商談
風は幾分治まってきたが、濡れた路面に散乱する木々や落葉が、相当荒れ模様だった事を物語っている。天気は良くなったが、空の雲は異様なほど早いスピードで流れて行く。
下車する啓介と高峰。とたんに、長い髪が風で巻き上げられる高峰、しきりにそれを手で直そうとする。啓介は、季節感が全く無い、傍からみれば暑苦しそうな黒いコートの両ポケットに手をつっこんだまま、小刻みに震えている。
ミラー越しに二人の到着を確認した立石は、外車のドアを開け、こちらに向かい丁寧に頭を下げた。
髪を手で押さえながら、立石よりも深々と頭を下げる高峰。対照的に、啓介はアパートに背を向けたまま、立石をちら見し、目だけで挨拶した。
立石は啓介が想像していたよりも若かった。30代後半だろうか。なのに体型は20代をキープしたまま、背も高く、スマートな身のこなし。今が働き盛りというような顔つきで、決して美形とはいえないが、女性にモテる笑顔の作り方を知っている。しわのないオーダースーツ。おしゃれな糊の効いたカラーシャツ。どう素人が見ても高級品だと判るような腕時計。間違いなく社内でも幹部クラスの人間だろうと思われる。
「あー。もう寒いなー。・・・っさぶ」
「暑いわよ。大丈夫?」
日差しは強くなり、それに伴って気温も急上昇している中、一番厚着の啓介だけは、一人凍えている。
「どうも、南栄ハウジングの立石と申します。よろしくお願いします」
「どうも・・・。話はなんとなく高峰さんから伺いました」
「え、ええ。入居後間もなく皆、すぐに引っ越されてしまうので・・・」
立石の話を手で制止し、その手を立石の前に差し出し、手の平を上にして、
「仰らなくても、分かります。それより、あの部屋の鍵を僕に預けてくださいませんか?一晩でいいです。・・・ああ、あとビジネスの話ですが、1日当り1万。それとは別に、1人に対して5万。掛ける人数分となりますが、よろしいでしょうか?」
立石の顔から営業スマイルが消え、啓介を露骨に怪しむ表情に変わった。
「あ、ああ。解決して頂けるのであれば、それ相当のお礼は考えています。しかしあの、失礼ですが」
「はい。仰りたい事は分かっています、立石さん。一度引受けたからには、あなたから提示された条件を僕は守るつもりでいます。ただ代わりといっては何なんですが、僕からも一つ条件があります」
「条件?」
「はい。僕の事、そして僕が関わったこの依頼内容すべてを内密にして頂きたいのです。立石さんは、あの部屋が元の正常な状態に戻る事を希望なさっている。なぜ入居者が居なくなってしまうのか?そういった理由は特に重要ではないはずです。だからこそのあの条件を提示した。僕はそう受け取っているんですが」
「・・・ああ。そう、その通り。もちろん、あなたがそう望むのなら。私は一向に構いません。・・・しかし、一人に対して5万円というのは一体?」
それ以上は口を開こうとしない啓介。立石から目をそらさず、手を差し出したまま微動だにしない。
「あの・・・立石さん。彼のこと。今は納得できないかもしれません。けれど、霧島は信用できる人間です。私が保証します。任せてあげてもらえませんか」
高峰は再び頭を深く下げた。
立石は、それ以上何を聞いても無駄だと悟り。ポケットからアパートの鍵を取り出し、啓介に手渡した。
鍵を握り締める啓介。初めて立石に対して表情が緩んだ。
「有難うございます。商談成立ですね。これでやっと自己紹介できます。名乗り遅れました、霧島 啓介といいます。探偵です」
「とりあえず、あの部屋に何人の思念があるのか。そこから調べます。それともう一人。これは立石さんからOKもらわないといけない方」
「私から?」
「はい。でもそれ、後回しでもいいですか?話がややこしそうですから・・・。そう、・・・あーもう。ムリ。高峰さん、例のヤツ。持って来てませんか?我慢できそうにない」
「もう、なんでいつも用意しないの。必要になることぐらい、予想つくでしょうに」
そういいながらも高峰は、自分の車のトランクを空ける、しばらくゴソゴソと何かを探した後、
「あったわよ。ほら」
と高峰の手にしているものを見て、立石は戸惑った。それは、ビニール袋に入った白い粉末だった。