閑話
一進一退の攻防といいたいところだが私の最後の戦いはあっさりとしたものだった。
「引くくらい強いな。俺が出るまでもない」
青野が呟いた。オツムはともかくお前の腕っぷしにはもとより期待していないが。
とはいえ青野らの反応は最もで、結論からいって勝負にならなかった。
遺伝とは恐ろしいものだ。両親のおこぼれを身に宿した私は襲ってきた御庭番衆を一瞬で片付けた。
ロボットだがアンドロイドだが知らないが、奴らからは闘いへのギラギラしたものを感じなかった。その辺りはバーバラを見習うべきと強く思う。
ここで私は一番厄介な奴らから目を離していたことに気がついた。古賀と八木は窓際へ逃れていた。
「こうなっては仕方がない。朝霧儚、また会おう」
やけくその突撃は逃げる時間を稼ぐためだったらしい。
「あの野郎――――!」
最後に一発きついのをくれてやろうと思っていたのだが、古賀は八木を小脇に抱えて窓を割って飛びおりた。ザコキャラどもも追随してわらわらと逃げていった。もちろん奴らの身体能力なら死ぬことはないだろう。
「逃げ足の速い連中だ。これでまた振り出しですね」
ラップの芯で武装していた足名稚さんが肩を落とした。事情は分からないが彼も八木たちに何らかの恨みがあったのだろう。
「そんなことはないさ。現時点でのヤギシフを無力化できたし彼らには大打撃だよ。儚ちゃんも無事だし、大切なものを取り返せたんじゃないかな」
大家さんの目線の先にはいっちゃんが横たわっていた。呼吸は安定しているようで命に別状はなさそうだが、この後どのような治療が必要か皆目見当がつかん。
「大家さん。いっちゃんは助かりますか?」
「彼女は後天的なメガエネルギー順応者だ。きっと元に戻せる。時間はかかるかもしれないけど」
大家さんが断言してくれるならこれ以上に頼もしいことはない。しかし病院で治るものでもなかろうに。
思わぬ方向からの救いがあった。
「そぉれなら! ぼぉくの知り合いでそういうのに詳しぃい人がいるぅんです! 連れて行ってあげたぁいです!」
「本当か!? ぜひ頼む!」
「そぉれがいい! 私も一緒に行きまぁす! 善はいそぉげ! このまま空港行きますぅ! 777号室はぁ退去扱いにしとぉいてくだぁさい」
外国人カップルが胸を張った。
エゴスバラとモニーもやはり関係者か。それなら話が早い。いっちゃんを助けてくれるなら誰だってありがたい。
「だったら私もいっちゃんと」
「それはやめといたほうがいいだろ。エゴスバラとモニーに任せるべきだ」
青野は難しい顔をしている。エゴスバラとモニーも私が一緒に行くのは反対のようで、気まずそうに顔を見合わせた。
私の肩に大家さんがポンと手を置いた。
「そういうわけだ。儚ちゃん。たしかに脅威が全てなくなったわけじゃないよ。でも私たち、そしてここにいない大勢の人たちが君の味方だ。何も心配はいらない」
みんなが頷いた。
「だから世界に絶望しないでほしい。復讐の果てに自分を殺そうだなんて言わないで。これからの儚ちゃんは自分のために生きていいんだよ」
みんなの顔が滲んで見えた。
「ありがとうございます」
滑舌には自信があるのだが、嗚咽が混じりうまく発音できなかった。目から止めどなく溢れるのは血や汗ではない。もっと優しく温かいものだ。
エゴスバラとモニーのことは気になったがここは二人を信じて任せることにした。私の体を案じてのことでもあるんだろう。
「あー。儚さん、ひとつ聞きたいんだがね」
ドンパチの最中大人しくしていた松風監督が目を輝かせた。
「わしは今新作映画について構想を練っているんだが、練れども練れども浮かばんのだ。何かいいアイデアはなかろうかね?」
