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叫び声が響いてもピクリとも動かない白熊くんに、わたしは膝立ちの体勢で覆いかぶさる。
両手を伸ばし、白熊くんの両腕をそっとつかむ。
白熊くんはまったく動かない。だけど胸の辺りは、穏やかに上下していた。呼吸も確かに感じられる。
少しだけ、安堵する。
その傍らには、飛び込んできたわたしをじっと見下ろす、クリボーの姿があった。
「もうやめて!」
クリボーを睨みつけながら、わたしは声を荒げる。
そんなわたしとは対照的に落ち着いた声音で、クリボーは言葉を返してきた。
「もう手遅れダヨ?」
「そんなの、ウソ!」
わたしはクリボーの言葉をかき消すように、否定の叫び声を重ねる。
信じたくない。いや、信じない!
「まだ息はしてるケドネ。デモ、時間の問題ダヨ」
「そんなの、ウソだもん!」
再び重ねられた否定に、さすがのクリボーも苦い顔で反論してきた。
「信じナイのは勝手だケドサ。だったら、どうスルって言うんダイ? 童話みたいに、キスで目覚めさせるトカ?」
ただ、どういうわけかそこまで言葉を連ねると、ふっと口を閉ざしてしまう。
クリボーは、なにやら考え込んでいるようだった。
「そっか、確かにソレなら、助かっちゃうカモ……」
「えっ?」
ふと漏らしたつぶやきに、わたしは反応する。
助かる?
白熊くんが、助かる?
わたしは、さっきのクリボーの言葉を思い返す。
童話みたいに、キスで目覚めさせるトカ?
クリボーは確かにそう言った。
それで、白熊くんは助かるっていうの?
「イヤ、なんデモないヨ。だいたい、そんなコトする勇気、ピノにはないダロ?」
余計なことを言ってしまった、といったバツの悪そうな苦笑を浮かべながらも、クリボーは口もとを緩める。
そして、こう続けた。
「オレがレンタマしてやらなきゃ、ナンにもできナイ、臆病なピノには……」
ズキン。
クリボーの言葉はわたしの胸に、トゲのように、いや、針のように、いやいや、剣のように、深々と突き刺さる。
わたしは自分の意見もろくに言えない、情けない性格だった。
それを少しでも変えるために、クリボーから『れんたま』してもらっていた。
とはいえ、決して『れんたま』してもらわなければなにもできない、ということではない。
わたしはわたしなりに、頑張ってきたつもりだ。
それに、白熊くんを助けるためなら、どんな困難だって乗り越えられる。
キスするのは、もちろん嫌じゃない。それどころか、嬉しいというか、ずっと憧れていた。
だけど……。
白熊くんの了解も得ないで、そんなこと……。
でも、このままじゃ、白熊くんは死んじゃうし……。
頭の中で葛藤が続く。
クリボーは黙って見守っている。
わたしは、覚悟を決めた。
ぐっと、顔を近づける。徐々に徐々に、ではあったけど……。
白熊くんの透き通るような綺麗な肌が、少しずつ目の前に迫ってくる。
もちろん迫っているのは、わたしのほうなのだけど。
「キス、しちゃうのカイ? 本人の了解も得ないで。白熊が起きタラ、嫌われちゃうカモしれないヨ?」
「わかってる! けど、死んでほしくないもん! 嫌われるくらい、なによ!」
クリボーの声が引き金となったかのように、わたしは勢いをつける。
白熊くん……死なないで!
わたしは、
目を閉じて、
不器用に、
唇を重ねた。
柔らかくて、温かくて、ほのかな湿り気があって……。
わたしはそっと唇を重ねたまま、白熊くんが意識を取り戻すのを待つ。
あれ?
だけどわたし、今、目をつぶってる……。
白熊くんの意識が戻って目を開けたとしても、これじゃあ、わからないじゃない……。
わたしは恥ずかしく思いながらも、目を開けようと決心する。
もっとも、もし白熊くんが目を開けたらきっと驚くだろうから、わからないはずもないのだけど。このときのわたしには、気づく余裕なんてありはしなかった。
どちらにしても、わたしが決心しようがしまいが、結果は同じだったかもしれない。
夜も遅い学校の教室に、突然大きな声が響き渡ったからだ。
「おお~~~~~! よくやったぞ、ピノ~! あたしはマジ感動した!」
「最高だったよ! 見てるだけで恥ずかしかったけどね!」
「ふふっ、でも、ホントにするとは思わなかったですよね~!」
響き渡ったのは、三つの黄色い声。
「えっ………?」
わたしは思わず顔を上げ、声のした方向――教室の後ろのドア付近に目を向ける。
そこに立っていたのは、パピコ、パナップ、大福ちゃんの三人だった。
三人は微かに頬を染めた笑顔を張りつけ、教室の中になだれ込んでくる。
いや、さらにもうひとり、教室に入ってきた人がいた。
担任の牧村先生だ。
どうして、みんながいるの?
なんで、先生まで?
いったい、これはなんなの?
なにがなにやらわからず、呆然とするしかないわたし。
そのとき。
わたしのすぐ横で、むくっと起き上がる影……。
言うまでもなくそれは、意識を失っていたはずの白熊くんだった。
慌ててわたしは振り向いて声をかける。
「白熊くん、気がついたのね! よかった!」
わたしの言葉に、なんだか恥ずかしそうな様子で後ろ頭をポリポリとかきながら、
「騙すような感じになって、ごめんね」
白熊くんは、そう言った。
「え……? えっと、どういうこと……?」
混乱しまくるわたしをよそに、友人三人と牧村先生、さらにはクリボーまでもが、わたしと白熊くんを取り囲むように集まってくる。
「ピノ! やるじゃん!」
パピコがニヤニヤしながら右手を差し出し、親指を立てて「グッジョブ」のポーズを見せる。
彼女だけじゃない。パナップも大福ちゃんも、牧村先生もクリボーも、みんなニヤケ顔で笑っている。
それで思い出した。
わたし、白熊くんに、キスを……。
ぼっ!
瞬間的に、顔から火が出る。
「あっ、あの、白熊くん、その、わたし、えっと……!」
しどろもどろになりながらも、どうにか弁解の言葉を口にしようとするわたしを、白熊くんはいつもの温かな微笑みで制する。
「うん、わかってる。大丈夫だよ」
「えっと……」
わかってるって、
大丈夫って、
なに?
そういえばさっき、騙してごめんとか、そんな感じのことを、言ってたような……?
呆然と見つめ返すわたしに、白熊くんは優しく、こうささやいてくれた。
「大丈夫。ぼく、雫宮さんのことが……好きだから……」
一瞬、なにを言われたか、理解できなかったけど。
次の瞬間には、顔から火が出るどころか、体中から発火して大爆発を起こしたくらいに、わたしは真っ赤っかになってしまうのだった。