七章 第一話
「この辺は子供の頃からよく遊びに来ていたところでの、季節によっていろんな花が咲くのじゃ。きれいじゃろ?」
ハリティアが誇るように胸を張る。確かに自慢するだけのことはあり、選んで植えられているのだろう、なだらかな丘には晩秋だというのに、きれいな花畑が広がっている。
「はい。この季節でこれだけまとまって花が咲いているのは見たことありません」キリクは素直な感想を述べる。
キリクはカイラギとの話し合いの数日後、ハリティアに狩りの申し出をしていた。いまだにその時のハリティアの笑顔が、キリクを苦しめていた。
「キリク殿が望めば、この見える限りの土地を手に入れることも可能なのじゃが?」そういってにこっと笑う。
戸惑うような表情を見せるキリク。
「しかしわらわは物で釣るようなことはもうやめにしたのじゃ。どちらにしろキリク殿には効果があまりないでの?」そしてまた笑顔を見せる。
「物で手に入れた心は、それが無くなるとすぐに消えてしまう。じゃが、こちらも心で向き合った心は、そう簡単に無くなったりはしないと思うのじゃ」
そう言ってそうじゃろというように「の?」とハリティアはキリクにほほえみかける。
キリクの心が全力で悲鳴を上げる。今からこの人を騙さなくてはならないのだ。いや、すでに騙しているのだと。
「はい」
無理矢理にでも笑顔を作るキリク。
「そういえば、今日はエリーとマリーは連れてきてはいないのですね」
前回の鷹狩の時にハリティアがかわいがっていた馬だ。今日二人が乗っていた馬は、質としては悪くないものの、エリーとマリーに比べれば数段落ちる感じがした。そのためか、今日のハリティアは馬を飛ばすようなことはいっさいせず、周りの景色をキリクに見せたいのだろう、必要以上にゆっくりと進み、ことあるごとにキリクに話しかけるのだった。
「エリーとマリーは、大事な用があっての……」
とたんにハリティアが顔を少し伏せ、寂しそうな表情を見せる。
「じゃが、とても大事な用なのじゃ!」
自分に言い聞かせるように大きめの声で言うと、また笑顔をキリクの方に向ける。キリクにはなぜかそれが少し悲しい笑顔に見えた。
「ほれ、今日の狩り場はあそこじゃ」
ハリティアが馬上で指さす方をキリクがみると、丘の上に以前の狩り場でみたような小屋が建っており、そこまでは蛇行する小道が続いていた。丘全体は低い灌木が生い茂っていたが、登るにつれ、小屋の向こう側には森が広がっており、頂上を境に森と灌木が分かれるようになっているのが見て取れた。
先頭で到着したハリティアが馬を下り、手綱を小屋の前で待ちかまえていた女性に渡す。
「キリク殿、以前話したことがあると思うのじゃが、私の狩り場やドラゴンの世話をしてくれている、マナミじゃ」
馬を下りたキリクに、ハリティアが紹介する。
ぱっと見は小柄な短髪黒髪の女性という印象だったのだが、よく見ると教会や帝国の人間ではなく、南方でもない不思議な印象を持つ女性だった。年の頃はキリクと同じかもう少し若いようで、短髪だったもののその黒髪はハリティアよりさらに濃いように見える。
「初めまして。とてもお若いのに良く整備された狩り場ですね。この仕事は長いのですか?」
マナミと呼ばれた女性が困ったような、恥ずかしがるような表情をする。
「あぁ、申し訳ありません、帝国語の方がよろしかったでしょうか?」
そういって共通語から帝国の主要言語に切り替える。キリクはイセリに語学も教えており、この他にも南方の言葉もしゃべることができた。
「キリク殿、そうではないのじゃ。彼女はこう見えてわらわと同い年じゃぞ?」
ハリティアがくすくすと笑いながら告げる。
「これは、申し訳ありません」
驚いたキリクはすぐにひざまづき、マナミの手を取ると手の甲を額に押し当て、詫びる。
「あぁ…いえ、そんな…その、小柄なせいで、若く見られてしまうようで、もう、慣れていますので…」
キリクの行為に驚いて顔を真っ赤にし、すぐに手を引っ込めてしまう。
「さて、マナミ、準備を頼む」
ハリティアがそう命じると、マナミが小屋の中から弓や矢筒に入った矢など、必要な物を運ぶ。
