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三章 第一話

 謁見の後、キリクとイセリは部屋を与えられていた。

 部屋と言えば聞こえは良いが、城の片隅にある塔の最上階とそのすぐ下にある部屋に監禁された格好となる。

 救いは、イセリの部屋に行くためにはキリクの部屋を通らなければならず、離されて監禁されなかったことだった。


「大丈夫ですかイセリ様?」


 謁見の時ムロギアが言った言葉。――見えるのは自分だけだと思ったか?イセリ姫――その言葉を聞いた瞬間、イセリは自分の体を抱きしめるように小さく折り、激しく震えだしたのだった。

 ムロギア帝は笑いだし、召使いにこの部屋で休ませるように指示したのだった。


 その後、キリクがイセリを抱えるようにこの部屋のベッドに運ぶと、布団を頭からかぶり、繭のように籠もってしまったのだった。


「イセリ様、出来るかどうかわかりませんが、湯浴みの用意をお願いしてみましょうか?」


ぴくりと繭布団が動く。

 捕まってからこちら、強い風が吹くと砂埃が舞い、髪の毛ががさつくようなひどい状態だった。服の替えもなく当然湯浴みなど出来ない。捕まった衝撃から回復し、きれい好きなイセリにとって、これほど強い誘惑はほかにないと思われた。


「では、支度をして参ります」


 また繭布団がぴくりと動く。それを肯定の返事と受け取り、一つ下の自分の部屋を抜け、見張り兼使用人としてつけられた、おそらく南方出身と思われる肌の色が濃い男に風呂の準備をお願いしてみると、想像より遙かに軽く了解の返事をもらうことが出来た。


 すぐにイセリの部屋に陶器の湯船に猫足のついたお風呂や衝立などの仕切りなどが運び込まれ、中にお湯がそそぎ込まれると、準備を終えた召使いたちが出ていく。


「ありがとう」


丁寧に見張り兼使用人にお礼を言うと、驚いたような困ったような不思議な表情をした後、笑いながら「いつでも何なりと仰せ下さい」と退出していった。

 キリクは一瞬彼は奴隷なのだろうかと考えた。帝国では攻め込んだ相手を力でねじ伏せ、場合によっては奴隷として使役することが多かったからだ。だが、奴隷にしては衣服はきれいに整えられ、言葉遣いも流暢な公用語だった。

 とりあえず今度聞いてみればいいと思考の外に追いやり、主である繭布団に一声掛けて退出しようとした。


「――まって」


 キリクは扉のノブに手をかけた状態で立ち止まり、振り返る。


「まだ何か用意が――」


「そこにいてほしいの」


「ですが……」


 衝立などの仕切りがあるとはいえ、男性であるキリクに部屋に止まってほしいというイセリの願いに、キリクは動揺が隠せなかった。

 最初、キリクは女性の使用人をお願いしようとしたのだが、繭布団が激しく揺れて否定の意を示したため、断ったのだ。確かにダマスクにいたときですらキリク以外の使用人を近づけることをせず、湯浴みや身の回りのことを一人で行っていた。まして帝国にとらわれている状態で、全く見ず知らずの人間に身の回りの世話をさせるなど、イセリには耐えられないことらしかった。


「……聞いて欲しいことがあるの。それを聞いてどう思うか、どうするかは……」


その後の言葉はかすれるように消え、キリクは聞き取ることが出来なかった。

 キリクがどうするか判断に迷っていると、仕切の向こう側でスルスルと服を脱ぐ音が聞こえてくる。


「……熱い」と小さく声が聞こえた後、水を注ぐ音が聞こえ、ちょうど良い温度にあわせたのだろう、湯船に体を入れる音が響いてくる。


 キリクも健全な若い男子なればこそ、頭に浮かぶ妄想を浮かんでは消し浮かんでは消し、今置かれた厳しい状況を考えてみたりするが、仕切の向こうで何か音が聞こえては、シリアスな思考が一瞬で肌色の世界に切り替わるのだった。


 湯船との仕切になっている衝立に背を向けて、何故か教会で祈りを捧げる時のように片膝を立てた姿勢で固まるキリク。駄目だ駄目だと他のことを考えようと思うほど(お隣の姫様は十歳で嫁がれたなぁ)とか(同い年なのにミアタ様より大人びてるなぁ、いや性格がだよ!)とか、思考が四方に飛んでいく割にすぐに戻ってくると言う、今まで味わったことがない奇妙な感覚を味わっていた。


「キリク。ーーーー私、あなたに隠している事があるの」


 今までに聞いたことがないような低く、震えるような小さい声。


 その声を聞いた瞬間、肌色の妄想は一瞬で消え、片膝をついた姿勢はそのままに背筋を伸ばし姿勢を正す。


「私ね……人の心、感情みたいなもの、が、見えるの。体の周りを覆う光みたいに、見えるの」


 間をおいて湯船の水で顔を洗うイセリ。


「物心ついたときにはもう見えていたの。私についた家庭教師が真っ黒な煙のような光に覆われていた時は、泣きながらお父様にお願いしたわ。あの人を近づけないでって。でも、ただの勉強嫌いってだけですまされそうになって、お父様に言ったのよ「あの人が黒い光をまとってるのが見えないの?」って」


