異世界で、二人乗り 第二部 第1話 「進み方」
リューネルを旅立って、何日目になるだろうか。
朝起きて、走って、日が傾く前に止まる。
その繰り返しの中で、日付の感覚は少しずつ薄れていっていた。
今日もジュリオは静かに走っている。
舗装されていない街道。土と石が混じった道はところどころ抉れ、雨が降ればすぐにぬかるむ。
もう少し速度は出せる。
けれど、出さない。
後ろにあおいを乗せている。
それだけで、選択肢は自然と削られる。
減速のたびに背中へ伝わる重み。
最初のころのぎこちなさは、もうない。
「後ろ、キツくないか?」
「大丈夫だよ」
そう答える声は、無理をしているようには聞こえなかった。
地面の凹凸は激しい。
しょせんは原チャリのサスペンションとシートだ。快適とは言えない。
それでもあおいは、そういうことをあまり気にしていない。
それが強がりじゃないことも、もう分かっていた。
ガソリン計の針が、ゆっくりと下がっていくのを横目で見る。
(……そろそろ、だな)
ジュリオを道の脇に寄せ、人目につかない物陰を選ぶ。
「ガソリンが必要だ」と意識して周囲を見渡すと、木陰にポリタンクがあった。
欲しいと思えば、出てくる。
それは確かだ。
問題は、量だった。
多くても二リットル程度。
どう考えても、それ以上は出てこない。
一度に出てくる量は決まっている。
それを使い切れば、その日は終わりだ。
翌日になって、また同じ量が出てくる。
つまり――
一日に、二リットル。
(……そういうことか)
速く走れる。
でも、走らせない。
遠くへ行ける。
でも、一気には行かせない。
(あまり距離を走るな、ってことなんだろ)
理由は分からない。
この世界の意思なのか、自分の想像とは別のところで勝手に設けられている制限なのか。
どちらにしても、文句を言える立場じゃないことは分かっている。
そもそも、この世界にガソリンなんて存在しない。
それを一日に二リットルもらえる。
そう考えれば、十分だ。
無理はしない。
できない。
その前提を受け入れたあたりから、旅の感覚が少し変わった。
地図の上では、距離は短く見える。
けれど、この世界に「直線距離」という発想はほとんど意味を持たない。
山を貫くトンネルはない。
渓谷を一跨ぎにする橋もない。
山があれば峠道を登る。
それも、何度も折り返しながらだ。
険しすぎる山は越えられない。
大きく迂回するしかない。
川を渡るにも場所を選ぶ。
橋のかかる場所まで回り込むことになる。
そういう場所には、たいてい集落がある。
旅人は、自然と足を止める。
距離を進むというより、時間と手間を積み重ねていく。
そんな旅だ。
(……思ってたより、ずっと遠い)
走るたびに、そんな感覚が少しずつ染み込んでいく。
だから、準備の考え方も変わった。
徒歩旅なら、持てる量には限りがある。
馬でも、積み方を考えなければならない。
けれど――
思い浮かべるだけで、ジュリオのメットインの中身が頭に浮かぶ。
乾いたパン。干し野菜。根菜。
さっきの村で、少し多めに買い込んだ分だ。
原付のヘルメットを入れるだけの収納に、どう考えても入りきらない量が収まっている。
(……ほんと、ずるい)
便利すぎる。無限収納。無限に入るのか試した事は無いが。
正直、インチキだ。
それでも使わない理由にはならなかった。
走れる距離が限られている以上、備えは日数で考えるしかない。
徒歩で二週間と言われる道のり。
それよりは、もう少し短い。
ジュリオなら、一週間と少し。
そう考えれば、このくらいの備えは必要だった。
ガソリンの制限。
遠回りばかりの道。
その全部が、少しずつ噛み合ってくる。
日が傾き始めたころ、タイラーは今日の走行を切り上げる場所を探した。
街道から少し外れた、森の縁。
風を避けられそうな、わずかに開けた場所が目に入る。
「ここ、どうだ?」
ジュリオを停めながら声をかける。
あおいは周囲を見回し、少しだけ考えてから頷いた。
「うん。悪くないと思う。風、こっちから来てない」
「じゃあ、今日はここだな」
エンジンを切ると、急に世界が静かになる。
鳥の声と、草を揺らす音だけが残った。
テントを出そうとして、ほんの一瞬考える。
ここ数日、風雨を防いでくれたのは、このテント。
メーカーは、
「月明かりでも迷わず立てられること」を売りにしていた――そんなテントだ。
本当は違うテントを出そうと思ってた。
でもいざ、テントを想像しようと思った時、
――オレは、何が欲しい?
