第四話
「はぁ……はぁっ……。ここまでくれば大丈夫だとは思うけど」
街道に戻らずに、川沿いの道を進んで来たのだが、いつしか大きい川に合流してしまっており、元いた村に帰るには、この川を泳いで渡る必要があった。
「明かりは……まだ危険だよな……」
こんな星明かりしかないところで魔法の明かりをともせば、数キロ先からでも視認されてしまうだろう事は、オレにも想像する事ができた。
「ざっと三十メートルってところか? 泳げるはずだよな……」
最後に泳いだのは一年前だが、二十五メートルのプールでは、特に苦労せずに泳げた事を思い出した。
「あまり音を立てない方がいいだろうな……」
服を脱ぐ事も考えたが、頭の上にくくりつけるようなヒモもないし、もともと軽装なのでそのまま泳ぐ事を選択した。
少し向こうには木製の橋があるのだが、ゴブリンの追っ手がいないとも限らない。
「夏前とはいえ、心臓まひを起こさないように……」
オレはゆっくりと川の中に入り、水を心臓のあたりにかけて、呼吸を整えていった。
「よしっ!」
オレは意を決して平泳ぎで泳ぎ始めたのだが……。
「体が……重い……」
想像以上に着衣のままで泳ぐのには水の抵抗があり、沈まないように必至になって水をかいていた。
「エリプシュール……ホングラァ……」
視界のはしに、たいまつを手にしたゴブリンと弓を手にしたゴブリンが橋のたもとにたどり着いたのを見て、オレの心臓は激しく脈打った。
「ふぅっ……」
一瞬、水をかくのが遅れてしまい、水面に口がつきそうになってしまい、オレはあわてて水面に潜り込もうとしたのだが……。
「トレンシャーシ! エレッ! エレッ!」
次の瞬間、橋の上からゴブリンアーチャーが弓を放って来てしまい、第一射はなんとかよける事に成功した。
「うわっぷ……けほっ……」
オレは恐怖のあまり、鼻から水を吸い込んでしまい、あわてて水面に浮上した。
「エグリッ! エレッ!」
再び矢が放たれてしまい、オレはあわてて水の中に逃れようとしたのだが……。
「ふぐぅっ……くっ……うぅっ……」
オレはひじのあたりに矢を受けてしまい、満足に泳ぐ事もできず、いつしか水流にもまれてしまいそうになっていた。
「ふぅっ……むぐっ……んっ……」
だが、いま水面に顔を出せば狙い撃ちされるのは見えているので、オレは気が遠くなりそうになりながらも、水中でバタ足をして進む事にした。
「ふごぉっ……んぐっ……」
だが、さすがに息が続かず、意を決して水面に浮上しようとしたのだが、ひじの矢傷が痛み、浮上する事すらできずにいた。
(オレ……こんなところで、死んでしまうのかな……)
必死にバタ足を続けていたのだが、オレは意識が薄れていくのを感じた。
「ふぅ……えぇと……終電まで、あと二十分か……やべっ!」
オレは仮眠していたハンバーガーショップのの二階席でテーブルから顔を上げて、スマホで時間を確認して青ざめた。
「なんか、妙な夢を見ていたような気がするな……。オレが伝染病にかかって、異世界で魔術師をやってて……」
トレイとコーヒーカップを所定の位置に収めて店を出た瞬間、妙に生々しい感覚がよみがえって来た。
「オレは……オレは……」
赤信号で待ちながら考え込んでいくと、いつしか周囲がオレを中心にぐるぐる回り続けて……。
「くはっ……げほっ……げほっ……」
オレは唇になにか、やわらかい物を感じて目を覚ますと、気管やその奥に残っていた水を反射的にはき出した。
「よかった……そのまま死んでしまうかと……」
目の前にいる若い女性が何かをしゃべると、少しのラグのあとで翻訳機能が働き、内容が脳内に流れ込んで来た。
「オレは……隊商といっしょに野営をしていたら……大量のゴブリンに襲われて……そうだ!」
オレは、使命の事を思い出して起き上がろうとした。
「うわぁっ」
だが、オレはたき火の前で服を脱がされており、腰のところに申し訳程度に布で覆われている事に気づいた。
「落ち着いてください……服はいま、干しているところです」
よく見ると、すでに矢は抜かれており、ひじのまわりには包帯が巻かれていた。
「あの……ミグラの村に……ゴブリンの群れが向かっているかもしれない事を伝えないといけないんです……」
オレがそう言うと、翻訳に少し時間がかかっているようだった。
「兄さん……ミグラの村に、足を伸ばしてもらえるかしら」
たき火の向こうには、この若い女性の兄らしい屈強な青年が座っており、言葉を交わしてから立ち上がった。
「大丈夫……いま、兄が向かってくれるそうです。裏道があるので、ゴブリンよりは早く到着するはずです」
若い女性……白人と黄色人種の中間ぐらいの肌の色をしており、顔は少しエキゾチックだが全体的に整っており、雑誌の表紙を飾ってもいいような肢体を面積の狭い服で包んでいた。
「あなたは、かなり長く仮死状態で水中を漂っていたようなので、体が冷え切っています……。このままでは朝まで持たないので、わたしが温めます……」
