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五章 第三話

 結局、イセリの機嫌は次の日の朝食の時間になっても戻らず、アリハルが迎えに来たときですらむすっとしたままだった。


「昨日何かあったのかい」


 イセリが部屋に着替えに行くと、アリハルがキリクのそばにつつっと寄って来て聞く。昨日とはうって変わったイセリの様子に驚いているようだ。


「あったと言えばあったというか……イセリ様は近しい方がいない所で、お一人で過ごされるのに慣れておりません。それで少しナーバスになられているというか」


「ふむ、そうですか。分かりました。その辺気をつけながらもてなしさせていただきます」


「なにを気をつけるの」


 まだ幾分低い声音を響かせながら、着替えの終わったイセリが階段を下りてくる。


「あぁ、とてもお似合いですイセリ様」


 アリハルが大仰に両手を広げてイセリの方へ向く。前日に今日の遠出の為の衣装を届けてあったのだ。


 濃い青色のシャツにビロードの黒いスカート。そこにロングのブーツを履いている。膝を隠す程度の少し短いスカートが気になるのか、足下まですっぽり覆う外套で体を覆っている。


 実は前日に衣装を届けられたとき、キリクはスカートを一目見て遠出するには短すぎると、ズボンを勧めていたのだ。


 イセリも足を出すことに抵抗があったためズボンにしようと考えていたのだが「イセリ様にはまだ早すぎます」というキリクの言葉に反発し、スカートにしたのだった。


「さぁ、どこへでも連れてってちょうだい」


 そのまま戦いに行くかのような態度だ。


「ではキリク殿、イセリ様をお預かりします」


 優雅にキリクに一礼し、イセリの方に肘を出す。が、それに気がつかないのか無視したのか、スタスタと一人で出口に向かうイセリ。アリハルが一人でとっているポーズが案山子のようだった。


 あわてて出ていくアリハルを送り出した後、窓の外を見ると、豪華な飾り付けがされた馬車に乗り込もうとしていたイセリと目が合った。キリクにはその目が少しおびえているような風に見え、一人で行かせることにさらなる罪悪感を感じさせる。そのほかに荷物や使用人なども乗せた馬車二台、前後を四騎の騎兵に守られた大所帯だ。


 イセリを送り出した後、自分の服装を考えてみる。何をするかも聞かされていないため、どういった服装が適当なのかも分からなかった。しかし何も言われていないと言うことは、言い換えれば特別な衣装も必要ないということだろうと判断し、何も着替えないことにした。


 ただ一つ気になったのは、ムロギアより直に許されている剣の問題だった。許されているのだから帯剣していきたいと思う反面、曲がりなりにも女性からの誘いに対し、剣を帯びていくのかという問題があった。まるで警戒しているかのようだ。いや、実際キリクは警戒していたのだが。


 悩んでいると部屋に来訪を告げるベルが鳴る。おそらくハリティアの使者が来たのだろうと扉を開けてみると、そこに立っていたのはハリティア本人だった。


 体にフィットするようなシャツとズボン、それに少し厚手の皮で出来た上着を着込んでいる。頭の後ろで縛って結い上げた髪と相まってとても男っぽく活動的に見えるのだが、生来の美しさと相まってかそれがとても似合っていた。


