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一章 第二話

 帝国。その時々の皇帝の名を冠し、現在はムロギア帝により統治されている。百年ほど前に、大陸中央の広大な草原地帯より興った騎馬民族国家を祖とし、瞬く間に周辺国家を併呑し現在に至る。


 教会圏。表向きは四季の四神を主神とする、正家族教会を国教とする小国家群の集まりなのだが、実際は大陸西方にひしめいていた小国家群が、帝国に対抗するために結束するにあたり、当時勢力を広げていた正家族教会が間を取り持ったと言うのが真相である。


 その教会圏の北方。ダマスク山脈の裾野に広がる、肥沃な平地に栄える歴史ある小国、ダマスク。

 ダマスク山脈からの良質な鉱石と、それを精製する技術を南方よりいち早く取り入れ、自国内で産出、精製、製造を一括して行うことで、教会圏に属する以前よりその名を知られていた。

 さらに長く続いた帝国と教会圏との戦争により、重要度を増した良質な鉄が、ダマスクの地位を確固とした物にしていった。

 そして約一年前。ダマスク前国主タルソドの病死により、その地位は当時十歳だったイセリへと継承されることになる。 死ぬ間際に、幼いイセリを不憫に思ったタルソドが、当時親友だったキリクの父シリウスにイセリを託したのだった。


「……そして、現ムロギア帝との間に、緊張緩和に向けた話し合いが持たれているわけです。」


 イセリの机の前に黒板を置き、そこに広げて張り付けた大陸の地図を前に、キリクが今の状況を講義している。


「その中で、帝国との繋がりを見せる事の一つに、おそらく今回のミアタ様の姉君のご結婚も含まれていると、そう思われます」


 ミアタの姉の結婚相手は、帝国との境界を挟んだ領主の息子だった。帝国領に嫁ぐことになる。以前なら考えられない話だ。


「平和を買うための、生け贄なわけね」


 遠い答えではない。


「今の現状だけを見た場合、そういう見方になることも考えられます。ですが、ミアタ様のおられるムルタラは昔から帝国側との交流が盛んな国です。戦争中でも一部の力を持った商人たちの商隊が、行き来していましたし。帝国側と教会圏。お互いの玄関口として発展すれば、これほど利益になることはないでしょう」


「安全が確保された道、という事?」


 キリクはニコリと微笑みながらうなずく。


「では、今日は勉強はこれぐらいにして、ミアタ様の所に行く準備でも進めましょうか」


 黒板を自分の執務室でもある部屋に片づけ始める。


「……魚釣りがしたい」


 イセリは机から振り返り、出窓から降り注ぐ暖かい日差しを眺めている。こんな陽気の日に部屋にいる自分を憂いているかのようだ。

 キリクは黒板を運ぶ手を止め、ゆっくりと振り返る。


「……昨日の贈り物に入っていた釣り竿を、試したくなったんですか?」


「試すっていうか、せっかくの心がこもった贈り物だわ。使ってからお礼の手紙を書くべきだと思うのよ」


 キリクの方に向きなおり、机に両手をついて乗り出すように、その目に期待を込めて。

 イセリはどんな贈り物でも返事を書くわけではなかった。高価な物や珍しいもの、何を送られてもキリクにまかせっきりの事もあれば、何の変哲もないただのはさみに感銘を受け、便箋数枚にぎっしり文字を並べて返事を書くこともある。


 とにかくこの状態になったイセリは、ほかの何をしても上の空になるのを、キリクはここ一年で学んでいた。


(しかしよりにもよって釣りですか……)


 釣りが出来る所まで、少し距離がある。たぶん今日の予定はすべてつぶれるだろう……。

 キリクは小さくため息をつき、負けましたといわんばかりに両手を胸の上に上げながら振り返った。


「わかりました……。この時期に魚が釣れそうな所は少し距離がありますので、国主代理に許可を求めに行きましょう」


 そして黒板を執務室に押しやる。

 イセリは小さく「やった」と声を出すと、奥の寝室に向かい、近場で外出するときに好んで着る、羊毛を明るいオレンジ色に染められたコートを取り出す。丈が長めで、腰の紐を縛る留め具がパンのクロワッサンの形をしているのが気に入っている。これも町の服屋からの贈り物だ。喜んで返事の手紙を書いた記憶がイセリの脳裏に浮かぶ。イセリは布団服を脱ぎ(これももらい物でイセリが勝手に呼んでいるだけだが)、半袖のチュニックの上に上着を着て、まだ保管場所も決まっていない、袋に入ったままの釣り竿を背負って執務室に戻る。


