六章 第二話
その後も、ハリティアは事あるごとにキリクの元を訪れ、イセリを帰す方法やムロギアに対しての愚痴などを言っていくのだった。キリクはそれに対して曖昧な返事をしていたものの、ハリティアは最初の頃のように強くキリクに感情をぶつけるようなことはせず、ただキリクとしゃべっては帰っていくのだった。
そんなある日、珍しくハリティアが人を伴ってキリクたちの元へ訪れた。
「今日は珍しい人物を連れてきたのじゃ」
そう言ってハリティアに続き部屋に入ってきた人物を見て、キリクはとても驚いた。
「ダマスクでの知り合いと聞いての。気が晴れればと思ってつれて来たのじゃ」
そう言って紹介されたのは、カイラギだった。
「よう、元気にしてたか、嬢ちゃんとキリク」
相変わらず軽いのりで二人の前にでる。
「ではわらわは席を外すことにしよう。国の話で盛り上がるとよいぞ?用が済んだら外の者に声をかけてくれればよいでな」
言いながら意味ありげな視線をキリクに送りながら出ていく。
「さて、最近のダマスクの事を話しておこうと思ってな」
イスに座るカイラギに珈琲を出し、キリク自身もイセリの隣に着席する。
「シリウスおじさまは、私たちがここにいる事を、知っているの?」
シリウスの心情を想像したのだろう、イセリは少し悲しそうな表情をする。
「それがものすごく大変だった。君たちの状況を知らせるために部下を送り出したのだが、話を告げた瞬間に今まで見たこともないほど激高したそうだよ。あのシリウスが、だ」
「父は、父はなんと?」
「私のもっとも信頼する部下に頼んだんだが、激高した後に、すぐ兵の動員を始めようとしたそうだよ。私にもすぐ戻るようにと命令してきたほどだ。依頼では無くね」
そういってキリクが入れた珈琲を一口飲む。
「そんな、父は戦争を始めるつもりなのですか!」
キリクが信じられないと言うように、身を乗り出して問いつめるようにカイラギに詰め寄る。
「いや、まずは威圧のためだとは思うんだが、とりあえずこちらとのすりあわせもあるから、実際すぐに行動しているわけではないよ。止めるように部下には言ってあったしね」小声で「部下は怖かっただろうけどね」と付け加える。
イセリは、自分たちが捕まったせいで戦争が起きかねない状況に、恐怖で何も考えられなくなっていた。いつも優しく自分に対し光輝くような思いを向けてくるシリウス。あのシリウスが激高して場合によっては戦争も辞さない、そんな準備をしている。信じられなかったし、信じたくもなかった。
「シリウスは、君たちが行方不明になったという知らせを受けた直後から、全力を傾けて捜索していた。だがいくら探しても見つからない。そりゃそうだ。帝国内にいたわけだからね」
「しかし、父は帝国内にも目を持っていたはずですが」
キリクは父が帝国内に関する報告書を持っているのを読んだ事があった。
「そうだろうな。だが今回は私からの報告が一番だったようだ。何せムロギア帝の前に引き出されたその瞬間に、そこにいたんだからね」
キリクはムロギア帝に謁見したときのことを思い出していた。一瞬驚いた表情でキリクを見たカイラギ。そのあとすぐにキリクの父であるシリウスに使いを出してくれたのだろう。
「ありがとうございます。しかしムロギア帝はなぜ、すぐに何らかの交渉材料として、イセリ様を利用しなかったのでしょうか」
今となってはキリク自身も交渉材料になってしまっていたが、あえてそのことには触れない。
「ムロギア帝の周りではいろいろな意見があがったようだよ。単純に金銭のやりとり、ダマスク特産の鉄、領地との交換。だが、ムロギア帝はイセリ姫自身に興味を持っていたようだ。手紙姫に」
イセリは久しぶりにその名で呼ばれたような気がしていた。まだこちらに来てひと月と経ってはいないのに。
「そう呼ばれるのはあまり好きではないわ。本当の所からほど遠いんですもの」
イセリは自分が手紙を書いた相手が、幸運を掴んだとは思っていなかった。それらの手に入れた物は、すべて当人の実力による物だと思っていたからである。
「しかしムロギア帝は、イセリ姫のその力にひどくご執着の様子。そのせいで、交渉の材料などにせず、手元に置いておこうとすら思っているようだよ。キリクと一緒にね」
そういってキリクの方へするどい視線を向ける。
「そう、そうね。でも少し前まではキリクの方に執着していたようだわ。自分の娘をけしかけるぐらいにね」
それを聞いたカイラギがにやっと笑う。
「話は聞いてるよ。たいそう気に入られたようだな。そのおかげで俺はこうしてここにこられたわけだが」
「アリハル様では問題があったのでしょうか?」
キリクが疑問をぶつける。
「さて、ここからが本題だ」
そういって居住まいを正すと、まじめな表情をする。
「二人が帝国を脱出する計画があるんだが、興味はあるかい?」
イセリとキリクは脱出という言葉に意表を突かれ、すぐには反応できないでいた。
「え、それはどういう」
