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学校から帰る道すがら。
なんだか今日はいつもと雰囲気が違うな、と考えてようやく思い出す。
あっ、そうだった! クリボーがいないんだった!
じっと周囲に神経を研ぎ澄ませてみるものの、やっぱり今もクリボーの気配はなかった。
ずっと白熊くんのことを考えていたから、ついついクリボーの存在を忘れてしまっていたのだ。
なんだかわたしって、すごく薄情な人間なのかも……。
ちょっぴり落ち込んでしまい、ブルーを背負って歩く、猫背気味のわたし。
クリボー、ごめんね……。
心の中で謝るわたしに、答えてくれる声はもちろんなかった。
はぁ……。
思わずため息がこぼれる。
どこに行っちゃったんだろ、クリボー……。ほんとにわたしを見限って、消えちゃったのかな……。
不安が重くのしかかり、猫背がどんどんひどくなっていく。
足取りも重く、なかなか家にたどり着けなかった。
家が視界に入ってきても、行けども行けども全然近づかないようにすら感じられた。
逃げ水みたいに家が逃げてしまっているんじゃないかと思うほどに。
ともあれ、歩いていれば距離は着実に縮まるもの。ほどなくして、見慣れた玄関のドアは目の前にまで迫ってくる。
わたしは静かにドアを開け、沈んだ気持ちのまま家の中へと入っていった。
☆☆☆☆☆
階段をのそのそと上り、自分の部屋のドアノブをゆっくりと引く。
………………!
バタンッ!
わたしは、素早く我が身を部屋の中に滑り込ませると、お行儀悪く大きな音を響かせてドアを閉めた。
目の前には、クリボーがいた。
いなくなったわけじゃなかったんだ!
安堵とともに、別の思いも浮かんでくる。
なんだか、様子が変だ。
クリボーは部屋の隅っこで壁のほうを向いて座り、なにやら一心不乱に手を動かしてトントントンと音を立てていた。
「ちょ……ちょっと、なにやってるの?」
そう言いながら、クリボーの後ろ姿をじっと見つめてみる。
どうやら、右手に握った物体を、しきりに自分の坊主頭に叩きつけているようだった。
クリボーの横には、なにか細長い缶のようなものが置いてある。
あれは……スプレー缶? どこかで見たことがあるような……。
「おっ、ピノ、帰ったカ。早かったネ」
振り向いたクリボーは、左手で掲げた手鏡をのぞき込み、右手に持ったクシで頭を叩き続けていた。
「え~っと……、なにしてるの?」
尋ねながらも、なんとなく気づいてはいた。
ただ、あまり触れていい部分ではない、という意識が働いたのかもしれない。
「洗面所で気になってサ。育毛剤ってやつダナ」
クリボーから返ってきた答えは、思っていたとおりのものだった。
「なんだか惹きつけらたカラ、今朝はそのまま洗面所に留まってたんダ。そしたらオヤジさんが来てサ、スプレーを吹きかけて、このクシでトントンと頭を叩き始めたんダヨ」
……うん、そうだね……。お父さん、毎日やってるもんね……。
お父さんの頭もツルツルだから、クリボーには通じるところがあるのかも……。
「これで生えてくるハズだトカつぶやきナガラ、ひたすらトントントントン。こりゃ、オレもやるシカないナ、と思ったワケ」
「はぁ……、そうなんだ……」
ついつい無気力な返事をしてしまう。
でも、そっか。最初に見た黒い影みたいな姿のときも、考えてみたら髪の毛はなさそうだったよね。
クリボー、実は気にしてたんだ。
そう考えると、なんだかちょっと微笑ましい。
だけど……。
「これで、オレはフサフサに~♪」
鼻歌まじりで頭を叩いているクリボーを見ていると、黙っおていたほうがいいかも、と思わなくもなかったけど。
わたしはためらいがちに伝えた。
「あのさ、クリボー。……それ、無駄だと思うよ?」
残酷な言葉に、クリボーの手がピタッと止まる。
「ど……どうしてサ?」
「だって、お父さん、何年も前からずっとその育毛剤を使ってトントン叩いてるけど、あの状態なのよ?」
効果がないのは、見るからに明らかだった。
……お父さんに対しても、ちょっと残酷な事実かもしれないけど。
「何年か前には、お父さんにもちょっとは髪の毛が残ってたの。それからずっと、トントンやってるのに、今では立派なつるっぱげ……」
コトン。
クリボーは涙目になりながら、クシと手鏡を床に落としていた。
とはいえ、わたしも泣きたい気分だった。
だって、そのお父さんの遺伝子をしっかりと受け継いでいるせいで、わたしのおでこもこんなに広いのだということになるから……。
ず~~~ん……と、気分が落ち込んでしまう。
と、そんなわたしの耳に、再びトントントンとリズミカルな音が響き始めた。
「クリボー?」
「オレ、諦めナイ! きっと、生えてクル! ピノも一緒に叩くカイ?」
「叩かないわよ、わたしは」
だって、お父さんみたいに余計ひどくなったら困るもん。
なんて言葉は、さすがに呑み込んでおくことにした。