕食はイセリの意向により、部屋でキリクと二人でとっていた。特別な日でも、シリウスを加えて3人でするぐらいで、広間でとるような事はまずない。


「昼間の騎士、かしら」


 イセリが誰に言うともなくつぶやく。広間でとると言うことは、三人以外の人間が同席すると言うことを示している。


「だと思いますが、ただの査定に来た騎士を迎えるために、イセリ様を夕食に同席させるようなことは……」


 普通なら会計の人間に任せて、国主代理のシリウスすら会うこともなく終わる相手だ。


「シリウスおじさまは意味もなくそんな事をさせる人ではないわ。おそらく私、いえダマスクにとって必要な事だと判断されたのだと思う。いずれにしろ、こんな格好ではまずいから、少し湯浴みをして着替えてくるわ」


 イセリは最近いつも着ている、暖かいが分厚く野暮ったい「布団着」を脱ぎ「キリクも」と着替えを促しながら奥の部屋へ消える。


 イセリはお湯を運ばせた後は女中を部屋に入れず、着替えや湯浴みをいつも一人で行っていた。


 キリク自身はいつも身なりは整えていたため、着替える必要性は薄かったものの、執務室横の自分の寝室に戻り、こちらに来る前に良く着ていた(あまり好きではない)宮廷風の肩や袖がだぼっとした服に着替える事にした。

 普段全く着ない為、奥の方にしまわれた服からは、虫避けの為の香草の匂いがしっかり付いていたが、中央からの使者相手とあれば、普段着で出迎えるのもためらわれる。


 着替えが終わり、キリクがイセリの執務室に戻ると、丁度支度の終わったイセリが部屋に入って来るところだった。


「んん……」


 レースのフリルで膨らんだ体で、ぶわっと広がったスカートをつまみ、中のペチコートを足でワサワサかき分け、不器用に転びそうになりながら前に進む。

 キリクがその姿に我慢できず少し吹きそうになると、にらむような顔でイセリが振り向く。

 キリクは目を合わせようとせず(合わせると我慢できず吹き出してしまいそうだから)、さぁさぁとイセリを前に促す。


「なによ!キリクだって似合っていないわ!」


 それはキリク自身も自覚していた。教都にいた頃は周りも同じような格好だったこともあり、何とも思わなかったのだが、ぴちっとしたズボンが足のラインを強調しており、久しぶりに着てみると恥ずかしいというか、純粋に着なれなかった。


「申し訳ありません。でも、おかしかったのは似合ってないからじゃありませんよ」


 それどころかとてもお似合いですよ、という言葉はなぜか気恥ずかしく、キリクは言わないことにした。


 二人は普段の倍以上の時間をかけ(イセリが転ばないように)、シリウスの執務室近くにある広間に到着する。

 キリクは扉をわずかに開き、中の使用人にイセリ到着を告げ、イセリの後ろに下がる。


 と、使用人が下がるように扉を内に開き、イセリ達を中に迎え入れる。

 広間と言っても、中央に、片側に十人は座れそうな、真っ白なテーブルクロスを乗せられた長テーブルがあり、さほど広い印象を受けない。天井の照明も、一階の大広間のような大きなシャンデリアを使ったような物と異なり、金属装飾が施されてはいるものの、実に無骨で簡素に見えた。

 一番端に座っていたシリウスが立ち上がり、イセリに対し深々とお辞儀をすると、それに釣られたようにシリウスの右手奥側に座っていた男達二人が立ち上がり、鷹揚に会釈をする。


 二人とも長袖のチュニックに、夏神を表す紋章の刺繍が胸に入ったサーコートを上に着ている。チュニックの袖はラッパの様に広がっており、首や袖、腰下長めの裾などひらひらしたレースが顔をのぞかしている。


「ようこそイセリ様。今日の夕飯はとても楽しみにしていたのですが、思いがけず来客があり、よろしければご一緒にとおもいまして。」とシリウスが言いながら、右手に座った二人を紹介する。


「こちらに見えるのは、教都の守護者たる夏神騎士団の団長バナール殿の弟君、ブロストン・ド・ポートベイル殿とその従者グニレア殿です。国主イセリ様との会食は、ブロストン殿たっての希望によるものです」