「なんじゃ、こう言うときはとりあえずお世辞でも良いから誉めておくべき所じゃぞ?」


 少し見惚れるようにぼうっとしていたキリクを、少しだけたしなめるように言う。


「あっ!申し訳ありません、その、以前と印象が全く違って少し、驚きました。とても、その似合っておいでです」


「そうかそうか。準備は出来ておるか?まだなら中で待たしてもらうが」


「いえ、今準備できたところで、すぐにでも出られます」


 そういって手にした剣をそのまま腰に装備する。悩んでも仕方がないので、ダマスクにいたときならどうしたかを考え、帯剣していくことにした。


「そういえば、キリク殿は乗馬の方はだいじょうぶかの?」


 部屋から出てすぐ、前に繋いである馬に向かいながらハリティアが言う。


「はい、特別得意なわけではないですが」


「それは良かった」


 小姓などの補助もなく、一人で軽々と馬にまたがってみせ、笑顔を見せる。


「今朝になって教会の者は馬に乗らぬ者も多いと聞いて、少し心配していたのじゃ」


 キリクも用意された馬に乗り、手綱を引いてみる。若く足取りが力強い良い体躯をした馬だ。


「国一番とはいえぬが、それも良い馬じゃぞ」


 キリクの横に轡を並べ、促すように馬を前に進め、後続の馬車や護衛と思われる兵数人に合図をする。


「今日はどちらへ行かれるのですか」


 少しずつ馬の速度を上げるハリティアに合わせて、キリクも徐々に馬の速度を上げつつ聞く。

「ついてくればわかる」


 いたずらっぽく笑うと、さらに速度を上げる。すでに常歩と呼ばれるような速度ではなく、駆足と呼ばれるかなり速い速度の状態のため、後続の兵士や使用人などは遅れはじめ、荷物を載せた馬車などは姿が見えなくなっている。


 ハリティアが後ろを振り返り、後についてきているのがキリクだけなのを確認すると、クスリと笑いさらに馬の腹にけりを入れた。


 少し驚いたものの、キリクもさらに速度を上げる。

 時折速度をゆるめたり加速したりと、緩急をつけて四半刻も走った頃、ハリティアは街道をはずれまだらに木の生える丘の上へと続く小道にはいり、丘の頂上に建てられている小屋の前で馬を下りる。


 馬を水と飼い葉が入れられた桶の前に繋ぎ、誉めるように馬の体をなでている。


 キリクは雨水ではない新鮮な水に用意された飼い葉を見て、事前に人が来て準備している事に気がつく。


「速かったの!ここまでわらわについてきたのは、そちが初めてじゃ」


 ハリティアは少し嬉しそうにキリクが乗っていた馬の前に来て顔を撫でている。


「ハリティア様が用意してくださった馬のおかげです。とても乗りやすい上に持久力もあります」


 キリクは最初、騎馬民族である帝国の馬が優れているのかと思っていた。だが、後続がどんどん離されていくのを見るにつけ、キリクの馬とハリティアの馬が特別なのだと気がついた。


「そうじゃろそうじゃろ?エリーとマリーは私が15歳の時にプレゼントされた馬でな、帝国でも屈指の系統の馬なのじゃ」


 馬を誉められたことが嬉しいのか、満面の笑顔でキリクの方に振り向く。


 歳はキリクより五つも上の二十歳ぐらい、体の線を強調するような乗馬用の服が大人の色香を感じさせるのに、屈託のない少女のような笑顔をするのでドキリとする。


「ん?どうしたのじゃ?」



キリクが少し見とれていたのを不思議がっているのか、顔をのぞき込むように近づけてくる。


「い、いえ何も、あぁ付き添いの方が到着されたようですよ」


 キリクは少しドギマギして視線をハリティアからはずすと、本当ならハリティアの護衛役だった兵士が必死に馬を飛ばす姿が見えたところだった。


「姫様!」


 護衛の兵は到着するなり馬を飛び降りてキリクの腕を取ると、関節を決めるようにねじり、そのまま地面に押さえ込む。

 キリクの口からうめき声とともに、地面に胸を強く押さえつけられたせいで、空気が漏れるような音がする。


「ご無事ですか」


 護衛兵がキリクを押さえつけたまま、ハリティアの方へ顔を向ける。


「何をしておるかー!」


 馬乗りになった兵を、ハリティアがおもいっきり蹴飛ばす。


 蹴飛ばされた兵は不意を打たれたせいか、受け身も取れないまま馬を繋ぐ柵に頭を打ちつけ、頭を押さえてうずくまる。


「大丈夫かえキリク殿?わらわの兵が大変失礼なことをしてしもうた」


 ハリティアはキリクが起きあがるのに手を貸し、服に付いたほこりなどを払う。


「大丈夫です、その少し驚いただけで」


「いてて、て、……なっ!ハリティア様!その捕虜から離れてください!」


 剣を抜き放ちキリクに向かって構える。


「重ね重ね何をしておるのかおまえは!!」


 ハリティアが馬をブラッシングしてやる為に手に持っていたブラシを、剣を抜いた兵士にブン投げると、狙い違わず額中央に命中する。


(あれは痛い……)


