四章 第一話
「扉を開けろ!」
執務室となったキリクの部屋の扉が激しくたたかれる。
昼食後、イセリが疲れたと言うのでそのまま休んでもらい、キリクは帝国の歴史や地形などの書物に目を通していた。
叩かれている扉の方を見つめる。取ることの出来る選択肢など、ほとんどないのはわかっていた。
仕方なく扉に向かい、一応形式的に相手に呼びかける。
「どちら様ですか」
「うるさい!早くこの扉を開けろ!」
キリクはその声に聞き覚えがあった。ここにくる羽目になった張本人の声だ。
「何のご用でしょうか、イセリ様は今休まれておいでです」
「はん!小娘などどうでも良い。おまえに用があるのだ」
扉を開けた途端、武装した兵士二人を先頭に、イムニが部屋に入ってくる。
「ふん、捕虜には過ぎた部屋だ」
部屋を一通り見回していう。
「これはイムニ様。大変お急ぎのご様子ですが、どのような御用でしょうか」
キリクは不穏な空気を感じつつも、押さえた口調で返答する。
「たいした用ではない。一つ聞くが、お前に世話人はついているのか?」
「私、ですか。イセリ様にはニタさんを通してアリハル様にお世話いただいていますが」
昨日の夜に用意された屋台料理が思い出される。屋台料理というか、アリハルは人気の屋台をそのまま城の中庭まで引っ張ってこさせたのだ。
「ほう、それは良い。俺がお前の世話をしてやろう。ついてこい」
「え、それは……うっ!」
部屋を出るイムニに続き、両脇を兵士に抱えられ、引きずられるように後に続かされるキリク。頭に、イセリに知らせるために声を上げる考えが浮かんだものの、その後の情景が頭に浮かぶ。イセリがそのままキリクを行かせるわけがなく、害が及ぶ可能性が頭をよぎる。
キリクは両肩を固められたまま開きかけた口を閉ざし、両肩の兵士の腕を振り払うと。自らの足でついていくことにした。
城の庭にあるキリクたちの居室を出、イムニを先頭に、キリクを兵士が両側から挟むような形で庭をそのまま抜けていく。城の正面を過ぎ、そのまま西側の端まで行くと、少し狭いわき道を進み、城の裏手付近の壁に囲まれた薄暗い扉の前で止まる。
「ふん、自分がどこへ連れて行かれるのか気にならんのか?」
扉の鍵を開け、キリクの方を振り返って言う。
「もしお聞かせ願えるなら、これから何が始まるのでしょう」
「なに、簡単なことだよ。父とアリハルがお前達を買いかぶりすぎているようなんでな、俺がちょっとした試験をしてやろうと思ってな」
にやっと笑いながら、指にはめた鍵束をくるくる回す。
扉をイムニが開けると、両サイドに並んでいた兵士がキリクを挟んで前後になり、少しせっつくように少し薄暗い扉の中へ誘導される。
扉の中は狭く、一人歩くのがやっとの下りの階段になっていた。少しじめっとしてカビたような古い臭いの中に、壁に灯されたたいまつにしみこんでいる油と、それが燃える臭いが混じり、むせそうになる。
二階分は階段を下りただろうか、少し開けた場所にでる。正面に扉があり、左右に上に向かう階段がみえる。
「可愛いげのない捕虜だな。少しは怖がったりしたらどうなんだ?」
イムニが正面の扉を開けながら、おもしろくなさそうにキリクの方を見もせずに言う。
「まぁ、この中に入ってしまえば虚勢だろうと関係ないがな」
扉を開け、兵士に合図を送ると、キリクは背中を強く押されて中へ送り込まれる。
中は薄暗かった。途中の階段も薄暗かったが、目が慣れてくれば段を踏み外すようなこともなく、それなりの明るさはあった。だが、キリクの入れられた場所は天井が高く、一段高くなったところから漏れるたいまつであろう明かりが間接的に届くぐらいで、足下すらよく見えなかった。
「ショーの時間だ」
イムニの声を合図に、壁やドーム型になった天井に付けられたたいまつに順番に灯がともされていき、キリクの周囲の情景が浮かび上がる。
直径二十メートルほどの円形の壁に囲まれた、地下の広場。所々崩れかけた壁がオブジェのように配置されている。
どこからどう見ても闘技場だ。
