異世界で、二人乗り 第一部 第9話「どうやら、使える」
ここ数日、上杉は川沿いを下っていた。意識して決めたというより、結果的にそうなっている。だが、あとから考えれば、悪くない選択だった。
水場は命綱だ。飲み水になる。火を使えば安全になる。洗うこともできる。獣も、人も、水のある場所に集まる。
危険は増える。だが、情報も増える。管理職として身についた思考が、こんな場所でも顔を出すのは皮肉だった。
森は、相変わらず森だった。だが最初に迷い込んだ頃の、圧倒的な「未知」ではなくなってきている。
果実を発見したら必要な分だけ獲る。そして大木などの下を拠点とする。
火も毛布もある。そして命綱のジュリオ。なんとかやっていけた。
危険な時間帯。風の向き。音が消える前触れ。
わかってきてしまうことが、怖い。
今はジュリオを押しながら歩いている。そろそろ心許ないガソリンは極力使わないようにする。
本来なら、こんな重たいものを連れて移動するのは合理的じゃない。だが、置いていくという選択肢は、もう頭に浮かばなかった。
ジュリオのメットイン。そこに何が入っているか。いや――何が入っていることになっているかが正しいのか。
上杉は、はっきり言語化しないまま、そこを自分の生存基盤として扱い始めていた。
右肩に、鈍い痛みが残っている。数日前、狼のような、でかいモンスターに引っかかれた場所だ。
上杉は歩きながら、無意識に右肩をさすった。
――この世界に、病院ってあるのか?
ふと、そんな疑問が浮かぶ。
ここが異世界だとして。医療は?保険適用は?薬は?
それとも、魔法か。
回復魔法。アニメやゲームで聞いたことのある言葉が、現実味を帯びて浮かぶ。
「……この傷も、治してもらえるのかな」
そう思った瞬間だった。
傷のあたりを触っていた左手が、淡く光った。
炎でもなく、稲妻でもない。輪郭の曖昧な、やさしい光。
上杉は足を止めた。理解が追いつかない。
光は、右肩に触れている。触れている感触がある。熱くも、冷たくもない。
次の瞬間、痛みが消えた。
完全に、とは言えない。だが、さっきまで主張していた鈍さが、嘘のように引いている。
「……え?」
上杉は慌てて立ち止まり、ワイシャツのボタンを外した。ジュリオの横で服を脱ぐ。肩を見る。
そこには――傷がない。
引っかかれた跡も、赤みも、腫れも。まるで最初から何もなかったようだ。
肩を回してみた。問題ない。
上杉はしばらく、その場で固まった。
仮説を立てる前に、現象が起きてしまった。理解が追いつかない。
「……想像、しただけだよな」
自分に言い聞かせる。回復魔法、なんて都合のいいものを取得した覚えはない。たまたま。偶然。そういうことだ。
だが、心の奥で、別の考えが芽を出す。
身体が軽い。疲れにくい。あの時、剣を振れたこと。脚が動いたこと。
今まで生きて来て、そんな修練はしたことがない。
視線が、いま脱いだ自分の服に落ちる。
汚れている。血と泥と汗。
そこで、ようやく思い出した。
――風呂、入ってない。
顔は小川で洗った。手も洗った。だが、ちゃんと体を洗った記憶がない。
着替えもない。
「……さすがに、これはな」
そして、またしても、都合のいい考えが浮かぶ。
ジュリオのメットインに入れたら、洗濯された状態で戻ってきたりしないだろうか。
馬鹿げている。とんでもないご都合主義。だが、毛布が出た。剣が出た。回復まで起きた。
「……検証、だな」
ワイシャツとスラックス、ジャケットを畳み、一緒にメットインへ入れる。鍵を閉める。
代わりに、先ほど“都合よく”出てきたタオルを持つ。これには驚かなかった。
小川へ行き、シャツとパンツだけになって水を浴びる。
冷たい。短時間で済ませる。
「……シャツとパンツだけのおっさんが川で水浴びとか、まぁまぁ案件だろ」
誰に聞かせるでもなく呟き、急いで戻る。
メットインを開ける。
そこには、きれいに畳まれた下着。シワ一つないワイシャツ。汚れの消えたジャケットとスラックス。
上杉は、言葉を失った。
「……まじかよ」
否定の余地がない。
普段の足にしか認識していなかったジュリオ。それが、いまや生活の中心にいる。
移動。装備。休息。治癒。治癒は手から出たけど。ジュリオの横に立っていた。
上杉は服を着ながら、静かに理解する。
――ジュリオがいなかったら、もう詰んでいる。




