1. 休戦
休戦の旗が上がった。私達の闘いはこれから始まる。
赤、赤、赤。
ついこの間まで真っ白だった雪原が赤い血で覆われて、あちらこちらから兵士達の呻き声が聞こえる。早く生きている人を助けなくちゃ。頭では分かっているけど、両足が凍りついてしまったように動かなかった。
「行くぞ、タモナ」
ラニ先生の声で我に返り、頼もしい背中を追いかける。
私の名前はタモナ・ラシュ。16歳の看護婦見習いで、北方の紛争地帯で救護活動を行っている。
「そこのうすのろ!」
「ぼやぼやすんな!」
「さっさと包帯よこせ、この役立たず!」
テンパる私を救護テント中に響き渡る大声で怒鳴り続けているのはラニ・ギャバン先生。芝居小屋の男装俳優みたいな外見に反して、医学院を首席で卒業した超優秀な女医なのだ。いつも怒られてばかりだけど、同じ女性として尊敬している。
北方の戦闘は人間以外の敵がいる―――寒波である。止血が終わったら、重度の凍傷の患者を探して医者に報告する。敗血症になる恐れがあるので、身体の一部を切断しなければならない場合もある。
酷い凍傷を起こしている兵士を見つけた。まだ若くて、年は私と同じくらいだ。十代の少年が兵士になる理由は大抵、報奨金目当てだといわれている。
少年兵の容体は最悪だった。砲弾で吹き飛んだ衝撃で肋骨が折れていて、熱も高い。昨日と一昨日は特に激戦で救護隊も近づけない有様だった。もしかしたら、二日間ずっと雪の中に埋まっていたのかもしれない。
「左足を足首まで切断します」
ラニ先生は静かに告げた。本人の意識が殆どないので、承諾を得ることはできない。形だけの確認だ。
命を救う為とはいえ、全身傷だらけなのにさらに切りつけられるなんて。もし私の兄弟だったらと考えると、胸が張り裂けそうになった。彼の家族はきっと無事に帰ってくるのを待っているはずだ。
男の子の足をぎゅっと握る。自分がただの見習いで、何もできないことは分かっていたけれど、そうせずにはいられなかった。
「大丈夫。あなたは絶対に助かる」
一瞬虚ろな目が私を映したような気がしたけれど、気のせいだったかもしれない。一命を取り留めた少年はすぐに大きな病院へ移送され、言葉を交わす暇もなかった。私も忙しい日々に追われて彼のことをすっかり忘れてしまった。
休戦から半年経った頃、私は看護学校に復学し、二年後無事に卒業までこぎつけた。卒業後の就職先は、ラニ先生の診療所に決まった。
「うすのろ」だの「役立たず」だの散々罵られたはずが、どういう心境の変化だろう。何はともあれ、当代一と誉れ高い名医の下で働けることになった。
ラニ先生は戦場における救護活動の延長で、北方の町で診療所を開いている。
「お久しぶりです、先生!」
「おう」
机に向かうラニ先生は顔も上げずに素っ気ない返事をする。二年ぶりの再会だっていうのにつれない人だ。
「荷物は借家に置いて来ましたから、すぐに仕事に取りかかれます。何でもお申し付けて下さい!」
「じゃあ、ここに行ってくれ」
ぴらっと差し出された紙には家名が記されていた。
「マッキナー公爵家?」
聞き覚えのない家名だ。正直、北方の貴族には詳しくない。とはいえ、医療と資産家は切っても切れない関係にあるから、徐々に覚えていく必要がある。
「戦争から負傷して帰ってきた子息がふさぎ込んでいるらしい。専属看護婦にお前を推薦しておいた」
「え、ここで働かせてくれるんじゃないんですか?」
ぎょっとしてたずねると、鼻で笑われた。
「十年早いんだよ、馬鹿たれ。まずは、この仕事で結果出してこい」
寒空の下、無情な上司からほっぽり出された私は仕方なくマッキナー公爵家に向かうことになった。
途中立ち寄った図書館で目を通した歴史書によれば、マッキナー家は北方三州を統治する大貴族だという。北方は作物が育たないので、漁業と貿易が主な収入源になっているようだ。
マッキナー家の御屋敷は領土を見渡す高台にそびえ立ち、休戦中とはいえ、北方は守りの要だと知らしめる強固な要塞に見えた。
領主の公爵様直々に迎えてくれたのは驚きだったけれど、話してみたら、いかにも全部自分で仕切らないと気が済まないような人だったので、納得した。
「戦争から帰って以来、部屋にひきこもっている。あれは公爵家の跡取りとしての自覚が足りないのだ」
「精神的な傷を癒すには御家族の協力が不可欠です」
公爵はせせ笑った。
「精神的な傷だと?目に見えないものなどどうでもよい。あの見苦しい歩き方をどうにかしろ」
あまりの暴言に閉口する。北方の守りと名高い公爵様は実戦経験のない威張り屋なのかもしれない。あの惨状を一度でも目にした人間なら、戦争で足を失った息子に対して「見苦しい歩き方」などという心無い言葉を吐けるはずない。
「では、私に一任してくださるということですね?」
「ああ。どんな手を使ってでもジョシュをまともな人間に戻せ」
マトモじゃないのはあんたの方だと喉まで出かかった。とんでもない頑固親父だと思ったが、頑固なのは親父だけではなかった。ジョシュ・マッキナーは筋金入りのひきこもりだった。
挨拶がてら、寝室の扉を叩いて声を掛ける。ちなみに扉は厳重に閉じられていた。聞くところによると食事を運ぶ乳母しか部屋に入れないらしい。
「本日より身の回りのお世話をさせて頂くタモナ・ラシュと申します」
「不要だ」
しっかりした声が返ってきた。二年半もひきこもっている人物とは思えない。相手を知る為に会話のキャッチボールから始める。
「お言葉ですが、私は食事を運ぶ役目を預かっているので、入れてくれないとお腹空いちゃいますよ」
「部屋の前に置け」
「ハエが集るから、お断りです」
「キャスはどこだ」
「お孫さんの顔を見に里帰りしてます」
「お前の差金か」
「ええ。でも、キャスさんもずっとお孫さんに会いたかったと喜んでました。今まで誰かさんが心配で屋敷を離れなかったみたいですけど」
「いちいち棘のある言い方だな」
「美しい薔薇にはトゲがあるんですよ、おほほ」
「・・・」
調子に乗り過ぎた。多分ドン引きされた気がする。
「えーと、ジョシュ様?」
「とにかく食事は要らん」
取り付く島もないので、説得は諦めることにした。こうなったら、力づくだ。一旦診療所へ出向き、ラニ先生に報告及び今後の治療方針を伝えた。反対されることを予想していたけど、先生はむしろ賛成してくれた。
「それぐらいの荒療治なら、どんどんしろ。躊躇っていたら、病は治らん」
ラニ先生は貴族に対して全く動じる様子がないので、思い切って自分の考えを話してみることにした。
「これは私の勘ですが、ジョシュ・マッキナーはひきこもりなんかじゃありません。義足も自在に使いこなせるはずです」
ラニ先生は驚かなかった。私を見て、ふっと笑った。