「今回はきっちり教会式の弓なども揃えてみた。楽しみにしておるぞ?」
そう言ってハリティアは弓をキリクに手渡す。
はいと返事をして装備をしつつ、キリクの中に暗い申し訳ない思いが広がる。ハリティアが予想よりゆっくり狩り場まで移動したため、合流するときまでさほど時間は残されていなかった。おそらく獲物を一匹でもしとめたら、行動に移らなければならないだろう。マナミに装備を手伝ってもらっていながら、ハリティアになにも告げられずここを去ることに、強い罪悪感を感じていた。
「声を上げぬよう、そのまま静かにお聞きください」
キリクはいきなり話しかけられ、思わず返事をしそうになるのをなんとか堪える。話しかけてきた相手は、キリクの装備を手伝っているマナミであった。
「準備が終わり次第、この森の中へ私と獲物を追いに行きます。そしてあなたはそのまま合流地点に行き、馬を乗り換えて脱出してください」
マナミは小声でそれだけ言うと、ブーツの紐を止め終わり、立ち上がる。
「よし。まずはタムリト、先に行くが良いぞ」
ハリティアが声をかけると、タムリトが勢いの良いかけ声と共に弓を片手にかけ降りていく。通り過ぎ様キリクを睨んでいったのは対抗心からか。
「キリク殿だけにかっこいい思いはさせられないと、うるさくてかなわんのじゃ」
ハリティアがキリクに顔を寄せて小声で言う。キリクは苦笑いを返しつつ、下っていったタムリトを目で追う。
「ウサギを見つけたようですね」ハリティアに指し示す。
「キリク殿は本当に目が良いのじゃなぁ」
ハリティアも目を凝らして見ても見えないようで、あらためて感心したように言う。
「あっ」
キリクは思わず声を出すが、それ以上なにも言わないでいると「ふむ、うまく乗りながら当てられないようじゃの。あ、また外した。おとなしく降りて狙えば良いものを」
いつの間に取り出したのか、望遠鏡でタムリトの様子を見ている。
「キリク殿への対抗心のせいでみっともないところばかり見せておるが、あれでも本当はかなり出来る男なのじゃがのう」
ため息混じりにハリティアは言い、望遠鏡をキリクに手渡す。
「おそらくハリティア様に良い所をお見せしたいのでしょう」
そう言ってキリクは借りた望遠鏡でタムリトを見るのだが、馬を走らせながら弓を構えることに慣れていないのだろう、馬の背が上下に揺れるたび、衝撃を吸収しきれず狙いがぶれているようだ。
「お、馬を止めてしとめたようじゃの。最初からやりやすいようにすればよいものを」
鞍に獲物であるウサギを下げて、若干肩を落としながらタムリトが戻ってくる。
「申し訳ありませんでした」
馬から下りると、そのままがっくりと肩を落とす。
「なにを言うておるのじゃ。若干時間はかかったが、良い型のウサギじゃ。褒めてとらすぞ」
ハリティアの言葉に気分を持ち直したのか「ありがたき幸せ」と力強く返事をする。
「さて……次はキリク殿の番、じゃな」
少し間をおくように、ハリティアが言う。
「ハリティア様、低地の方は少し獲物が少ないようです。キリク殿は森の方から追っていただいた方がよろしいのでは」
マナミがハリティアに提案する。
「そうじゃな、その方がいいかもしれんの」
ハリティアはそう言って振り返り、キリクの手を取る。
「では、キリク殿……頼んだのじゃ」
キリクの方を見ず、念を押すように手をぎゅっと握る。
キリクはそれに対し返事をすることが出来ず、マナミに促されるように馬に乗ると「では」と一言だけ発してそのままマナミの後に続く。
「ここから森に入ります。ついてきて下さい」
先導するマナミについていくキリクが、森に入る寸前に一度だけ振り返ると、一団から少し離れていたハリティアが、キリクに向かって手を振っているのが見えた。キリクはぐっと手綱を握りしめ、少しだけ手を振り返すのだった。
「もしこのまま逃げることが出来れば、ダマスクに戻ってもハリティア様のことを忘れないでいてあげて下さい」
マナミがこちらを振り返りもせずに言う。
「あなたはなぜ、この脱出に手を貸してくれるのですか?」
不思議に思ったキリクが聞く。その言動や行動から、マナミがハリティアに対して叛意があるようには見えなかった。