ほんの少し前まで生死をかけての闘いが繰り広げられていた場所でするにはあまりにものんびりとした話だ。
「えっあんたそれが聞きたいがために今日ここに来たのか?」
「もちろん。限界を超えて一皮剥けた時こそいい考えが浮かぶってもんだ。あと終わったらこのへんのブツは好きにしていいって大家さんが」
たしかによくわからん装置やら何やら撮影に使えそうなものが山ほどある。宝の山に見えているのかもしれない。
この映画バカめ。とはいえ彼も危険を承知で私と一緒に戦ってくれたのだ。何か役に立ってやりたいとは思った。
こういう時に語彙があったらインスピレーションを刺激できるようなことが言えるたのだろうか。
「めちゃくちゃな話でいいから明るいのがいいな」
「めちゃくちゃか。それはいい、逆転の発想だ」
ここまで陰惨な流れにどっぷりと浸かっていた私だ。映画くらい気楽に見たいさ。
テーマはどうしようか。八木たちが逃げて割れた窓から外を眺めた。今夜は月が綺麗だ。
「そうだな、少年少女が宇宙を冒険するみたいなのはどうだろう。目的はあってもなくてもいい。ただなんとなくそうするんだ」
「宇宙か! うんうん、なんだか湧いてきたぞ。最初に火星の電波障害を解決しにいくんだ」
なんじゃそりゃ。でも何かイメージに繋がったのならそれはそれでいいけど。
「宇宙ってノはありでスね。儲かリそウですし私がスポンサーを引っ張っテきまシょう」
マーの奴もそれが狙いだったか。資本主義の権化め。
「そうと決まったら来週から撮影開始だ。この際だ、新人をバンバン起用してガツーンと売りだそう!」
「フフフ、楽しミですネ」
「話はまとまったみたいだね。それじゃ帰ろうか」
本当に色々あった。同世代のなかでもそれなりのレベルだったんじゃないかと思う。
でも今の私には帰る場所がある。今はそれを喜びたい。
「あれ。斎藤さぁん、みぃんなと帰らなぁいんですか?」
「こぉっちは大丈夫ですよ? この子、いっちゃんでしたっけ。当分目を覚まさなぁいでしょうぅし、起きたぁとしてもぉもう暴れぇることはぁないですぅし」
「いいんだよ。君たちとも話がしたくてね。あとカタコトはもういいんじゃない?」
「じゃあそうします。モニーのカタコトは棒読みで笑っちゃいそうでしたよ」
「エゴスバラこそ松風監督に演技指導してもらえばよかったのに」
「ははは。いっちゃんを任せてしまうかたちになってしまったけどいいのかい?」
「いいんですよ。娘の親友なら実態に助けてやりたいんです」
「私たち、親としてはあの子に何もしてやれませんでした。だから今できることは何でもしてあげたいんです」
「だとしたらなおさら娘と一緒に過ごしたいんじゃないのかな? それに儚ちゃんにこのことを説明しなくていいの?」
「僕たちは朝霧永劫と朝霧刹那の記憶と遺伝子を一部共有したバックアップにすぎません。オリジナルの代わりは務まりませんよ」
「それにオリジナルが持っていた記憶が少しずつ薄れてきているんです。私たちはそのうち儚の親であるという自覚がほとんどなくなってしまうかもしれない。あっ、斎藤さんは気にしないで。むしろ嬉しいんですよ。親じゃなくたって。ちょっと変わった外国人カップルとしてあの子と新しい思い出を作りたいんです」
「そうか。それならいいんだけど。それと私からもひとつお知らせがあるんだ。君たちの777号室なんだけどね、さっき店主さんから電話があったんだ」
「オー。 フドウ・タノス!」
「それはもういいって斎藤さん言ってたでしょ」
「新しい借り手が見つかったみたいなんだ」
「どんな人なんですか?」
「儚と仲良くしてくれるといいんだけど」
「こっちで新生活を始める女の子だ。儚ちゃんともきっとうまくやっていけるよ。名前は、たしか剣ホミカさんだったかな」