「どうだ、面白いだろ。いつからあるのかわからないが、なかなか凝った趣向が気に入っていてな、たまに奴隷同士を戦わせているんだ」
一段高くなっている、観客席と思われる場所から、イムニがキリクを見下ろしている。
「お前は奴隷ではないからな、それなりの相手を用意させてもらったよ。やれ!」
イムニが声をかけると、キリクが入って来た扉と正反対の位置にある扉が、ぎしぎしと金属の蝶番が音を立てて開かれる。
開かれた扉の暗がりの中から、そのまま闇を纏ったような頭まですっぽりと覆う漆黒の鎧を着た大男がのそりと姿を現した。手にはその巨体に見合った巨大な剣が握られている。
「それ、お前の武器だ」
イムニがキリクの前に一振りの剣を投げて落とす。
キリクは扉から現れた鎧の男から目を離さないようにしながら、腰を落として鞘に入った剣を拾い、鞘から抜き放つと、その刀身にちらりと目をやる。
(鈍い色だ)
刀身の色で、剣の質を見極める。
キリク自身、そこまで剣に詳しいわけではなかった。ただ、ダマスクにいる内、良い剣を目にする機会も多く、また自身が普段腰に帯びていた、ダマスク一の鍛冶屋から貰った剣は、父シリウスですら感嘆の声を漏らすほどの物だった。
それ故に。今手の中にある剣のすべてが気になってしまっていた。
まず今まで使っていた剣とはバランスが違った。軽く、重心が比較的手元にあった今までの剣と違い、剣の先の方にあるため、振るのに力がいるように感じる。そして刀身の色。鈍い灰色をしており、あきあらかに数を作るためだけに乱造されたものであった。
相手が持つ剣と比べて明らかに劣っている。
(まともに受けたら折れてしまう)
それがキリクの持っている剣に対しての感想であった。
「さぁ、やれ!ザキリエフ!」
言われて黒鎧が無造作に足を踏み出し、そのままの勢いで剣を振りおろす。
キリクがそのおおざっぱな動きを、半歩後退して避けると、振りおろされた剣が地面に当たり乾いた音を立てる。そしてゆっくり剣を持ち上げると、今度は少し軽く剣を突き出す。キリクはそれも体を横に反らして、難なく避ける。元から当てる気がないような振り方だ。
「何をしている。まじめにやれ!」
イムニがザキリエフと呼ぶ男に言う。
ザキリエフがやれやれといった風にその巨大な剣を肩に担ぎ、面覆いを上げる。
「だそうだ、坊ちゃん。少しまじめにやるから、覚悟してくれるかい?」
フルフェイスの兜から覗く顔は、その厳つい体格に似合わず意外にも整った優男風の顔立ちをしている。
ザキリエフが面覆いを下ろすと、肩に担いだ剣をそのまま上段から振り下ろす。先ほどの大ざっぱな物と違い、鋭く打ち下ろしてくる。
キリクはその剣の先端に自分の剣を這うように沿わせると、そのままザキリエフの剣先を外側に流す。
「おぉ?やるね。確かに少しまじめにやる必要がありそうだ」
ザキリエフが剣を構え直し、また上段に構えると「これはどうかな?」と先ほどと同じように振り下ろしてくる。
キリクは先ほどと同じ軌跡を描く敵の剣を不審に思い、先ほどのように流しつつも重心をやや後方に移す。
すると、ザキリエフの剣先がそのまま外側へ流されるままに、裏拳を放つように体を回転させて凪ぐように剣を横に振るってくる。
重心を移していたおかげで、キリクはその切っ先を半身を引くようにして避けることが出来た。
「あらら。今度は結構本気だったんだけどねぇ。初見でこれを受けもせずに避けられたのは、二人目かな?」
心外だと言わんばかりに肩に乗せた剣で肩を叩く。
キリクは剣を構え直す。柄が少し太く、巻いてある皮も手入れがされていないのか、堅く滑りやすい。
(まいったな、強い)
この状況下で冷静な自分に少し驚くとともに、どうすれば切り抜けられるのか、まったく道が見つけられずにいた。
キリクが剣を握り直して剣先が揺れた瞬間、ザキリエフが深く踏み込むとともに、剣を横に薙払ってくる。
キリクの反応が一瞬遅れ、剣で受けつつもなんとか上方に流して避ける。極度の緊張のためか、数合打ち合っただけで肩で息が上がる。
(今のはまずい……)
剣に鈍い感触が走るのを感じる。