若い女性はそう言って、オレの体に覆いかぶさって来た。
「ちょっ……えぇっ……そのっ……」
オレは半ばパニックになりながらも、若い女性の柔肌に触れているうちに、再び睡魔に引き込まれていった。
「うっ……」
どれだけの時間がたったのだろうか……目を覚ますと、まわりはすっかり明るくなってしまっていた。
「峠は越しました。もう大丈夫だとは思いますが、この汁を飲んでください。苦いですよ?」
オレを助けてくれた若い女性はすぐそばで、薬草をすりつぶしていたようで、茶色い萩焼のような容器に入った『それ』を、オレに手渡した。
「あれ……翻訳に遅れがなくなっている」
「あぁ、わたしたちは少数部族で、アデナ語とは少し違うのです。術を使ったので、もう大丈夫だと思います……さぁ、飲んで」
「わ、わかりました……んっく……」
オレは、意を決して容器に入った『それ』を一気に飲み干した。
「ふわぁっ……青○より何倍も苦い!」
「そんなに一気に飲むものではないんですよ……さぁ」
若い女性は困ったような笑みを浮かべて、水の入った容器を手渡してくれた。
「んっ……はぁ……ありがとうございます」
水の入っていた容器を返すと、若い女性は邪気のない笑みを浮かべてくれた。
「そういえば、あなたのお名前は? オレはストレインと言います。あ、術を使ったとか言いましたが、あなたは魔術師ですか?」
オレは続けざまに若い女性に言葉を浴びせてしまった。
「落ち着いてください……わたしの名は、アルミラ。魔術ではなく、部族に伝わる呪術をいくつか使う事ができます」
アルミラさんは、落ち着いた笑みを浮かべて、ゆっくりと自己紹介をしてくれた。
「アルミラさんですか……響きのいい名前ですね……」
オレはつい、アルミラさんの姿に見とれてしまっていた。
「ありがとうございます……ストレインさんでしたか……わたしたちの部族では、恵みの雨をもたらす者という意味になりますね」
「そうなんですか……アメリカという国ではレインが雨を意味しているんですが、妙なところで類似点があるんですね」
「聞くところによると、わたしたちと最も近い人間で、高い戦闘能力のある世界につなごうとしたそうですね……」
「そんな事を言っていましたね。人種の違い程度しか、変わらないんで、最初は驚きましたよ」
キャラクターメイクにより、さまざまな能力は付与されているけれど、肉体は元の体に準拠しているんだよな……。特殊な方法でスキャンするとか言っていたし、それもあってお金がかかるのかもしれない。
「なんにせよ、死にかけていたところを助けてもらうだなんて、このご恩は一生忘れません」
「いえ……これも運命なのだと思います……水の精霊がざわめいていたので、兄と注意深く観察していたら、あなたが流れ着いて来たのですから……」
アルミラさんは、手で印を作ってなにかに感謝しているようだった。
「精霊……ですか。オレの世界の精霊使いも、こっちでは能力が使えないと聞いたのですが」
「それは、こちらの世界の精霊に認められていないからだと、わたしは思います」
「というと、もしや……精霊と契約しないと精霊魔法は使えないのですか?」
ゲームによってはそのような設定の物がある事を、オレは思い出した。
「ええ……精霊の加護を得る必要があります。わたしの部族は水と炎の二律背反した精霊の加護を受けているのです」
「そんな事ができるんですか? こっちでは、精霊魔術師も、オレのような元素魔術師も、最初に選んだ系統しか使えないとされているんですけど……」
「あなたは、元素魔術師だったのですか……高い魔力を感じたので、術者だとは思っていたのですが」
アルミラさんは、何度もうなずきながら、気になる言葉を口にした。
「こちらの世界には元素魔術師といえる存在がいないので、元素魔術が使えないと聞いていたんですが……」
「精霊魔術も元素魔術も、大本……エネルギーソースは同一です。精霊の魂につながるか、精霊の力を引き出すかの違いなのです」
これまで、そのような話は聞いた事がなく、オレは心底驚いていた。
「では、オレも精霊の加護を得る事ができれば……魔術が使えるようになる可能性があるという事ですか?」
「そうです……これは一般に知られている事ではなく、わたしたちの部族の秘伝とでもいうべき技術なのですが……」
「そのような事を、文字通りの流れ者のオレに教えてくれるだなんて……」
「あなたは面白い事を言いますね。精霊も喜んでいますよ……」
アルミラさんは、相好を崩して笑みを浮かべて、オレの肩をなでてくれた。
「お願いです。オレに精霊の加護を得る方法を教えてください! ミグラの村に迫っているかもしれない、ゴブリンを倒したいんです!」
オレは深々と頭を下げて頼み込んだ。
「容易ではないと思いますが、稀人の願いを受け止めましょう」
アルミラさんは手印を空中で切って口を開いた。
次回で第一部終了です。