心臓
立石と真帆が、不倫関係であったことは事実だった。そのことを知っているのは、自分達以外いないはずなのに・・・。啓介はそれをメモで指摘した。
(いや、もしかしたらこの探偵は、自分をだます為、事前に調査してきているのではないか?依頼人の身辺調査など、探偵にとっては簡単な事だろう・・・。もしくは、たまたま妻が何かに感づき、自分の素行調査を、この霧島という探偵に依頼した経緯があるのではないか?・・・。しかし、そんなに都合よく同じ探偵に出くわすだろうか?)
一つ一つ仮説を立てては、可能性としてはありうるが、否定も肯定もできないものばかりだと気づく。確証には至らない。
立石の心中の一度立った細波は、消える事がなかった。
そしてまた、啓介は透き通った目で立石、・・・いや、その背後の何かに視線を据えたまま・・・追い討ちをかけるように言う。
「見つけてくれてありがとう。幸せだった・・・。そう、言ってます。何だか分かります?」
心臓を、鷲づかみされたような、一言だった。
シャワーの音。水に溶ける赤い、赤い色。青白く、生気を無くした肌。バスタブに張られた水に揺らめいて、黒く、長い髪の毛だけが、生き物のように・・・。
・・・なぜ・・・。・・・なぜだ・・・。
言葉にならず、ただ頭の中で反芻する。
抱き上げても、目は空ろのまま。口は開いたまま。
冷たい額を手で拭う。一瞬、自分と目があったと錯覚した。
微笑み?
真帆は、開放されたのだろうか?
この世界から?・・・自分から?
彼女の望み。この姿が・・・。
立石は、理解できないまま。
彼女の声を聞けないまま。
ずっと、心の中で封印してきた。
記憶。
罪悪感。
冷たい男だと、自分でも思う。涙も出ないのだ。
彼女を置き去りにしたのに・・・。
啓介の力を信じるしかなかった。彼は本物だと。
どんなに言葉で説明されても、とって付けた解釈で論破することはできるだろう。ただ、彼の言葉の重みは、実際言われてみなければ身に沁みない。そう立石は実感した。
頬をつたう熱い雫が、証明してくれた。
「もういいです。霧島さん。その人のことは・・・。ひとまず考えさせて下さい。とりあえず、あの部屋の2人を、お願いします」
「わかりました。じゃあ今夜やります。終わったら高峰さんから連絡あると思いますので・・・。そう、それと、怖がらせて申し訳ないと思ったんですが・・・。ふあ・・・」
啓介は眠そうに大あくびをする。
「でも、その方、たち悪くないので、大丈夫です。・・・ただ・・・。・・・いえ、やっぱりやめときます。あなたとは関係ないようです」
そういい残し、車へと戻ると、助手席に乗り込でシートを倒した。慌てて一礼する高峰。
「ごめんなさい。体力使うみたいですぐ寝ちゃうんです。また連絡しますので、今日はこの辺で・・・失礼します」
「もう、ほんと。あなたって不躾よね。もうちょっと、礼儀正しくなさい」
イビキで返事する啓介。運転席に乗り込んだ高峰は、呆れた顔で深くため息をつく。
ぼりぼりと頭を掻いて寝返りを打つ啓介。白い粉末がシートにぱらぱら落ちる。