「ん〜。こちらからばかりというのも何なんだかねぇ。かといって負ければイムニ様に怒られるだろうし、殺してしまえばムロギア様に怒られるだろうし、間をとって腕一本ぐらいで我慢してくれないかな?」
そういって、また深く踏み込んで今度は袈裟懸けに切り込んでくる。
腕一本とはどう見ても嘘だった。キリクが受け流さねば上半身と下半身が斜めに分かれている。
さらにキリクの手に残る感触がまずい物になっている。
「どうした剣の息子よ。剣は身を守る道具じゃないぞ?少しは楽しませてくれよ」
イムニがニヤニヤしながら見下ろしている。
「イムニ様、本当に殺っちまっていいんですか?ムロギア様から怒られるのは勘弁してくださいよ」
面覆いを上げてイムニの方を見上げるようにザキリエフが言う。
「親父の事などどうでもいい!何か言われたら俺に命令されたとでも言っておけ!」
ムロギアの名前が出た途端語気が強くなる。
「しかし、剣を持ってるとはいえ、戦う意志のない子供相手というのがどうもいまいちやる気が出ませんな」
まだ面覆いを上げたまま、肩の上に載せた剣で肩当てをこつこつと叩いている。
「あぁ、そうだな、良いことを思いついたぞ」
さっきまでの表情とは一変して、満面の笑みを浮かべる。
「ザキリエフ。その剣の息子に勝てたら、お前に手紙姫をやろう。好きにして良いぞ?」
自分の思いつきがよほど気に入ったのか、手すりから乗り出すようにして言う。
「ほう、手紙姫ですか。それはまた、とてもやる気の出る賞品ですな」
さっきまでのだるそうな態度から一変、目つきが鋭くなる。
「そうら、剣の息子。これでお前の手にあの娘の運命も乗ったぞ。言っておくがザキリエフは異常性愛者でな、女を壊してしまうから困っているんだ。何とかしないとお前のご主人さっっがっ!」
言葉を最後まで言い終える前に、イムニの頭部を石がかすめ飛んでいく。
驚いて床に倒れ伏したイムニの顔に、カスった石で出来た傷から血が流れてくる。イムニは立ち上がり、闘技場を見下ろすと、睨むという言葉を通り越した、視線で人を殺せるならこう言うものだろうと思わせる、凄まじい形相をしたキリクと目が合う。
思わず一歩後ずさるイムニ。
「こ、殺せ!か、かまうものか!ザキリエフ、殺してしまえ!!」
最後の方は悲鳴のように叫ぶ。
イムニの叫びを合図とすうかのように、キリクがザキリエフに向けて跳躍する。先ほどまでの慎重な行動とは異なり、まっすぐに何の迷いもなく強く、早く、まっすぐ跳躍し、首をねらって剣を振り下ろす。
イムニに投げられた石と、その叫びにわずかに気を取られていたため、ザキリエフは反応がわずかに遅れたものの、何とか打ち下ろされる剣を受け止めたのだが、威力を殺しきれず肩当てで何とかキリクの剣を止める。
「こ、こいつなんて力してやがる」
ザキリエフが剣をはじき返そうと力を入れると、キリクは剣を引き、身をひねるようにザキリエフの左側面に入れると、そのままの勢いで剣を横薙に振るう。
これも何とか剣と手甲でふせぐザキリエフだったが、力を流すことができずバランスを崩し二、三歩ほど体が流れてしまう。
体勢を立て直そうと足を踏ん張ると、さらに体を回転させるようにザキリエフの後方へ回り込もうとするキリクの姿が視界の隅に映る。
(追いつけん!)
切られることを覚悟したザキリエフの背中に、激しい金属音と共に衝撃が伝わり、前のめりにバランスを崩し地面に膝を着く。
一瞬、ザキリエフは鎧を突き破った剣が自分の体を切り裂いているのを予想した。
だが腰に鈍い痛みはあるものの、血も出ておらず、膝をついている自分への追加攻撃もなかった。切られなかった理由はすぐに判明した。
キリクはザキリエフと距離をとっていた。そしてその二人のちょうど真ん中あたりに、細長い金属片が横たわっている。
キリクの折れた剣の刃の部分だった。剣が折れたため、ザキリエフに傷を与えることが出来なかったのだ。
(殺してやる!殺してやる!殺してやる!)
剣が折れてもなお、キリクの心の中にドス黒い衝動が渦巻いていた。