異世界で、二人乗り 第二部 第6話 「守る仕事」
ギルドの奥は、昼間でも少し暗い。
応接区画は木製の仕切りで区切られていて、喧騒からは一段落ちる。
それでも外のざわめきは完全には消えない。壁越しに、酒場と受付の声が薄く染みてくる。
「こちらです」
受付に案内されて入った部屋で、男が立ち上がった。
四十代半ば。
肩幅は広くない。
だが背筋がまっすぐだ。椅子から立つ動作に、無駄がない。
「エドヴァル・ローディスです。ローディス商会の代表を務めています」
声は低い。怒鳴らなくても通る声だ。
隣に座っていた女性が静かに会釈する。
「妻のマレイアです。夫の補佐をしています」
補佐。
その言い方が妙にしっくりくる。そう言う佇まいの女性。
ただの“同行する妻”ではない。席の位置も、目線も、空気の握り方も。
タイラーも軽く頭を下げる。
「冒険者のタイラーです」
この冒険者っていう名乗りも慣れてきた。名刺とかはないけど。
言いながら、自分がいまどこに立っているのかを確認するみたいに、息をひとつ置く。
あおいは言葉少なに、しかし真っ直ぐに。
「あおいです」
それだけで足りる。
余計な飾りがないぶん、芯だけが残る言い方だった。
ローディス氏は椅子を勧めた。
座るよう促す動作も、手のひらの角度も丁寧で、商人らしい距離の取り方だ。
「さっそくだが」
机の上に地図が広げられる。紙は硬く、端が少し擦れている。何度も使われてきた地図だ。
「目的地は東の港、ルーメルだ。ここに積荷を受け取りに行く」
東へ伸びる街道。
指がなぞる線の先に、港の印がある。海の匂いまでは当然届かないが、地図の上ではあっさり繋がっている。
「通常は七日。だが、森を抜け、峠を越える短縮路を使えば、四日に縮まる」
「だが」
ローディス氏は一呼吸置いた。
だがその先は、タイラーでも想像がついた。短縮と危険は、だいたいセットだ。
「このルートは大変危険と言われている」
タイラーは頷く。
「モンスターが住み着く森を抜ける」
「今回の仕事は、人数をかけることもできない」
言い方が淡々としているからこそ、重い。
“人を増やせない理由”は、単純な金の話じゃないのだろう。
「少数にしか知らされていない、ということですか」
タイラーが質問する。
自分でも、踏み込みすぎないラインを探しながらの声だった。
ローディス氏は目を逸らさない。
「そういうことだ」
正直だ。
この世界の商人は腹芸だけじゃない。腹芸が必要な場面ほど、必要なところだけは真っ直ぐ言う。
「この仕事は急ぎだ。期限がある。回り道もできるが、このルートで三日は大きい」
三日。
商売での三日は、命と同じだ。
その言葉が頭に浮かんだ瞬間、ローディス氏の“期限”という音が、現実に近づいてくる。
「積荷は何ですか」
タイラーの問いに、ローディス氏は一瞬だけ間を置いた。
口を開く前に、喉の奥で言葉を選ぶ気配がある。
「国外からの取引品だ」
それ以上は言わない。
言えないのだ。言わないのではなく。
「行きは高額の現金をルーメルまで運ぶ」
「帰りは取引品をリューデンまで」
隠している感じよりも、言えない事が多い。
“いまはまだ言えない”という空気。
タイラーはそれ以上踏み込まなかった。踏み込んだ瞬間に、信頼と引き換えになると分かる。
「承知しました。精一杯努めさせてもらいます」
ローディス氏は頷く。
軽い動作だが、受け取った、と伝わる。
「その言葉が聞きたかった。頼む」
部屋の奥で、二人の男が動いた。
紹介のタイミングを計っていたのだろう。
一人は鎧姿。磨きすぎていない鉄。実戦の傷が残る。
「ガレンだ」
それだけ。声は低い。
短い。無駄がない。
もう一人は軽装。目が笑っている。親しみやすそうだ。
だが“軽さ”だけではない。
「セイルです。よろしく」
軽く手を上げる。
「王都のとある大商会から来てもらっている、護衛役の二人だ」
ローディス氏が補足する。
言い方に、信頼が混じっている。
