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 耳を塞ぎたくなるほどの大音量のセミの鳴き声。

 自分の声すらまともに聞こえない中、私は誰かの名を呼びながら歩いていた。


「・・様、・・・る・・様?」


 この辺りで待っていると言ったのに。もしかして、先に帰ってしまったのだろうか?

 そう考えると、疲れていた体が余計に重くなった気がした。

 手に持った荷物を抱えなおし、もう少しだけ探してみようと周りを見回す。


「・・・・・・・・。」

 道から外れた草むらの奥、小川の傍にある大木の影に、隠れるように立っている彼の姿を見つけた。

 名を呼ぼうとして、思わず息を呑む。

 その人は、一人ではなかった。


 鮮やかな薄桃色の小袖を着た、愛らしい娘が彼に笑いかけていた。

 その子がどこの誰で、何の話をしているのか。

 気になったのは一瞬で、胸にわき起こった黒い何かはすぐに諦観へと姿を変えた。


 馬鹿な事を・・・。比べるまでもない。

 若い娘と、こんなにも年老いてしまった私が、一体何を張り合おうというのか。

 それでも、何でもない風を装って二人の間に入っていく自信もなくて・・・。

 私は溜息をついて、来た道を戻った。


 ああ、でももしかしたら、なかなか戻らない私を彼は心配するかも知れない。

 だって、彼は待っていると言っていたのだから。

 私は懐から手拭いを取り出し、傍の木にくくりつけた。

 これで、私が先に帰ったことが分かるだろう。


 後ろを一切振り返らずに歩く自分が、惨めで、とても卑しい人間に思えて仕方がなかった。

 ・・・・・悲しい、苦しい。

 この歳になって、今更こんな気持ちを持つなんて・・・。

 ほんの少し滲んだ涙を拭うと、セミの声に混じってチリンと澄んだ音が聞こえた気がした。




 目が覚めると、部屋の中はまだ薄暗かった。

「・・・・夢?」

 一人呟いて、それ以外に何があるのかと自分でおかしくなって笑ってしまった。

 なんだか、妙に生々しい夢だった。

 自分がおばあさんになっていたり、出てきた女の子が時代劇に出てきそうな着物を着ていたり。

 設定は現実離れしているのに、夢の中で感じた気持ちをやけに強く覚えている。

 耳の奥に、まだセミの鳴き声が残っていた。

 ・・・変なの。寝起きに見た夢だから、こんなにも鮮明に覚えているのだろうか?


 時間を確かめようとベッドの上に置いた時計に手を伸ばして、手につめたい何かが触れた。

「・・・あれ?これって・・・。」

 枕元に転がっていたのは、昨日あの人からもらった鈴だった。

 夢の中で最後に聞こえたあの音は、きっとこれだったのだろう。

 でも、昨日の夜確かポケットから出して机の上に置いた気がするんだけど・・・。

 寝ぼけて自分で机の上から取って、ベッドに持ってきたんだろうか?

 いくらなんでも、そんな事ある?

 

 首を捻っていると、頭上から甲高い目覚ましの音が鳴り響いた。

 まだ完全に夜が明けていないのかと思ったけど、もしかして・・・。

 慌てて目覚ましを止めて、窓のカーテンを開く。

「はぁ・・・今日は雨、か。」

 結局昨夜は、母も千月もいつ帰って来たのか分からなかった。

 昨日の喧嘩から一度も話してない二人と顔を合わせるのは気が引けるけど、ずっと会わないわけにもいかない。

 私は制服に着替えると、気合を入れて一階へと降りた。


 私がリビングに顔を出すと、それまで何か話していたらしい千月と母は意味深に顔を見合わせて、会話を止めた。

 父はもう仕事に行ってしまったのか、姿は見えなかった。

「・・・おはよう。」

 ぎこちなく挨拶をすると、母は硬い表情のまま小さくおはようと返した。

 やっぱり、昨日の事をまだ怒っているみたいだ。

 千月を見ると、つまらなさそうに朝食のパンをかじっている。

「お母さん・・・その、昨日は言い過ぎちゃって、ごめんなさい。でも、私の話ももう少し聞いてくれたって」

「いいから、朝ごはん食べて早く学校行きなさい。」

 視線をそらし、私の言葉にかぶせるように早口でそう言った母は、バターをぬったパンがのったお皿をやや乱暴にテーブルに置いた。


 どうやら昨日の事で、私の話を聞く気はないようだった。

「昨日はごめんね、お姉ちゃん置いて行っちゃって。次は一緒に行こうね。」

 そう言ってにっこり微笑む千月は、やっぱり天使のように可愛い。

 本気でそう思って言ってくれてるんだったら、素直に嬉しいと思えるのに。

「千月、もう私の教室に来るの止めてくれない?高瀬君に会いたいなら、携帯で呼べばすぐ来てくれるでしょう?」

 千月が私の方に来るから、話しがややこしくなるのだ。

 私からは千月に構う事はないのだから、そうしてくれれば余計な波風を立てずに済む。

「・・・ごめんなさい。高瀬君もそうだけど、せっかくだからお姉ちゃんにも会えたらって・・・あ、でも迷惑ならもう行かない。ごめんなさい。」

 しょんぼりとうなだれる千月の後ろには、鬼の形相の母が立って私を睨みつけている。

「日向、なんて思いやりの無い事言うの!千月が学校でどこに行こうと、千月の勝手でしょう!そういう所が駄目なのよ!」


 なおも言葉を続けようとする母にうんざりして、足元に用意していた鞄を持って立ち上がった。

「行って来ます。」

 ちょっと早いけどもう朝ごはんって気分じゃないし、何を言っても無駄な気がする。

「あ、久しぶりに一緒に行かない?」

 機嫌を伺うような千月を一瞥して、私は外へと出た。

 一緒に行くなんてとんでもない。雨だし、母とはまともな話もできないし、ただでさえ憂鬱な気分なのにさらに滅入るような真似・・・・。


「・・・・えっ?」


 玄関を出て傘立てに手を伸ばす。

 その時家の外に見えた光景に、思わず我が目を疑った。


 美形が二人、我が家の前で傘をさして突っ立っている。

 おそらく千月を迎えに来たのだろう、高瀬君と、それから・・・・。


「おはよう。」

 口の端を少しだけ上げた笑みを浮かべて挨拶してくれたのは、昨日会った木田さんだった。

「あ・・・お、おはよう。」

 訝しげな視線を向ける高瀬君をひとまず無視して、私は傘を取って木田さんに駆け寄った。

「こんな朝から、どうしたの?」

「学校、行くんだろ?」

「う、うん、行くけど・・・。」

 もしかして、何か私に用事でもあるのだろうか?そう思って待ってみたけど、彼は何も言わず私を促すように道をあけた。

 高瀬君がいるから、話しにくいのだろうか?


 歩き出した私の少し後ろについてきた木田さんは、高瀬君に声が届かないであろう場所まで離れても、まだ何も言わなかった。

「・・・木田さん、私に何か用事があったんじゃないの?」

 仕方ないので、こっちから聞いてみた。

「・・・ああ、何となく・・・・。」

「何となく?」


「お前と、歩きたくなったんだ。」


 どこか甘さを含んだその言葉に、驚いて振り返る。

 まるで何かを訴えるようにじっと私を見つめるその真剣な目に、心臓がぎゅっと絞られたように苦しくなる。


 この感覚、初めてじゃない気がする。


 どこかから、鈴の音が聞こえた気がした。


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