「はっきりしたことは言えませんが、キリク様とイセリ様がこちらに長く捕らわれた場合、あまり良い状況ではないと言うか……はっきり言ってしまえば、命の危険も出てくると思われます」
キリクの方を振り返りもせずに言う。
「その事に危惧を抱いている人物がいるとだけ、覚えておいて下さい」
キリクはマナミのこの言葉でカイラギの顔が浮かんだものの、そういったことで悩むのは、助かってからにしようと意識の奥へしまい込む。
しばらく森の中へ進んでいく。日差しが木々に遮られ、少し薄暗く感じられる。
「ここで分かれましょう」
マナミが馬を止めたのは、片側が切り立った崖になっている、T字路に突き当たった所だった。
「ここから先に二十分も進めば、合流地点に馬と手引きするものがいるはずです。もしかしたら少し遅れましたので、イセリ様も先におられるかもしれません」
「あなたはどうするのですか?」
どうしても気になったキリクが質問する。
「私は適当な時間を見計らい、ハリティア様の元へ戻ります」
「咎められることはありませんか?」
「大丈夫です。私は戻り次第、キリク様がここの崖から転落して流されたと伝えますので、捜索のため混乱することになるでしょう」と、マナミが笑いながら言う。
「なるほど」キリクは崖から落ちる自分を想像して苦笑いする。
「もしダマスクに来られることがあれば、かならずお寄り下さい。この恩をお返しする機会が与えられることを。では!」
キリクはそう言って馬の腹を蹴ると、教えられた合流地点へ向け馬を走らせた。
「ハリティア様の目は、確かなようですね。剣の息子と聞いてどんな傲慢な人かと思えば、私みたいな使用人の身を気にするなんて」
走り去るキリクの背を目で追いながら、マナミはクスリと笑う。
「御武運を」
そう声に出すと、ハリティアの元へ戻るべく、ゆっくりと馬首を返すのだった。
マナミと別れてから十分ほど、替えの馬が用意されていると聞いていたキリクは、申し訳ないと思いつつも馬を酷使していた。少し遅れているかもしれない、そう言う思いがキリクの気を焦らせていた。
(急ぎすぎて合流地点を見落としてないだろうか?)
キリクがそう思い始めた頃、前方にこちらに手を振る小さい人影が目にはいる。イセリだ。
「イセリ様!」
キリクは急いで馬を寄せると、そのままの勢いで馬を下りると、片膝をつく。
「ご無事で」
「無事もなにも、危険なのはここからだわ」
言葉とは裏腹に、膝をついているキリクの頭をぽんぽんとなでるようにさわる。辛そうな色をまとうキリクの心情を、慰めるように。
「イセリ様、キリク様、今は迅速にここから離れることをおすすめします」
そう言って馬を引いて現れたのは、目つきの鋭い、壮年に入りかけの男だった。
「キリク、こちらはカイラギ様の副官でマカさんよ」
イセリに紹介された男が頭を下げる。
「馬には三日分の食料と水、あと夜野宿するには厳しいかもしれませんが、少し夜具も積んであります」
使わないに越したことはありませんがと言いつつ、二匹の馬をつれて道へ出てくる。
その馬を見た瞬間、キリクの表情が凍り付く。
「エ、エリーとマリー……」
「どうしたの?」
驚いた顔をするキリクに、イセリが怪訝な顔をする。
「この馬は、どこで手に入れたのですか?」
キリクがマカに少し強い口調で問う。
「私は隊長に指示をされただけなので、質問は逃げ延びてから隊長になさって下さい」
そういって、マカは急かすように手綱をキリクの手に渡す。
「この馬がどうしたの?」
動揺するキリクの色を見たイセリが、心配するように聞く。
「いえ、大丈夫です。急ぎましょう」
キリクは動揺を振り払うように頭を振り、イセリが馬に乗るために手を貸し、イセリもキリクの手を踏み台にして馬上にあがる。
(こっちはエリーだったか)
そう思いながら、乗ってきた馬から弓を移し替え、キリク自身は誰の手も借りずに、一息に馬に乗る。
「こちらに地図が入っていて、一応一番警戒が少ないと思われるルートを示しておきました」
マカがエリーの鞍にくくりつけられている鞄を指し示しながら、説明する。
「ありがとうございます」
「御武運を」