 キリクが思わず顔をしかめるほど良い音がして、兵士はまた額を押さえて地面を転げ回っている。


「キリク殿、部下の教育がなっておらんで申し訳ない」


「いえ、そんな。私は虜囚の身でありながら帯剣を許されています。おそらく護衛の方にとってはとても危険な存在と思われても仕方ないかと」


「そうですよ姫様、こんな者と先に行くなど、どんな危険なことがあるか」


 額をさすりながら起きあがってくる。タフな男だ。


「護衛役が私について来られない方が問題ではないのかえ?タムリト」


「うっ、しかし、姫様の馬が速すぎるのです。あれでは追える物も追えません」


「キリク殿もついてきておるし、過去にもついてきた者は数名はおったぞ?それとも何か?わらわの父から与えられた馬に不備があるとでも言うか」


 タムリトと呼ばれた兵が、喉まででかかった言葉を押さえ込むように口をきつく結ぶ。実際タムリトの馬もかなり上質の馬だったのだ。これはハリティアの奔放な乗馬についていくために、護衛の者が嘆願した結果、ムロギアより与えられた物だったからだ。


「とにかく。わらわは着替えてくるから、タムリトは狩りの準備をしておれ」


「はい、かしこまりました」


 深く腰を折り、ハリティアの背に向けて礼をするタムリト。


 ハリティアが小屋に入るときに閉めた扉の音がした瞬間、タムリトは頭を上げキリクに向きなおる。


「あまり調子に乗るなよ捕虜風情が。ハリティア様についていけたからと言って、別におまえが珍しいわけではないからな。ここまでうまく行ったからといって、どうせこの後に失敗してあっと言う間に興味をなくされるに決まっている」


 キリクはその言葉に対してどう返答したものか考えたものの、何も答えず曖昧な表情を浮かべるにとどめた。


 ハリティアの着替えを待っていると、後に置いて行かれた後続の使用人達が到着し始めた。タムリト以外の護衛三名に、身の回りの世話をする侍女などが乗った四頭立ての馬車などだ。かわいそうに全力で走る馬車に乗せられていた侍女などは、馬車から降りると吐きそうな顔をして……吐いた。


