1
「センパイ、ちょっとお話があるんですけど。いいですか?」
ある日、見知らぬ男子生徒に声をかけられた。中高一貫の我が校。制服は同じだけれど、胸に名札をつけているのは中学生のしるしだ。中3が高3を呼び出すなんて、いい度胸じゃん。そんなふうに思って、ノコノコと人気のない校舎裏についていったのだ。
「お久しぶりです、センパイ」
「……は?」
「きょとん、じゃねーだろ! 覚えとけよコラ」
「えっ?」
胸元の名札をぐいっと引き寄せてよく読むと、佐々木篤也の文字。ささきあつや? そんな知り合いいたっけな。佐々木っていったら、わたしが昔好きだった先輩の名字だ。下の名前は数也だった。先輩の顔は忘れても、その名前はよく覚えている。だって好きな人の名前をノートに108回書くおまじないとか、画数で相性調べたりとかしたもん。そういや名前が似てるな。数也に、篤也? ひょっとして……
「っあーっ!!!」
「思い出した? センパイ?」
「アンタは、アンタはっ!」
==========
あれは中2のときだった。憧れてたのはひとつ上の先輩。恋に恋してた中2病のわたしは、ただ陰から見ているだけで満足で、切なくなっちゃってる自分に酔っていた。登校・下校を待ち伏せし、果ては先輩の家の前までこっそり行ったりもしたものだから、当然気づかれていたらしい。ある日呼び出されたのは、先輩の家の近くの公園だった。
『なんかそのー…さ、ウワサ、聞いたんだ。キミ俺のこと…?』
『すっ、すみません! ご迷惑ですよね、』
『いや、うれしいよ?』
『へっ?』
肩に手。先輩の顔がななめに傾きながら近づく。ほ、ほんとに!? いきなり? 慌てて目をギュッとつぶったら、耳元で低い声がした。
『なに見てンだよ』
――っ! えーっ! そりゃ毎日見てたけど!我ながらストーキングだったけど!! 持ち上げてから落とすってそんな!
けれど先輩が見ていたのは私の後方。視線を追うと、そこにいたのはランドセルをしょった男の子だった。
『あの…?』
『弟に見られながらとか、ねーわ』
『お、弟!?』
二人の顔を交互に見る。嫌そうに顔をしかめる先輩と、生意気そうな子どものツラ。似ていなくも、ない。そんなことを考えているうちに、先輩はくるりと背を向け、公園を出ていこうとした。
『あ、あの、先輩?』
『ヤル気なくしたわ。お前もそろそろやめてくんね?』
そーっと弟くんの顔をうかがうと、『ちげーよ』と呼び戻される。
『あ、わ、わたし?』
『そー、毎日毎日さあ。俺のこと待ち伏せてんじゃん? まあ別にお前くらいの見た目なら一回くらいいいかなって思ってたけど。いっぺんヤル気そがれたらもう次は無いから、諦めて』
『えっ!あ、あの』
んじゃ、と帰っていく先輩を、呆然と見送る。あれ?わたし、告ってもないのに撃沈? つーか一回くらいいいかなって、何を? 状況を把握できず、混乱のあまりにしゃがみこむ。すると、テテテテ、とかけ足の音が聞こえて、さっきの子どもがわたしの目の前に座り込んだ。
『兄ちゃん、ほかに三人彼女いるんだぜ』
『……は?』
『よかったじゃん。あんなオトコに引っ掛からなくて』
『は?』
『オレのほうが絶対イイよ』
『――!』
よろよろと力が抜けて、尻餅をつく。今、こいつ、何をした? その口が、今、わたしの口に!
『キっ、キっ』
『オレのファーストキスだっ!』
偉そうに宣言し、子どもはくるりと背を向け帰っていく。ふと振り向いたかと思うと、言い忘れたかのようにつけ加えた。
『アンタさあ、その座りかたパンツまる見えだよ?』
――これがわたしの初恋の顛末。
==========
「アンタはっ! 初恋ドロボー!!」
「…なにそのハートフルなネーミング」
嫌そうに眉根を寄せるその顔には、確かにあの日、先輩を睨み付けていた生意気な子どもの面影があった。
「確かにアンタの“初恋”はジャマしたけど」
なんてボヤくけれど…そうでは、ないのだ。
「何よ、話って。つかその前に、なんでアンタここにいんのよ?」
「はぁ? オレ中1からココ通ってっけど?」
「そ、そうなんだ? で、話って」
何、と言い終わらないうちに、いきなり校舎の壁に押し付けられた。ちちち、中3のくせに!
「なななな、」
「背ぇ、測らせてよ」
「はぁっ!?」
「まっすぐ立って。アンタいくつ?」
言われるがままに、「きをつけ」をしてしまうわたしもわたしだ。
「こ、高3だけど…?」
バカにしたような目で見やがったな! わたしの頭の上に手をのせ、後ろの壁に何かで線を引いている。
「トシなんか知らねえよ。身長!」
「えーと、こないだ測ったときは、168てん…、ちょっと!いま舌打ちした!?」
代わって、と言われ、チョークを渡される。なんだかわからないけど、つむじをざっくりなぞって壁に突きつけてやった。
「いってえな! ハゲんだろうが!」
「知るか! なんでいきなり背比べなのよ!」
その質問には答えず、壁をじーっと見たかと思うと、小さくガッツポーズをしている。なんだ、わたしに身長で勝って何がそんなにうれしいのだ!
「もう用は済んだ? なんなのよ、いったい…」
するとくるりとこちらを向き、姿勢を正したかと思うと、突然頭を下げてきた。
「な、なに?」
「オレとつきあってください!」
「……は、」
「ずっと好きでした!」
よろよろと、力が抜けてへたりこむ。何を、急に、わたしの初恋を盗んでおいて、今さら。頭上からは呆れたような声。
「アンタ成長してねーな。だからその座りかただとパンツまる見えだっつったろ?」
お前もナ! と、言いたいところだが、目の前に同じようにしゃがみこんで、スカートの中が見えない位置に来てくれたのは、成長、かもしれない。わたしもパタンと膝を倒す。
「な、なに、突然。ずっと、って」
「小5のときから。一途だろ? オレ」
「わたしは、」
「うん?」
うそつき。そんな熱い目をしたって、騙されない。だってわたしは、
「わたしは、まだアンタを許してない。わたしの初恋、盗ってったくせに」
「……けどアレは、オレは間違ってなかった。だってあのときは、子どものオレから見てもアンタ兄貴に都合よく使われることになるってまるわかりだったもん」
そうじゃない。そんなこと言ってるんじゃない。
「オレは、アンタが兄貴追っかけて家の前うろうろしてたときから、ずっとアンタが好きだったよ」
うそつき。それなら、どうして。
「まさか、まだ兄貴のこと想ってるとかは…無い、よな?」
「なんで…?」
「あのあとも懲りずに家の前、うろうろしてたし」
「…だって、そこ以外に会える場所、無かったじゃない」
「は?」
「とにかく! 許してないんだからっ!」
「あっ? ちょっとオイ! 待てよ!!」