 シリウスの顔は無表情だ。


キリクの脳裏に教会圏の地図が広がる。ポートベイルは南方で帝国と接している地域だった。


「これはご機嫌麗しく、イセリ様」


 少し額より後退しかかり、わずかに白髪の混じった髪を肩より長くのばし、後ろで一本に縛っている。顎髭を少し伸ばして整えているのは、後退した髪の代わりか。

 ブロストンが挨拶をしながら深々とお辞儀をすると、イセリは少し引き気味に無表情で会釈する。

 イセリは、ブロストンのお辞儀をしたとき、垂れてきた髪を背中にに回す仕草に、なぜか背中がぞわりとする。


 ブロストンは反応の無さに気を悪くした風もなく、続ける。


「本日は私の申し出を快く受けていただき、誠にありがとうございます。そのお礼、と言っては何なのですが、いくつか我がポートベイル及び、教都から運んだ贈り物を披露したいと思います」


 大仰に両手を広げ歌うように言い放ち、奥の扉の方を右手で指し示す。

 奥の扉が開き、両手に金具で補強された箱を捧げ持った男が入ってきた。ブロストンやグニレアと同じ様な服装。キリクはその男の顔に見覚えがあった。


(銀貨を投げてよこした騎士だ)


 キリクは少しだけ顔を相手の正面からずらすように向け、騎士がこちらを覚えていないことを祈る。


 ブロストンは銀貨の騎士から箱を受け取ると、その箱を机の上に置き、鍵を差し込んで回す。そしてもったいぶるように箱の正面をイセリの方に向け、蓋に手を当てる。


「ご覧ください」


 ブロストンが蓋を持ち上げて中に手を入れ、両手ですくうようにゆっくりと中の物を持ち上げる。


 箱の中から現れたのは、小粒だが輝くような光沢を持つ、真珠の首飾り。光を受ける角度によっては、七色に見える。その先端には、金色に輝く正家族教会を表す丸いリングに十字のシンボル。


「我がポートベイル特産の真珠の首飾りでございます。どうかお納めください」


 ブロストンが首飾りを手に持ち、イセリとキリクのいる側に机を回り込むように進み出る。

 ブロストンの意図を察したイセリが表情を堅くし、キリクの後ろへ半身を隠すように一歩下がる。

 それを見たキリクが、ブロストンの視線からイセリを遮るように前に進む。


「ありがたく頂戴いたします」と一歩前に進み、少し強引にブロストンの両手に捧げられていた首飾りを、下からすくうように受け取る。


 一瞬、ブロストンは自分の意図していない結果に戸惑うような素振りを見せた後、刺すような視線をキリクに投げかけ、何かを言おうと口を開きかける。


 と、よく響きわたる手を叩く音が、広間の壁に反響する。


「そろそろ食事にしましょう。私はおなかが空いてきました」


 シリウスがにこやかな顔で、毅然とした態度で着席を促しつつ言う。

 音に驚いたブロストンが、フンと鼻を鳴らしながらもう一度キリクを睨むように視線を送ってから席に戻り、隣のグレニアとひそひそとしゃべりながら、時折キリクの方に視線を向ける。


 年の頃は十七、八。少し短めのくせっ毛に、透き通るようなブロンド。背は決して高いとは言えず、体の線も細い。そして顔は小さく、紅をさしたような頬に、知的さを漂わせる切れ長の青い瞳。


 グレニアは紛う事なき美少年だった。隣にいるブロストンが、一層際だって醜悪な趣味を持った中年騎士に見える。


 キリクは、そんなグレニアがなぜブロストンと一緒にいるのか、疑問には思わなかった。教都ではよくある話だったし、キリクにそんな話を持ちかける者もいたぐらいだ。キリクに声をかけた男は、その後話を知り激怒したシリウスに一蹴され、這々の体で逃げ帰ったようで、その噂が広まるとそんな話は二度とこなかった。


 全員が着席すると、奥の扉が開き、料理が運ばれ始める。

 パンにスープやサラダ、小さめのキジの丸焼きは、ブロストンとグレニアの前に。シリウスとイセリ、キリクの前には魚のソテーが並ぶ。シリウスの前の魚が一番大きい。


「これがイセリ様がお釣りになられた魚ですか。見ているだけでお腹がいっぱいになりそうです」


 シリウスが目を閉じながら、胸に手を当てて感慨深そうに言う。

 イセリが隣に座っているキリクの脇を肘でつつく。


「……キリク、あの大きいのは確かキリクが釣った魚じゃ……」


 つつかれたキリクがイセリの方に顔を寄せながら、シリウスから陰になる位置で口の前に人差し指を当て、「言わなければみんなが幸せになれます」と小声で言うと、イセリは後ろめたいながらも微妙な笑顔をシリウスに返すのだった。