「周囲の警戒はオレとガレンで回す。馬は一頭。御者は商会主」
セイルからの説明。
ローディス氏が小さく頷く。
「手綱は私が握る。積荷も私の責任だ」
ローディス氏の言葉には、決意も感じる。
自分で持つ。逃げない。そういう決意だ。
ガレンが初めてタイラーを正面から見た。
「隊列を乱さないで欲しい。それだけ守ってくれ」
「わかりました」
タイラーが返す。
“それだけ”が難しい仕事だ、というのも分かる。だが今は、言葉を盛らない。
セイルが笑う。
「噂は聞いてる。雷の、魔術師様なんだって?」
「魔術師ってほどでもないんです」
曖昧に答えるタイラー。
この曖昧さが、いまの自分を守る壁でもある。
「命を預ける事になるので。頼りにさせてもらう」
「努力します」
先ほどまで笑っているようだったセイルの目は、真剣に切り替わっていた。
軽いが、芯がある。タイラーはその目を見て背筋が伸びた。
セイルの視線があおいへ移る。
「……エルフだね」
あおいは静かに頷く。
「風の匂いが違うようだ」
あおいは何も言わない。
タイラーは何を言っているのか想像つかない。
だがセイルの言い方には、品定めの嫌な響きがない。
セイルは少しだけ肩をすくめた。
「悪い意味じゃない。森の中で頼りにする」
あおいは頷く。
短いが、受け取った、という頷きだった。
ガレンが低く言う。
「無駄話はそこまでだ」
セイルが笑う。空気を重くしない程度に。
「ほら、こういう人。元王国兵」
一瞬、空気が変わる。
ガレンは否定もしない。肯定もしない。
だが視線がわずかに冷える。
「今は商会の護衛だ」
それだけ。
ローディス氏が言った。
「出立は明朝、夜明け前。準備は今日のうちに」
話は終わる。
終わり方がきっぱりしているのが、逆に安心だった。余計な情で曖昧にしない。
部屋を出る前、マレイア夫人が一言だけ言った。
「……よろしくお願いします」
経営者の妻。
守る側にいる人間の目だった。
明日の買い物を整えるために市場に出る。
ギルドを出ると、さっきまでの暗さが嘘みたいに、光と匂いが戻ってくる。
市場はいつも通りだ。
肉を吊るす店主。乾燥魚。籠いっぱいの野菜。
人の声が重なり、呼び込みが飛ぶ。
タイラーは必要な物を考える。
干し肉。
水袋の予備。
布。
油。
求めればジュリオのメットインからたいていの物を取り出せると思うが、今回は同行者もいる。
そういった“能力”に頼るのは最低限にしたい。見せすぎると、次から“それが前提”になる。
お店の軒先を見ていたあおいは、香草に目を止めた。
指で葉を揉み、匂いを確かめる。
「森は湿る。身体が冷える。これ、入れるといい」
説明は短い。
理屈というより経験だ。
あおいは森で生きてきた。だから森での知識が役立つ。
タイラーはそれ以上言わない。素直に応じた。
買い物の途中、セイルの言葉が頭をよぎる。
“頼りにさせてもらう”
この異世界に転移してきて、頼られる。
自分もこの世界の一員として、人の流れの中にいるのだと実感する。
それが、少し怖い。同時に、受け入れられている事が、少し嬉しい。
「今回の依頼、大変そうだね」
あおいが言い出した。
「そうだな。いろいろ。責任が大きそうだし」
口に出すと、余計に現実味が増す。
“責任”という言葉は、重さだけでなく、逃げ道も消す。
「怖い?」
あおいが聞く。
「怖くないって言ったら嘘だな」
あおいは少しだけ笑う。
笑いは軽くない。あおいなりの“支える”だった。
「わたしは、隣にいる」
それだけ。充分だった。
現実世界ではリスクは最小限に心掛けてきた。
でもこの世界では、時にはリスクを取っていく選択肢が迫られる。
翌朝。
空はまだ青黒い。
幌馬車は既に準備されている。ガレンが縄を締め直している。
積荷の重心を確認する指の動きが正確だ。
セイルは馬の横であくびを噛み殺していた。眠そうなのに、目だけは周囲を拾っている。
ジュリオに乗るタイラーとあおい。
低いエンジン音が響く。
セイルの動きが止まる。
