陰影
巻き付いた昆布を振りほどこうとしたが見た目より頑丈にできているらしく、どうにもならない。親潮に鍛えられるとここまで逞しく成長するものなのか。
「冥土の土産にいいことを教えてやろう。これまでメガエネルギーによって異能に目覚めた者は多い。そのなかでもこの古賀は特別だ」
動かない私を見て八木は余裕を感じさせた。目の前がやや明るくなったと思ったら先ほどまで消されていた室内灯がいくつかつけられていることに気づいた。
「もちろんメガエネルギーを取り込んだ者のほとんどは耐えきれずに事切れてしまうのだがね。なに、頭数が多ければ問題ないことだ」
私たちとともに収容所にいた子どもたちもいずれそうなる運命だったのだろう。胸糞の悪い話だ。
「黙れ! お前みたいんっ」
『な』を発音する口を作る前に頭蓋が割れそうなほどの一撃に襲われた。回避行動などとれない。
「儚ちゃん。人の話は黙って聞くものだよ」
古賀の昆布による締め付けがよりきつくなった。
気をよくして八木は話を続けた。
「いわゆる超能力にも種類がある。特殊な道具や設備を用いないとして、100メートルを5秒台で走るのと鳥や虫のように空を飛び回ること、どちらが難しいと思う?」
たしか100メートルの世界記録は9秒半ば、5秒台など不可能だ。
「その目を見れば言いたいことは分かる。まあどちらも不可能だ。……しかし、スピードが遅かれ速かれ走ることができる人間はいても空を飛ぶことのできる人間はいない。つまり5秒台というのは手が届かなくとも我々の可能な範囲の延長線上に存在する。私の知る多くの能力者はこのパターンだ」
何を今さら。
「当たり前だ! いくら異能だろうと科学的法則に根本から逆らえる筈がない!」
「しかし古賀ら一部の者は『空を飛ぶ』タイプの超能力者だ。君の体に巻き付いているものを見れば分かるだろう。それはロープでも布でもない。さらに言えば我々が仕込んだ小細工でもない。人類の可能性を越える超・超能力とでもいうべき力だ」
ぬめぬめとした真っ黒の昆布のようなものとしか言いようがないが確かに八木の言うとおり、彼らがこれを仕込んだ様子はなかった。古賀が私に向かって照射したのは間違いない。
「本人の希望でそれを影と呼んでいる。自由自在に操ることができるようで、ヤギシフの作戦に大いに貢献してくれた」
「自己申告が罷り通るとは笑顔の絶えない職場なようで何よりだ。だがそれで勝ったつもりとは呆れるな」
「なんとまあ。君の両親はその影で死んだんだぞ? 一人娘も同じ手段で後を追うなんて泣かせるじゃないか」
ここまで私が敵の長話に付き合ったのには意味がある。拘束されながらどの程度まで体が動かせるか少しずつ確かめていた。
昆布、いや影に縛られている両腕は動かすことができない。左右の脚もふくらはぎのあたりで縛られていて同じく動かせない。ただ幸運なことに私はここに連れられてくる過程で靴を脱がされていた。つまり今足の裏で直に床を掴むことができる。
血路はある。
「そこだッ!」
膝を曲げられるだけ曲げ、足の裏に力を込めて飛んだ。垂直跳びも立ち幅跳びもお手の物だ。収容所での経験が生きているのが腹立たしいが今はそれすらもありがたい。
「くっ!」
不意を突かれた古賀は私の突然の頭突きをかわすことができなかった。頭に伝わった感触からしてかなりいいところに入った。まともな人間ならもう起き上がれないはず。
部下がやられたというのに八木は手を叩いて喜んだ。
「これは面白い。無抵抗に散るよりよほどいい。君のDNAは大切に保管させてもらおう。古賀、油断したな」
「申し訳ありません」
この一撃で地獄へと意気込んだが敵は御庭番衆、ダメージをうまく軽減したようだ。掴みかけた最後のチャンスは手の間をすり抜けていった。
「儚ちゃん。つくづく残念だよ。苦しまないように逝かせてあげようと思っていたのに。自分でその道を捨ててしまった」
口から血を垂らしながら古賀は怒りを露にした。満面の笑みは縁日のお面の表情を歪ませたかのようで。
「特級の御庭番衆がそんなことじゃヤギシフに先はないな。お前らはその昆布の量り売りでもしたほうが身のためじゃないのか?」
「そうか。ならその前に君とお別れをしなければね」
影がさらにまとわりつく。今度は体全体に、顔と胸元だけを残して私はダルマにされてしまった。さっきの頭突きで心臓を捉えられていればまだ違ったのかもしれないが。
焼けるような痛みが胸を裂いた。見れば古賀が構えた拳銃の銃口から煙がたなびいている。
血がどくどくと溢れだした。心臓が悲鳴をあげている。呼吸がうまくできない。
古賀はそのまま引き金から指を離すことなく6発の弾丸が私を貫いた。ぎりぎりのところで意識を保てているあたり私もこいつらと同類なのだろう。
「痛いかな? 聞くだけ野暮か。せっかくだからゆっくり味わってほしい。そのほうがいくらかいいだろうからね」
ずぶっ。脇腹に冷たい何かが1本ずつ差し込まれていく。刃物の類いなのだろう。激痛より不純なものが体にある違和感が勝った。痛みに声をあげることすらできない。死人になる直前からもはや私には口がない。
まわりが血の池になっているのが見なくとも分かる。体はどれほどの血を失ってしまったのだろう。視界も霞んできた。どのみち私はもう長くはない。
「さすがよく耐えた。君も立派なバケモノだ。だがもう終わりだよ」
聴力にもガタがきているのか古賀の声もよく聞こえない。八木はどんな顔でこの惨たらしい見せ物を眺めているだろうか。
古賀の手には一際ごついナイフが握られていた。青野に借りて遊んだゲームの装備品にそんなものがあったっけ。さすがにここまでされては万事休すだ。
最後の気晴らしと期待していた走馬灯も流れなかった。ここまでつくづく淡白な人生だったと笑えてくる。
意識が底の見えない沼沢地に沈んでいく。せめて前田荘の人たちが逃げる囮くらいにはなれただろうか。
「死ね。朝霧儚」
ナイフが私の胸に振り下ろされた。