 食事や酒が進み、ブロストンが上機嫌にしゃべり続けている。


「このようにおいしい新鮮な野生のキジが手に入るのは、田舎ならではですなぁ」と、本人は賛辞のつもりらしい言葉を聞いても、シリウスはにこにこと受け流している。


「しかしシリウス殿も残念ですな。国主代理とは言えこのように中央から離れた場所にいては、埋もれてしまいますぞ?あの時思い留まられておれば、あるいは夏神騎士団の団長は兄ではなく、シリウス殿の手に収まっていたやもしれませんからなぁ」とどこがおかしいのか下品にブロストンはゲヒャゲヒャ笑い、口から食べかすを散らかしている。


「それに着ておられる服などを拝見するに、暮らしぶりも大変なご様子。もしよろしければ去年流行した服などを送って差し上げますがいかがかな」と、これまた下品に笑いながら、自分の服やゴテゴテとした首飾りなどを胸を張るようにして見せ、シリウスの身につけているシンプルな装飾品などを目や手振りで比べるように指し示す。


 それを聞いたイセリが、恥ずかしげに悔しそうにうつむく。が、目をこすり、毅然と顔を上げる。

 それを横目で見ていたシリウスの目が、すぅっと冷たい輝きを帯びるように、細くなる。


「・・・・・・それには及びませんよブロストン殿。私は望んでここへ来たのです。それに中央とダマスクはさほど遠くはありませんよ。なんならブロストン殿のお帰りより早く、寝室に花を届けさせましょう。そう、とても瑞々しい花を」


 顔の前で手を組み、キリクでもほとんど聞いたことのない様な、とても低い声で言う。キリクに色目を使った男に対している時の声と同じだった。普段イセリやキリクの前では、穏やかな表情しか見せないシリウス。息子であるキリクですら威圧感がある。


「だ、だめです、私は大丈夫です、おじさま!」


 イセリは急に焦ったように立ち上がってシリウスに言った後、キリクの方を振り返って(止めて……)と言うようにキリクの袖を引く。キリクも慌てて何か言おうとするが、何を言えばいいか見当もつかなかった。


 シリウスが視界の隅にイセリとキリクを捉える。少しばつが悪そうに両手で顔を覆うように拭うと、いつもの穏和な表情に戻る。


「ダマスクはとても良いところで、日々の暮らしに十分な給金もイセリ様よりいただいております。私は今ここにいることこそが幸せなのです」


 とても満ち足りた表情で言う。


「そ、そうか。それはいいことだな。わ、私は少し酒が入りすぎたようだ、先に休ませてもらうとしよう」


 精一杯虚勢を張っているが、シリウスの脅すような声に少し気圧されているのがわかる。

 ブロストンは言いながら立ち上がろうとして椅子の足につま先が引っかかり、転びそうになりながら、グレニアに支えられて退出していく。


 ブロストンを支えているグレニアの表情が妙にさめた物なのが印象的だ。


 夕食を食べ終わった後、少し水で薄めたワインを飲みながらシリウスが話し始める。

「お見苦しいところをお見せしました。本来ならこのような不愉快な席にイセリ様を同席させるような事はあり得ないのですが、あのような男でも中央ではとても強い力を持っています。教会に対しての叛意有りと見なされれば、どのような無理難題をふっかけてくるやもわかりません。私がここにいる限り、イセリ様とこのダマスクにそのようなことが及ぶことは絶対にさせませんが、いつ何があるかわかりません。覚えておいてほしいのです。今の教会の中心には、あのような者が多数いることを。」


「……はい」


 イセリの心に浮かぶ不安は、ブロストンに対するものか、シリウスに対するものか。


「キリク。イセリ様をお部屋に」


「わかりました」


 キリクは立ち上がり、イセリの椅子を引くと、そのまま促すようにイセリを寝室へ送り届けると、少しだけ飲んだワインも手伝ってかそのまますぐベッドで寝てしまった。

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