「おお、皆着いたようじゃの」


 着替えの終わったハリティアが小屋から出てきた。着替えといっても上着が少し変わったぐらいで、左腕にはめられた肘まである分厚い皮手袋が目を引くぐらいであった。


「キリク殿、見ておるのじゃぞ」


 無邪気に笑いながら胸に吊された笛をくわえると、とても高い音で強く吹いた。


 すると、強い羽音とともに、1羽の鷹が舞い降りてきて、ハリティアの差し出した腕にそっととまる。


「ドラゴン、キリク殿に挨拶じゃ」


 そう言って手に持った餌をドラゴンと呼んだ鷹に与えながら、キリクの前に来る。


「これは、また立派な。初めまして、ドラゴン殿」


 そう言った後、少し触ってみたい衝動に駆られ手を伸ばそうとしたところ、その手にドラゴンが飛び乗ってきた。


「意外に重たいというか、爪がイタタタタ」


 キリクは驚いたものの、痛さで暴れてドラゴンが逃げてしまってはまずいと思い、表面上は平静を保つよう努力する。


「なんと。ドラゴンがわらわとマナミ以外の腕にとまるのを見るのは初めてじゃ。キリク殿は鷹とも相性がよいと見える」


 ハリティアはとても嬉しそうに笑い「マナミと言うのはドラゴンの面倒を見てくれている者じゃ」と教えてくれながらドラゴンを自分の腕に戻す。


「しかし手袋がないと腕が痛かったじゃろ?」


 そう言ってキリクの腕を見ると、少し血がにじむのが見える。


「あぁなんと怪我をしておるではないか、すぐに手当をせんと」


 ドラゴンを空に放ち、腰につけた鞄から包帯を出すと、キリクの袖をめくり始める。


「ハリティア様!そんな事は使用人にやらせればよいのです!ただの捕虜にそんな過分な処置をされなくても!」


 タムリトが色めき立つように前にでる。


 ハリティアはキリクの腕に包帯を巻いている手を止めず、タムリトをキッとねめつけるように睨みつける。


 包帯を巻き終わったハリティアが使用人一同の前に立つ。


「皆の者よく聞くのじゃ!今この瞬間から、キリク殿をわらわの大切な客として扱うのじゃ!わかったか!」


 その場にいた護衛兵、使用人も含め全員が膝をつき、ハリティアに礼の姿勢をとる。よく見ると、タムリトも歯を食いしばるように片膝をついている。


「よし、ではキリク殿、まいろうかの」


 一行はハリティアを先頭に進み、木が開けたよく見渡せるなだらかな斜面の上にでた。ハリティアが笛を吹き、ドラゴンを呼び戻す。


 しっかり周りを見渡し、獲物を探す。


「ハリティア様、あそこにウサギが」


 キリクが少し下ったところで草を食べているウサギを見つけて伝える。


「キリク殿は目も良いのじゃな」


 感心したようにハリティアがころころと笑う。


 先に見つけようと躍起になっていたタムリトにすごい形相で睨まれていることにキリクは気がついたが、気がついていない振りを通す。


「それっ!ドラゴン捕って参れ!」


 ハリティアがドラゴンを乗せていた左手を大きく降り出すと、そのままのスピードで獲物めがけ滑空していく。


 ウサギがドラゴンに気がついたのか、草を食べるのをやめ上空を気にするように頭を持ち上げると、一目散に走り出す。だが時すでに遅く、素早く針路を修正したドラゴンの爪がウサギの体に食い込み、即座にその動きを止める。


 使用人の一人が、ドラゴンに肉片を与え捕まえているウサギを取り上げる。それを見たハリティアが笛を吹くと、ドラゴンが再び舞い上がり、ふわりとあるじの左手に舞い降りる。


 ハリティアは腰の袋から餌の肉片を取り出すとドラゴンに与え、よしよしと羽を撫でている。


「立派な鷹ですね。それにとても良くなついている。いつ頃から飼われているのですか?」


「ドラゴンは四年前、まだ産毛が残っている頃にわらわの元に来たのじゃ。幼くてかわいいのじゃが、とてもやんちゃでな。躾がとても大変じゃった」


「ハリティア様ご自身でお世話されたのですか」


「当然じゃ。鷹狩りは鷹との信頼関係が大事じゃからな。おかげでほれ、ドラゴンがつかまる腕に傷が残ってしもうた」


 と言って左の袖をめくると、肌にいく筋かの紅い傷跡が残っているのが見え、白さと相まって妙に色っぽく見えた。


「父は年頃の娘が傷だらけだと嘆いておったがの」


 少し寂しそうな表情を見せる。


「とてもきれいな傷だと思います」


 キリクはなにも考えず思ったことをそのまま口走ってしまう。


 一瞬驚いたような表情をしたハリティアだったが、寂しげだった表情がパッと明るくなり「そんな事を言うてくれたのはお主が初めてじゃ」と笑う。


「キリク殿もドラゴンで鷹狩りをやってみんか?教会でも鷹狩は盛んに行われておるのじゃろ?」


「確かに上流の貴族の方などはよくされていたように思いますが、私は鷹に触ったのは実は今日が始めてで」


「なんとまことか。狩りはあまり好きではなかったかの」


 整った顔をわずかに曇らせる。


「いえそんな事は。普段は狩りと言えば弓で行っていたので」


 あわてて否定する。


「おぉ、何じゃそう言うことか。これ誰か、弓はなかったかの?」


 ハリティアは振り返って後ろに控えている使用人に聞く。


「これならありますが」


タムリトが自分が持ってきたらしいクロスボウを取り出す。


「あ、そういったものではなくて、普通の弓で」


 思わず否定してしまった後に後悔するが、遅かったようでタムリトが睨むような視線をキリクに送る。


「これはどうでしょうか」


 侍女が馬車の中から、きらびやかな装飾の施された弓を持ってくる。


「少し長いようですが、なんとか、行けると思います」


 手に受け取ると実際より重めなことに気がつく。おそらくハリティアの弓なのだろう、装飾が多いのだ。それに本当はもっと短い騎乗用の弓を使うのだが、タムリトの視線を痛いほど感じるキリクにとって、これ以上否定するのは難しかった。


「そうかそうか、それでどうやって狩るのじゃ?」


 矢が十本ほど入った筒を受け取り、背中に背負うような形でベルトを締める。


「馬をお借りしてよろしいでしょうか」


 ハリティアが一声かけると、ここに来るときに乗ってきた馬がひかれてくる。キリクは内心(この馬はエリーだろうかマリーだろうか)と悩みつつ、手綱を受け取るとそのまま弓を片手にひらりと飛び乗る。