「……なんだそれ」
目が光る。目線はジュリオに向けられる。
「ジュリオだ」
「魔導機械か?」
やはりこの世界の住人には、そう認識されるらしい。
「そう見えるならな」
タイラーは答えた。余計は話には発展してほしくない。
セイルが近づく。
「自前?」
「旅の足になっている」
「護衛で持ち込むやつ、初めて見た」
ガレンが一瞬だけ振り返る。
「馬車のスピードに合わせられるか」
「大丈夫です」
その気になれば、原付だって馬車よりは速いだろう。
だが速さを誇る気はない。護衛は見せびらかす仕事じゃない。
「なら問題ない」
セイルが笑う。
「後ろ、楽になるな。速い?」
「まぁまぁ速い」
タイラーは曖昧に答える。
「すごいな」
話の流れを断ち切るように、ここでローディス氏が動き御者席に座る。
空気が“仕事”へ戻る。
「よし、出るぞ」
馬車が動き出す。
車輪が砂利を踏む。
前方にガレン。馬上で視線を流す。
御者席にローディス氏。隣にマレイア夫人。
馬車内の幌後部にセイル。
最後尾にジュリオ。
あおいが背中に体重を預ける。
町の門を抜ける。
東へ向かう。
王都セレスティアとは違う方向だ。
セレスティアはまだ遠い。今は地盤を固める段階だ。
これは、回り道ではない。
出発して半日ほど、夕暮れ時となった。
森の手前で、ローディス氏が馬を止めた。
「ここで整える。森が深くなる前に休む」
日暮れ前の空気はまだ温いが、森の影は濃い。
夜は冷え込むだろう。
ガレンが馬から降り、手綱を結び直す。
セイルは到着と同時に馬車から降りて、森の奥へ入っていく。
危険がないかを確かめる行動だろう。
タイラーはジュリオのエンジンを切る。
振動が消えると、虫の音が戻ってくる。
あおいはジュリオから降りると、固まった体を少しほぐす。
そして、荷物の縄を解き始めた。
言葉はない。
タイラーが袋を出すと、あおいが布を受け取る。
まずはテントの組み立てだ。
骨組みを立てる手は自然に分かれる。
杭を打つ。張り綱を締める。
父が使っていたテント。少し古いがこの世界には無い。現実世界から持ち込んだ物だ。
「はじめて見るテントだな」
セイルが言う。森の奥を見終えたようだ。
「ああ」
タイラーが答える。
ガレンもやってきて、布を指で引く。
「軽い。だが張りがある」
ローディス氏も近づいた。
布地を確かめ、縫い目を見る。
「織りが細かい。雨も弾くだろう」
「そうですね」
古いテントなんだが、そこまで褒められると恐縮する。
「どこの工房製だ?」
ローディス氏の自然な問いだ。
タイラーはペグを打ち込みながら答える。
「譲られた物です。遠い場所の物と聞きました」
嘘は言ってない。
ローディス氏は布を離さない。
「この国の織りではないな。マレイア、仕立て方に見覚えはあるか?」
いつの間にか、マレイア夫人も集まってきている。
「初めて見るけど、とても精巧な作りね」
大量生産品ではあるが、機械の縫製は精巧だ。
だんだん、気まずくなってくるタイラー。
「良い縁を持っているな」
ローディス氏がこの会話を締めた。
全員納得して、自分の作業に戻る。
助かった。
タイラーは内心ほっとした。
踏み込めば、崩れる。
商人はそれを知っている。……そういうことにしておく。
周囲が暗闇に覆われ始めた頃、焚き火の準備を始めた。
テントを立てたあと、次は火。ここが一番“生活”になる。気配がゆるみやすい。
火を起こす頃合いになる。
ローディス氏が火打石を取り出した。
「あ、火はこれで」
タイラーはそう言って腰袋から金属片を出す。
習慣みたいな動作だった。説明するつもりもなく、ただ手が先に動く。
カチリ。
オイルライターの音。
小さな炎が灯る。
風に揺れない。
セイルが視線を向ける。
「……今のは」
ローディス氏が炎を見つめる。
「魔道具か」
「これも譲られた物です。どういう仕組みなのか知らないですけど」
「火を灯す魔道具なのか?」
ローディス氏が興味深くタイラーのオイルライターを見ている。
