【三題噺】雨ときどき飴。まれに虹。
窓の外。
まだ雨が降っている。
「雨、嫌い」
呟いた声を掻き消すように、雨音が激しくなった。
今日の朝も雨が降っていて、水溜まりに携帯を落っことした。
あいにくの所、私の携帯は防水ではない。
「……あ」
私の携帯は水没した。
死因、水死。
でも、一応修理に出してみたら、来週には直るらしい。
修正、水死未遂。
こんなことなら、傘を片手に携帯をいじりながら、走らなければよかった。
家路を辿りながら、小さく息をつく。
地面を叩く滴が靴下にはねた。
雨は憂鬱な気分になるから、嫌い。
「お姉さん、飴買わない?」
突然、声が掛けられた。
落ち着きのある、けれど子供らしさの残る声。
声の主は左手にある、こじんまりとした駄菓子屋の中だった。
あどけなさの残る少年がこちらを見ている。
「飴?それとも雨?」
「そりゃあ、飴だよ。飴玉」
雨音が煩く聞き返せば、けらけらと笑われた。
でも、不思議と不快な気持ちにはならない。
綺麗な声のせいだろうか。
気づけば、立ち止まっていた。
「いくら?」
「10個で100円」
「バラ売りはしてないの?」
「その方が高級っぽいから」
ほら、これだよ――――瓶いっぱいに詰められた飴玉は、透明で綺麗で、
「買う」
迷いは特になかった。
綺麗でそれなりに美味しそうだと思っただけ。
「まいどあり」
無邪気に笑う彼の手に100円をのせ、代わりに飴を袋に10個貰う。
すぐに、その一つを口にほうり込む。
ほのかな甘さと、ほんの少しのしょっぱさ。
「美味しい。こんなの初めて食べた」
正直に感嘆する。
彼はちょっと照れたように、はにかむ。
「何で、出来てるの?」
尋ねれば、少年は悪戯っぽく答えた。
「この飴玉は雨で出来てるんだ」
それが、雨が降っていた6月の終わり。
私は次の日も、その次の日も、飴玉を買いに駄菓子屋に寄って帰った。
「また、来たの?」
「私はお客。しかも、常連。他に言うことないわけ」
呆れ半分、驚き半分の彼に唇を尖らせる。
相変わらず、雨降りの日々。
「今年の梅雨明けは来週だって」
そういえばと、話題を振れば彼は肩を竦めた。
前髪で瞳が見えなくなる。
「雨が降らないなら、この飴は出来ないな」
「また、そんな冗談言ってるし」
「だって、本当のことだよ。梅雨が明けたら飴は売れない」
「梅雨明けても、買いに来るよ」
始めは雨続きの日常の、暇つぶしで気まぐれだった。
でも、今はそうでもないよ。
あんたと話すの楽しいよ。
この飴玉、美味しいよ。
そう言おうとした。
――――言えなかった。
少年相手に、女子高生がそんなことを訴えるなんて、恥ずかしいと思った。
くるりと傘を回す。
水滴が飛ぶ。
私は言葉を、食べかけの飴玉と一緒に飲み込んだ。
黙った私に、彼は笑いかける。
「ありがと」
無理矢理笑う彼の笑顔。
雨雲と不釣り合いな彼の笑顔。
自分がひどく惨めで小さい人間に思えた。
夢を見た。
飴が降る夢。
綺麗で甘くて、現実離れした世界の夢。
私は傘を放り出し、飴の降る中、一人で踊るのだ。
嬉しくて、楽しくて。
けれど、飴は次第に強くなり、私は沢山の飴に叩かれ、目を覚ました。
窓の外はやっぱり雨が降っていた。
明日から梅雨明けだと、お天気お姉さんが言った。
確かに窓の外の雨雲は、昨日より薄くなっていた。
静かな雨が世界を包むのも、今日で最後だ。
携帯が修理から返ってきて、私は駄菓子屋に向かう。
この傘も梅雨が明ければ、もう当分は使わないな、と少し淋しい。
「今日で閉店なんだ」
駄菓子屋に着けば、そのシャッターは閉め切られたまま。
そして、彼が傘をさして私を待っていた。
「だから、もう飴は売れない」
「そう」
「もうこの駄菓子屋は潰れる」
くしゃりと歪められた表情。
泣くかと思った。
でも、彼は泣かなかった。
「だから、今日でさよなら」
そう言って、手渡されたのは瓶。
私がこの1週間買い続けた飴玉。
「常連さんに最初で最後の出血大サービス」
無理に笑った顔を、雫がひとつ滑っていく。
零れ落ちた雫は、雨のつくる波紋に紛れた。
そして彼は言った。最高の笑顔で言った。
「ありがとう」
彼は踵を返すと、走り去る。
その背中に声さえかけれずに、私は立ち尽くした。
この駄菓子屋は孫と2人暮らしのおばあちゃんがやっていた。
商店街の噂で聞いた。
おばあちゃんは2週間前に亡くなったらしい。
病気ではなく、寿命だったそうだ。
彼は多分、彼女の孫で、彼女の店を守りたくて。
それでも、彼は一人で生きていくことなんて出来るわけなくて。
あの飴玉は、彼女にとって彼にとって、何であったのかは分からない。
ただ、大切な思い出の詰まったものだったのだと思う。
無意識に瓶を抱きしめる。
彼はこの街から出ていく。
この瓶を私にくれて。
次第に雨音は小さくなり、雨が止んだ。
くるりと傘を回して、水滴を飛ばす。
傘をたたむ。
晴れた空に架かるのは、虹。
私はポケットから直りたての携帯を取り出す。
「雨ときどき飴。まれに虹」
独り言を呟いて、私は携帯のシャッターをきった。
綺麗な電子音で、携帯の中の世界が停止する。
虹の写真を壁紙登録して、飴玉の瓶を抱きしめて、私は傘を片手に歩き出す。
もうきっと、窓の外で雨が降っていても、ため息をついたりしない。
彼と飴玉と虹を思い出すから。
彼がいつかこの街に帰って来たら、言いたいことがあるんだ。
晴れた空に、架かった虹に、笑う。
「君のおかげで、雨が好きになったよ」と。
三題噺として書きました。
携帯、飴、窓。(第二弾)