 少し感触をつかむために手綱を引きつつ、太股で鞍を押さえて両手で弓を握って引いてみたりする。


(ちょっと取り回しがしにくいな)


 普通に構えると、弓の下弦部分が鞍などに当たってしまうのだ。

 とりあえず弓の角度をいろいろ考えながら、斜面の方に目をやって獲物になりそうな対象を探す。鐙の上に立ち上がってみたり、少し離れてみたりしていると、低い灌木の中から鹿が出てくるのが見えた。


「よし」


 キリクは一声かけて馬の腹を蹴ると、勢い良く斜面を下っていく。比較的なだらかな丘とはいえ、障害物になるような物を避けながら近づいていくと、鹿がこちらに気がつき走り始める。


「ハリティア様、逃げられてますよ。あれでどうしとめるんでしょうね」


 タムリトが失敗だと言わんばかりにハリティアの横でキリクの様子を眺めている。

 ハリティアの目には、キリクはさらに近づくために馬を走らせ、なだらかな方へ追い立てるように後ろから追っているように見える。そしてかなり近づいたときに鐙の上に立ち、弓を引き絞るのだが、急に馬を減速させてすとんと座ってしまった。


 鹿はそのまま姿を消してしまっていた。


「あ、逃がしましたよ!結構近くまで追ったようですが、やっぱりあの速度じゃどうしようもないですね」


 失敗が嬉しそうにタムリトが言う。

 キリクはそのまま周りをキョロキョロするとまた馬を走らせ、今度は何か小さい獲物、おそらくウサギを追いかけ始め、こちらは難無く馬上からしとめて見せた。


 ウサギとしては大きい獲物を、鞍の上に載せて斜面を登ってくる。


「すいません、鹿は逃がしてしまいました」


「ふん、あんな速度で弓が使えるものか!」


 タムリトが馬鹿にしたように前にでる。


「見事なものじゃなキリク殿。あのように馬上で立ち上がって獲物を撃つなど、わらわは初めて見たぞ」


 にこにこして言う。


「ありがとうございます」


 キリクは馬を下り、捕ってきたウサギを付き人に渡す。


「しかしなぜ鹿はわざと逃がしたのじゃ?」


 ハリティアが少し咎めるように言う。

「い、いえ、狙うタイミングを逃してしまって」


 心中を見透かされたように感じ、とっさにわかる人が見ればすぐにばれる嘘をついてしまう。


「時間なら先ほどのウサギよりも長く、そして獲物も大きかったはずじゃ。外れたならわかるが、キリク殿は矢を撃つのをためらったように見えたのじゃ」


 咎めると言うより純粋に不思議がっているように見えた。


 キリクは少し言いにくそうに話し始める。


「……実は、子連れだったのです。母神の季節である秋に、子連れの獣を狩るというのは、余りよいこととされていませんので」


 教会圏ではない帝国でこのような言い訳がどう聞こえるか、キリクには不安があった。


「はん、教会の者が言いそうな台詞だ!子牛とか子鹿とか、喜んで食べておるだろうに」


タムリトが矛盾だと言わんばかりに責め立てる。


 キリク自身は質素倹約が旨のシリウスの方針のため、そう言った食事に縁があったわけではないが、上流階級では普通に好んで食べられていたのも事実だった。


「子鹿か。それはいたしかたなかったの。ならばわらわの為にもう一度何か狩ってきてはくれまいか?」


 ハリティアはタムリトの言葉など無視してキリクに話しかける。


「はい喜んで」


 キリクはまた馬を斜面に向けて走らせ、今度は雄の立派な鹿を難なくしとめて見せた。


「うむ、まこと見事なものじゃ。その狩り方は父上から習われたのかえ?」


「はい、馬に乗れるようになってすぐに、父にせがんで連れていってもらっていました。実は子連れの獣を狩るなと言うのも、父の口癖で」


「なるほど。教会の剣殿直々の手ほどきか。本当に見事なものじゃ」


 何事か考えるように腕を組んでうんうんうなずいている。


「よし、決めたのじゃ。キリク殿」


 ハリティアがちこう寄れと言うように手を振る。


「はい、なんでしょうか」


 ハリティアがにこにこしながら、褒美でも渡すような雰囲気で宣言する。


「うむ。お主をわらわの婿にしてやろう」


 周りの空気が凍り付くのがキリクにもわかった。

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