「そうみたいですね。便利に使ってます」
「さすが魔術師と、その魔道具はすごいな」
セイルが感心した様子で言う。
その言い方に、揶揄はない。素直な驚きだ。
あおいが横目で見る。
その視線は責めるでもなく、“見せたんだな”という確認みたいなものだった。
タイラーは言葉を整える。
「……魔道具を持つ冒険者は珍しいですか」
ローディス氏が小さく笑う。
「持つ者もいるが、タイラー殿の魔道具は珍しい物ばかりだな」
セイルが火に薪を足す。
「雷の魔法を使う冒険者って噂はホントみたいだな」
タイラーは一瞬だけ考える。
「必要な時は、ね」
ガレンが低く言う。
「必要にしないのが護衛だ」
ローディス氏が続ける。
「雷が強いかどうかより、馬車に被害が無いことの方が価値がある」
タイラーは頷いた。
今回の仕事は、守る仕事。
初日は、穏やかに終わった。
だが全員が、互いを測っていた。
少し、現実世界の道具を出しすぎた。
でもどういう反応をされて、今後はどう扱っていこうか、試してもみたかった。
そういう夜だった。
二日目。森に入る。
光が薄くなる。
木々の間を抜ける風は冷たく、湿り気を含む。音が吸われていく感じがある。
午前、モスラットの群れが道を横切る。
セイルが幌馬車の上から即座に弓を引く。
一体、二体、確実に落ちる。いい腕だった。
ガレンは盾で一体を踏み潰す。
馬車に被害は無かった。
問題ない。
昼過ぎ、スクラッパー三体。後方からも気配がする。
馬車を狙って一直線。
「来るぞ!」
セイルが馬を前に出しすぎる。
「戻れ!」
ガレンの声。
だがセイルは一体に深く踏み込む。
馬車との距離が開く。
タイラーはジュリオを前に出すか、一瞬迷う。後方警戒はどうするか。
出さない。
ローディス氏が馬車を停止させる。即座にガレンが馬車から飛び出した。
接近してきたスクラッパーは、ガレンが受ける。
盾で衝撃を殺し、斬る。
後方からもスクラッパー。ジュリオのミラーで確認した。
ジュリオを停止させて、即座にあおいが風を送る。スクラッパーの体勢が崩れる。
タイラーが喉を断つ。
最後の一体が馬車へ向かう。
突出したセイルが戻り、しとめる。
沈黙。
「馬車から離れるな」
ガレンの声は低い。
セイルが息を整える。
「分かってる」
分かっている。
だが若さは、前へ出る。
ローディス氏が静かに言う。
「命を賭けるのは構わない。だが、賭ける場所は選んで欲しい」
セイルは黙る。
タイラーはそのやり取りを見る。
守る戦いは、個人の強さではない。
ギルドで最初に会った時、ガレンが言った言葉。
「隊列を乱さないで欲しい。」
その意味がわかった。
これは護衛の仕事。モンスターの殲滅が目的では無い。
三日目。
街道の様子が変わる。轍が乱れている。
道脇に壊れた荷車。積荷はない。
「人の気配だな」
ガレンが言う。
灰は新しい。焚き火跡が三つ。
「戻るか」
ガレンが問う。
ローディス氏は荷を見た。
そして森の奥を見る。
「進む」
短い。
理由は言わない。
ここで戻れば三日のロス。さらに連鎖的にロスは発生する。
商売の三日は、重い。
タイラーはローディス氏の横顔を見る。
迷いはない。
あおいは森を見ている。おそらく何かを風から感じている。
風が流れない。
三日目の夜。
火は小さくする。明るさは、危険を呼ぶ。
言葉は少ない。
セイルは馬の側に座る。緊張した面持ちだ。
ガレンは立ったまま森を見る。
ローディス氏は帳簿を閉じる。
あおいが火を見つめている。
「静かだな」
セイル。
「静かすぎる」
ガレン。
馬が鼻を鳴らす。
一度。
タイラーは空を見る。
星は見えない。森が覆っている。
「……重い」
あおいが小さく言う。
「何が」
「風が」
タイラーには分からない。
分からないから、逆に胸の奥が落ち着かない。
森は、ただ静かだった。
夜はまだ破れていない。
あおいが立ち上がる。周囲を見回している。
何かが近い。