 一拍置き「黒い光は、危険なよくない感情の時の色なの」とキリクに説明してくれた。


「その後、お父様は絶対にそのことを誰にもしゃべってはならないといって、私の言うことをまじめに聞いてくださるようになったわ。時には助言のような物を求められる事すらあったの。お父様のお役に立つならと最初は嫌じゃなかったわ。でも、あまりにも黒い光が多すぎて、耐えられなかったのか、私が倒れてしまったの」


子供だったからと付け加えたのを聞き、キリクは今でも十分に幼いはずのイセリを思う。


「それからはお父様は謝りながら私にそういった事はさせなくなったわ……でも、それまでにいろんな人が私から逃げるように離れていったわ。仲のよかった乳母の子からは悪魔の子とまで言われたの。ただ秘密を共有したかっただけなの。でも、そんな物が見えるのは人間じゃないって……」


 鼻をすするような音が聞こえ、また湯船のお湯で顔を洗うイセリ。


「そうよね。なにを考えてるか見えるなんて、それを見られる事がこんなにも恐ろしいことだったなんて、考えもしなかった。ほんと、悪魔と呼ばれても仕方ないものだわ……」


声がかすれ、すすり泣くような声が仕切の向こうから聞こえてくる。


「……ごめんなさい、ごめんなさい……・。騙すつもりなんて、なかったの。でも、お父様が亡くなって、周りがどんどん暗闇に閉じ込められそうになった時、シリウスおじさまと、キリクの光を見て、その光を失いたくなかったの……こんな事言えるような人間じゃないことはわかってるの、でも、お願い、嫌いに、ならないで……」


最後の方は絞り出すように泣きながら消え入りそうな声だった。

 キリクが初めてイセリと合ったとき、キリクは十四歳でイセリは九歳だった。イセリの最初の印象は年齢とかけ離れたものすごく大人びた佇まいで、とても繊細な感じの女の子だった。


 そのとても大人びている理由が、キリクには今わかった気がした。イセリの地位を考えた場合周りの大人の対応は、その裾にすがりつこうとして歓心を買おうとするか、何とかして自分の手の届くところに手に入れられないかと画策するか、そのどちらかが多かっただろう。まして国主たる父が病に倒れ、そのままイセリの後見人になれたとしたら。


 それらの大人の感情を剥き出しで常に見続けたのだ。幼い心がどれほど傷ついたのか、キリクには想像もできなかった。


「イセリ様。もしよろしければ、私は後ろを向いていますので、衝立の横からこちらを見てもらえませんか?」


 イセリは湯船で伏せていた顔を恐る恐る上げて、湯船から体を引き出すと、床に敷かれた毛足の長いカーペットが濡れるのもかまわず、外に降り立つ。

 そのまま仕切の一部になっているカーテンに手を添えるものの、めくるのをためら様に動きが止まってしまう。


 そのままわずかな時間が流れても、キリクは急かす様なことはせず、背筋を伸ばしたままイセリを待ち続けた。


 体が少し冷え、髪からの滴も止まり、肌についた水も乾き始める頃になって、イセリは意を決したようにカーテンの隙間からゆっくりとキリクの方を見る。


 最初に見えたのは、暗い部屋の窓から差し込んだ、太陽の光をまともに見てしまったときのような、周りの輪郭や物が溶け込む強烈な光だった。

 イセリは一瞬眩しいかのように目をすくめそうになるが、その光が眩しいような不快な光ではなく、そこに座るキリクから発せられている色なのだと気がつくのに時間はかからなかった。


「……うぅっ」


イセリは口から出そうになる嗚咽を抑え、お風呂の方に向き直ると、そのまま湯船に飛び込む。


「私にはよくわかりませんが、人の感情が見えるというのは、悪いことばかりではないような気がするのです。こういうとき、いくら言葉を重ねても、本当の事はなかなか見えにくくなることがありますから。どうでしょうか。私は以前と比べて、イセリ様を嫌ったりしているでしょうか?」


 イセリは激しく湯船の中で首を振る。


「では、お湯をもらってきますね。少し冷めてしまったでしょうし」


そういって扉から外へ出ようとする。


「キリク」


「はい」


扉を開ける手を止め、振り返る。

「私を安心させるために感情を剥き出しにしてくれた事はうれしいのだけど、その……」


ごにょごにょと言い淀む。


「その、秘め事まで、その、ピンクの光は、恥ずかしいというか……」


 キリクは一瞬何のことを言っているのかわからなかったが、その言葉を理解した瞬間恥ずかしさにのたうち回るような感覚になった。


「し、失礼しました!」


扉に激突するように開き、転がるように外に出て閉め、速まる動悸を押さえようと胸を押さえる。

 気を落ち着けるために深呼吸をし、左手の親指の付け根を右手で揉む。だが、いつもならこれで訪れるうちなる静寂が心臓の音と顔の火照りで、すぐにかき消されてしまう。


 イセリがカーテンを少し開ける音がした瞬間、キリクは少しだけ想像してしまったのだ。生まれたままの姿のイセリが振り返ればいるのだと。


 キリクは仕方なく立ち上がり、そのままお湯を頼みに歩きだした。


「はぁ、今度からはもっと気を引き締めないと、駄目だな……」


イセリのためにも、自分のためにも。

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