マカがこぶしを突き出してきたので、キリクもそれに合わせるように拳をとんと当てる。
「行きましょう」
キリクはイセリを促し、当初の予定していたルートに馬を向ける。しばらくは森の中を進む予定なので、あまり周りを気にせずに、最初は速度を出さず、イセリの様子を見ながら進む。
「とても良い馬ね」
イセリがキリクのまとう色を見ながら言う。
「えぇ、おそらく帝国でもトップクラスの馬です」
そう言ったキリクの色が激しく乱れる。イセリは自分達の乗っている馬のことがとても気になったものの、キリクを動揺させるつもりはなく、これ以上の追求はやめておくことにした。
二人は今日中に距離を稼ぐべく、徐々に馬の速度を上げていく。森の中の道をどんどん下っていくとやがて緩やかになり、森の木々もまばらになり始める。
「もうすぐ森を抜けます。しばらく主要街道を避けて進みむため、道が荒れていると思いますので気をつけ……」
イセリに注意を促そうと振り返ったとき、自分達が下りてきた丘の上、森が切れ、崖が突き出しているところがあり、その上に誰かが立っているのが目に入った。
遠くて顔はよく見えないものの、痩身で陽光にきらめく長髪が風にたなびいているのが見える。
キリクはその瞬間すべてを理解した。なぜこんなにスムーズに脱出が進むのか、なぜ帝国内でも信頼を置かれている者が、応じてくれているのか。エリーとマリーがここにいるのは。
「キリク!どうしたの!」
千々に乱れるキリクのまとう色を見かねて、イセリが馬を並べて声をかける。そして、キリクが見ていた方を見たとき、イセリはキリクが心を乱される理由を知る。
キリクに向かってまっすぐに延びる、輝くような光。そのわずかに悲しみを帯びた色は、丘の頂上にいる人物から放たれている。イセリもすべてを理解する。
「ハリティア姫、なのね?」
「……はい」キリクの声がかすれる。
(前金のようなものじゃ)
キリクの脳裏に、そう言って笑うハリティアの顔が浮かび、思わず叫びそうになる。
「キリク、あのね」
「イセリ様、絶対に脱出しましょう。二人で」
キリクはイセリに悲しい思いをさせた自分に腹を立てるとともに、いろいろな思いを乗せたこの脱出を、必ず成功させなければならないと心に誓っていた。必ず。
「行ってしまわれましたね」
マナミが開けた場所に立っているハリティアに声をかける。
ハリティアは道を進むキリクとイセリを見ていた。一瞬、キリクがこちらを見たような気がしたものの、この距離では自分とわかるはずもなく、ただ警戒して振り向いただけなのだろうと思っていた。
だんだん二人の姿が小さくなり、うねる道の向こうに消えると、ハリティアの肩が小さくふるえているのがマナミから見て取れた。
「わらわは決めたのじゃ」ハリティアがぽつりと言う。
「何をですか?」
これ以上無いと言うぐらい優しい声でマナミが聞く。
「キリク殿が幸せであれば、それでよいと」声が震えている。
「ハリティア様、ご立派です」ハリティアの手を握るマナミ。
「立派なものか。だったらこんなに悲しいのはなぜじゃ」と言うと、堰を切ったように泣き始める。
マナミは本当はハリティアを抱きしめたいと思ったものの、背の小さい自分ではうまく行かず、よしよしとハリティアの頭をなでるにとどめる。
「たとえ悲しくとも自分の幸せより、好いた方の幸せを選んだのです。こんな立派な女性はなかなかおりません」
さらに強くなでる。
「キリク殿に、この気持ちが届けばもっとうれしいのじゃがの」
泣きながら笑顔を作るハリティアに、マナミがきゅんとなる。
「ええ、届きます。届きますとも」
マナミは、ハリティアにここまで思われても祖国に戻るキリクが、理解できなかった。しかし今はそのキリクとイセリを無事に逃がさなければならない。
「ハリティア様、そろそろ戻らなければ、タムリト殿が不審に思うかもしれません」
思い人が消えた方向をいつまでも見つめるハリティアに、マナミが促す。
「そうじゃな、タムリトは疑い深い上に、キリク殿に対抗心を燃やしておるでな。困ったものじゃ」
そう言ってハリティアは涙を拭き、馬に乗ると、狩り小屋に向けて馬を進めるのだった。