どうやって脱出するのか、キリクはそう聞きたかったのだが、誰かに聞かれているのではと心配になり、ありうまく言葉が出てこない。
「そんなに難しい計画じゃない。城の外へ行き、二人でこっそり馬に乗って逃げるだけさ」
まるでいつもやってる事だろう?と言わんばかりにカイラギが言う。
「どうやって?二人で城の外へ行くだけでも計画が思いつかないわ。まして教会圏へ逃げられるだけの馬をどうやって手に入れるの」
イセリの言葉はもっともだった。常時監視がついた状態で、自由に建物から外へ出ることも許されていない。何をやるにもアリハルを通さなければ身動きがとれない状態であった。
「馬はこちらで何とか出来る。それと城の外へ出る方法だが、何も二人だけでとは言ってないさ。誰かさんとなら外に出るのはたやすいだろう?」
そう言ってキリクの方を見るカイラギ。
「やはりそう言うことですか……」
キリクはカイラギの考えを知って気が重くなっていた。実はキリクも少しだけ考えたことがあったのだ。城の外へ出て、より遠くまで安全に移動する方法。
「ハリティア様を利用せよと、おっしゃるのですね」
キリクの気持ちが重く沈む。
「その通り」カイラギがニヤリと笑う。
「そして決行はそう遠くない時期にしなければならない。ムロギア帝に怪しまれたら、それも難しくなるだろう」
ムロギアがキリクに興味を示し、イセリの力に畏怖をする。もし脱出するような素振りを一度でも見せれば、アリハルやハリティアとの外出すら制限されるだろう。
キリクの心が重く沈む。外に出るだけなら確かにうまくいくだろう。それにカイラギの手助けが加われば、ムロギアが気がついたときには、手の届きにくい所まで逃走することが可能かもしれない。そう考えが至っても、一向に晴れることがない。
キリクはハリティアをだまし、裏切る事に強い抵抗を感じていた。
「なんだ?不満そうだな」
予想に反して暗い表情のキリクにカイラギが疑問の声を上げる。
「キリクはハリティア姫をだます事に抵抗があるのよ」
「そ、そのような事は……いえ、確かに、少しは……」
否定する事も出来ず、キリクはイセリの視線を避けるように目をそらしてしまう。
「おいおい、キリク。俺は前会いに来たときになんて言ったか覚えてるか?」
カイラギが以前アリハルに伴われここに来たとき言った言葉。
(いいか、おまえがイセリ嬢ちゃんを守るんだぞ。他の誰でもない、お前が守るんだ。それがお前を守るためでもあることを忘れるな)
「いいのよキリク。あ、あなたが本当にハリティア姫の事が、その、気になるというのなら……」
イセリは、ハリティアのことが好きなら、という言葉を口にすることが出来なかった。それを言ってしまうと、今この瞬間のすべてが崩れていってしまいそうに感じていたからだ。
キリクは、無理に笑顔を作ろうとしているイセリを見て、自分の心の中の気持ちが固まっていくのを感じていた。イセリ姫を守ることが、自分を守ることになる。
「イセリ様。ハリティア姫は確かに美しい方で、それでいてとても気持ちの良い方です」
キリクが居住まいを正し、まじめな顔でイセリの方を見る。
「私に対してまっすぐに向けていただいている好意に対して、裏切ることになる事は心が痛みます。ですが、今ハリティア姫に対して恋愛感情は持っていません」
キリクは自分でもとても不思議に思っていた。ハリティア姫の思いに対して、男としては当然悪い気はしなかった。だが、なぜそれ以上の好意を感じることがないのか。
「私は、イセリ姫と共に、ダマスクに帰りたいと思っています」一人ではなく。
イセリの目に、何の曇りもなく純粋に光輝く思いを向けてくるキリクが写る。シリウスと同じかそれ以上の輝き。イセリは未だにその輝きを向けてくるシリウスに対し、恥ずかしさを覚えるのだが、キリクに対しては恥ずかしさよりも心地良さのような嬉しさがこみ上げてくるのだった。
「イ、イセリ様どうかされましたか!」
キリクがあわててイセリの顔にハンカチを当てる。
「え?」
イセリの頬に知らず知らずのうちに、涙がこぼれ落ちる。
「あれ、なんで」
目をゴシゴシとこすり、恥ずかしそうに笑う。
「よし、話は決まったな。準備が終わり次第また連絡する」
そう言って珈琲を飲み干すと、扉に向かい外にいるハリティアの従者に声をかける。
しばらくすると扉が開き、ハリティアが顔を出す。
「ゆっくり話は出来たかの?」
そう言って笑顔をキリクに向ける。
「はい、ありがとうございました」
キリクはハリティアに笑顔を見せることに強い抵抗を感じたものの、何とか笑顔を作る。
「そうか、それなら良かったのじゃ。何か困ったことがあれば何でもいうておくれ」
そう言ってカイラギを伴い、退出していく。
「本当に大丈夫?」
ハリティアに対して沈んだ色になっているキリクをイセリが気遣う。
「はい。私はイセリ様とダマスクに戻ります。必ず」
キリクはそういって横に立つイセリの手を握る。
「そう、そうね」
一瞬驚いたものの、イセリもキリクの手を握り返す。まるで手を繋ぐことでお互いの存在を確かめるように。