 その時キリクは、自分の執務室で、準備を始めていた。

 チュニックは厚手の物を選び、下のズボンも皮の丈夫な物にする。腰に何の装飾もないがしっかりした作りの剣をつけ(これも「イセリの付き人にふさわしい物を」と町の鍛冶屋から贈られたものだ)、遠出の際は身につけるようにと父から贈られた、厚手のマントを身につける。少々時代遅れでかなり無骨で重量のある代物だったが、そこが気に入っていた。

 あとは、いくらかの貨幣や保存食などの入ったポーチを腰につける。いつもの格好だ。


 イセリの部屋に戻ると、カバンに果物やパンや飴などを詰め込んでいるイセリが目にはいる。気分はピクニックだ。


「イセリ様、先に国主代理に外出許可を戴きに参りましょう。」


 イセリは言われて少し考える風に視線を泳がせたが、お菓子をカバンに入れる手を止めて立ち上がり、キリクを従えて部屋を後にする。


「イセリ様付き従士、キリクです

 」国主代理の執務室をノックすると、「どうぞ」と中から国主の物と思われる声で返事があった。

 キリクは扉を開け、「失礼します」と中に入るとひざまずいた。

 毛足の長いカーペットが敷かれた部屋は、キリクやイセリの部屋よりわずかに広く、左右の壁は本棚で埋められており、大きめに取られている窓に背を向ける形で執務机が置かれていた。


「イセリ様が外出許可を求められています」


 執務机に座り、山と積まれた書類に目を通していた国主代理、シリウスが顔を上げ、キリクに目を向ける。

 少し長めの髪を首の後ろで縛り、少し厚めのゆったりとしたダブレットを着ている。もみあげの部分に白い物が出始めたのを気にしていることを、キリクは知っていた。


「ご苦労」


 キリクの格好を見、城壁の外へ出る許可を求めているのを理解する。


「それほど遠くではないようだが、どこへ……」


 とまで言いかけて、開いたままになっている扉で何か動く物に気がつく。何か細い棒のような物が延びてきたかと思うと、先端がしなるように動いている。


 シリウス国主は小さくため息をつき「泉まで釣りにでも行くのか?」とキリクに聞いた。


 言われてキリクはシリウスの視線をたどり、背後の開かれた扉に目をやると、延ばされた釣り竿の先端がひょこひょこと動いているのが目にはいる。キリクの脳裏に、待ちきれずうきうきと廊下で釣り竿を組み立てている、イセリの姿が浮かぶ。


 と、気がつくとシリウスがキリクの横で膝をついた。


「イセリ様、お入り下さい」


 シリウスが言うと、竿の先がびくん!と揺れ、恐る恐るといった感じでイセリが顔を出す。


「ようこそおいで下さいましたイセリ様。最近はキリクばかりを寄越して、寂しく思っていたのですよ?」


「え……あの、忙しいから邪魔してはいけないと思って……」


「忙しいなんて!」


 大仰に両手を上げ、天を振り仰ぐように。


「イセリ様の為とあれば、ほかの仕事なんてすべて暖炉に焼べてしまえばよいのです」と、両手で竿を握ったイセリの手を包む。


 イセリは恥ずかしそうにうつむいてしまう。嫌いではないのだが、頬を赤らめシリウスのことを眩しそうにしている。


「して、今日は釣りに行かれるのですか?時季的にあまり向いているとは思えませんが……」と言うと、イセリの顔が曇り、少ししょげたような感じになった。


「いえ、釣れないわけではないでしょう!きっと大丈夫です!なぁキリク!」


「あ、え!?」


「なぁ!」


 キリクの両肩をつかむ。


「は、はい、たぶん産卵を控えた魚を狙えばきっと……」


「ほうら、大丈夫。私が言いたいのは、少し寒くなってきているので、暖かい格好で……」


 そこまで行ってからイセリの格好を眺め「あぁ、コートがとてもお似合いですよ」

 キリクは少しため息をつき、念のために行く予定の場所とを書いた紙をシリウスに手渡した。


「あまり遅くならないようにな」と、シリウスがキリクに向かって言うと、


「大丈夫だ!今日の夕飯に間に合うように帰ってくる予定だから!」とイセリが元気に竿を振る。


「気をつけて楽しんできて下さい。私も料理長に連絡して、楽しみに待っている事にします」

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