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家に入ると、ただいまの挨拶もそこそこに急いで自分の部屋に入った。
家にいるはずの母からお帰りの声は聞こえてこなかったけど、今はそんな事を気にしている場合じゃない。
鞄を投げるように机に置いて、タンスを開く。
一体、どういう格好をしていけばいいんだろう?
あんなかっこいい人と並んで歩くのだから、変な格好をしていては申し訳ないし・・・。
そうは思うものの、今までおしゃれにあまり興味の無かった私はたいして可愛い服も持っていなくて・・・。
とにかく、今は急がないと。外で木田さんが待ってくれているのだ。
悩んだところで服が増えるわけでもない。
結局膝丈のスカートにシャツというシンプルな格好で外に出た。
一応母に出かける事を伝えようかと思ったけど、今朝の様子を思い出すととても話しかける気になれなかった。
携帯も持っているんだし、何かあれば連絡してくるだろう。
外はようやく雨が上がり、雲の隙間からわずかに陽が差していた。
腕を組んで玄関の横に立っていた木田さんは、家から出てきた私を見ると、今朝と同じように笑みを浮かべた。
「待たせてごめんね。それで、何を買いに行くの?」
最近引っ越してきたと言っていたから、まだこの辺のお店とかよく知らないのかも知れない。
それでたまたま会った私に案内を頼みたいのだろう。
なんとなく勝手にそう思っていた私は、私が知る限りの店と売り物を思い出しながら木田さんにたずねた。
「色々欲しいものはあるが・・・取り合えずソファーを見に行きたいと思ってる。」
「ソファーかぁ。どんな感じのがいい?予算とか決まってる?」
「予算は決まってない。とにかく、色々見てみたいな。」
それなら、ショッピングモールよりも専門の家具屋に行った方が種類は多いだろう。
全体的に値段は高いけど、いいものがあれば似たようなものを安い店で探してもいいだろうし。
「電車に乗って3駅向こうにちょっと大きなお店があるけど、行ってみる?」
「ああ。連れて行ってくれ。」
そんな言葉を満面の笑顔で言うものだから、油断していた私は一瞬で顔が真っ赤になってしまう。
顔を見られないように俯き加減で歩き出すと、後ろから木田さんもついて来た。
「き・・・あ、えっと、ハル君は、前はどこに住んでいたの?」
木田さん、と呼びかけそうになって慌てて言い直す。男の人の名前をこんな風に呼ぶことに慣れなくて、つい小声になってしまう。
そんな私に気付いたのか、木田さんはクスリと笑うと答えてくれた。
「少し前まで、福岡にいた。その前は大阪、その前は東京、その前は・・・どこだったかな。」
「へ、へえ、そうなんだ・・・。」
ずいぶん引越しを繰り返していたようだ。転勤族なのだろうか?
だとしたら、この街にも長くはいないのかも知れない。
そう思うと、急に石を飲み込んだみたいに胸の辺りが重くなった気がした。
「・・・探しものがあったんだ。」
予想もしない言葉に顔を上げると、木田さんはどこか辛そうに顔を歪めていた。
その表情に、胸が締め付けられるように痛む。もしかして、聞いてはいけない事を聞いてしまったんだろうか。
「・・・ごめんなさい。」
私が謝ると、木田さんは不思議そうに首を傾げた。
「何故謝る?」
「何か、変な事聞いちゃって・・・。」
木田さんは一瞬目を丸くすると、苦笑して、その大きな手で私の頭をクシャクシャと撫でた。
「別に、変な事じゃない。それに、実はもう探しものは見つかったんだ。だから、当面どこかに行く予定はない。」
単純なもので、それを聞いた私は途端に嬉しくなってしまった。
「それに聞きたい事があれば、何でも聞けばいい。変な遠慮はするな。」
「・・・うん、ありがとう。」
探しものって、何だったんだろう。
そんなに全国を駆け回らないと、見つけられないものって一体何だろう?
何でも聞けばいいと言われたばかりだけど、私はそれを聞けなかった。
いくらいいって言ってくれたとしても、やっぱり踏み込んでいい所と悪い所があるだろうから。
さっきの辛そうな表情を見れば、かなりプライベートな事情なのだろう事は想像できる。
昨日今日会ったばかりの人間が聞いていい話とは思えなかった。
それから店に着くまでの間、私達は殆ど話さなかった。
何を話していいのか分からなかったし、それ以上に周囲の視線が私をいつもより無口にさせていた。
本人達は小声で話しているつもりなのだろうけど、ヒソヒソ話というものは意外と耳につくものだ。
『モデルかな?ってことは、あの子はマネージャ?それにしては若いよね。』
『兄妹?でも全然似てないけど・・・。』
間違っても恋人とは思われないのだな、となんとなく落ち込んでしまう。
そう言えば、千月と二人で歩いている時も似たような事を言われてよく落ち込んだ。
友達にしては釣り合わないとか、引き立て役になってるのに気付かないで可哀想とか・・・。
つくづく、私は誰かと比べられるようになっているらしい。
「疲れたか?」
店に着いて溜息をつくと、木田さんが心配そうに顔を覗き込んできた。
「ううん、大丈夫!何でもないから、行こう?」
見た目がいいのは彼のせいじゃないのに、勝手にコンプレックスを刺激されて勝手に暗くなってしまった。
余計な気を使ってもらいたくない。せっかく来たのだから、気兼ねなく買い物を楽しんでもらいたい。
私は無理矢理笑顔を作ると、木田さんの手を引っ張って店内に入った。
「えっと、多分ソファーだったら1階だと思うんだけど。」
キョロキョロと店内を見回すと、私達に気付いた女性の店員二人が驚いた表情で木田さん見た。
手の空いていたらしい二人は次の瞬間互いに目で牽制しあい、やや年上らしい方の女性が勝ったのかコツコツとヒールを鳴らしながら私達に近づいてきた。
彼女はニッコリと営業用スマイルを浮かべると、私の方は一切見ずに木田さんに話しかけた。
「いらっしゃいませ。本日は何をお探しでしょうか。」
「・・・ソファーだ。」
低い感情のこもらない声に驚いて木田さんを見ると全くの無表情で、私と店員さんは二人してビクリと固まってしまった。
怒っているわけじゃないのに、何の感情も表さないその顔は整っているだけに恐ろしささえ感じる。
「そ、それではご案内いたします。どのようなタイプのものをご希望でしょうか。」
さすが社会人というべきか、店員さんは頬を引きつらせながらも言葉を続けた。
「いい、構うな。」
短く言い捨てて、木田さんは私の背を押して歩き出した。
「別に急がないし、ゆっくり見てまわろう。」
そう言って私を見たときはもういつもの微笑を浮かべていて、ホッとした。
さっきのは何だったんだろう?あの店員さんが何かしたっていう訳でもないだろうし・・・。
一階には椅子やローテーブルなどが置かれていて、一番奥の方にソファーが展示してあった。
「いっぱいあるね。」
「そうだな。」
「どれが良さそう?」
ファミリー向けのコの字型になる大き目のソファーや、ソファーベッド。座椅子のようなタイプまで、色合いも含めると数え切れない種類がある。
「ヒナはどれがいい?」
・・・私に聞かれても困る。使うのは私じゃないんだから・・・。
「部屋の雰囲気に合わせたらいいと思うよ。部屋の大きさもあると思うし・・・。」
インテリアの事は私もよく分からない。
やっぱりさっきの店員さんについて来てもらった方がよかったんじゃないだろうか。
「分からなければ、一度座ってみたらどうかな?気に入った座り心地のやつがいいと思うよ。」
ほら、と言って、私は手近なソファーに座ってみた。
それにならうように、木田さんも大きな体を折り曲げるようにしてソファーに座った。
「例えばこれだったらちょっとクッションが硬い気もするし・・・・あんまり低いとハル君は辛いんじゃないかな。」
私で丁度くらいの高さだけど、背の高い彼には足が随分余ってしまう。
「・・・なるほど。」
口の端を上げて楽しそうに笑みを浮かべた木田さんは、その後次々とソファーに座っていった。
その度に私にも座るよう勧めるから、調子に乗って私もこれがいい、あれがいいなど好き勝手な事を言わせてもらった。
もしいつか私が一人暮らしなんかした時には、こんなのを置いてみたいとか、そんな事を考えると結構楽しかった。