大きくて頑丈なものも想像できた。
軍用の天幕だって、きっと出せる。
けれど、頭に浮かんだのは、別のものだった。
父親が使っていた、あのテント。
子供のころ、何度か一緒に張った記憶のある、使い古し。
新品じゃない。
父が壊れたら修理して使っていた。あの光景。
オレはそれほど興味なかったが、テントと言えばあのテントが思い浮かぶ。
それが、いまの自分にはちょうどいい気がした。
そう思った瞬間、
メットインの中に、それがあった。
荷を下ろし、ジュリオのメットインを開ける。
「不思議ね。その箱」
ジュリオのメットインからテントを取り出す様子を見て、あおいが言う。
「本当は、ここに入るサイズじゃない」
「そうなの?」
「……まあ、いろいろ事情がある」
そう言うと、あおいは深く突っ込まず、くすっと笑った。
「便利なのは、悪いことじゃないよ」
その言い方が、妙に優しかった。
ポールを組み、フライシートをかける。
手順は体が覚えている。父と一緒に組み立てた。
本当に月明かりがあれば十分だった。
あっという間に立ち上がったテントを見て、あおいが言う。
「……王族のテントみたい」
「それは言い過ぎじゃない?」
「でも……立派」
そう言われると、少しだけ照れくさい。
この世界の冒険者が使うのは、布を木に吊るすだけの簡素で持ち運びやすいものだ。
少し良いのでも木の柱。金属の柱を使うのは、軍用か、王族か、よほどの身分の持ち物なんだろう。
あおいはテントの周りを一周して、布にそっと触れる。
「風、ちゃんと止まってる」
「ああ。そういう作りだから」
現実世界のテントは、軽くて、丈夫で、よく考えられている。
多少古いし、もっと高性能のテントを想像すれば良かったかも知れない。
それでも――
野営で交代で休むとき、休む側がちゃんと眠れる。
それだけで、価値は十分だった。
焚き火を起こし、夕食の準備を始める。
鍋に水を張り、刻んだ野菜を入れて火にかける。
あおいは少し離れたところに腰を下ろして、焚き火と鍋を交互に見ていた。
「……前から思ってたんだけど」
「ん?」
「火、扱うの慣れてるよね」
言われて、少しだけ考える。
「一人だった頃、多少はな」
詳しく説明するほどの話でもない。
凝った料理をしていたわけでもない。
ただ、火を起こして、鍋をかけて、食べられるものを作る。
現実社会で。
オレの、それだけの生活。
「楽しい、ってほどでもないけどな」
「私は、好き」
そう言って、あおいは焚き火を見る。
味付けは、この世界の塩《グラウ塩》を少し。現実世界の塩よりも辛味がある。
それだけだと角が立つので、村で手に入れた乾燥した香草を砕いて加える。
香りが立つ。
「いい匂い」
「塩だけじゃないんだよ」
「うん、わかる」
スープができあがり、二人で並んで食べる。
温かい汁が、体に染みていく。
「……おいしい」
あおいは、はっきりそう言った。
「野宿なのに、食堂で食べているみたい」
「野宿だから、だな。食べられて良かったなって、少しでも思える物を食べたいよな」
そう答えると、彼女は少しだけ、納得したように頷いた。
タイラーは、昔からスープが好きだった。
味噌汁じゃなくてもいい。
温かい汁物があるだけで、食事が落ち着く。
それを、あおいは知っている。
食べ終わったあと、彼女が、ぽつりと言った。
「……明日は、私が作る」
「スープ?」
「うん」
少し間を置いてから、
視線を逸らしつつ続ける。
「タイラー、好きでしょ。」
あおいの気遣いが嬉しかった。
「じゃあ、期待してる」
そう言うと、
あおいは少しだけ、嬉しそうに頷いた。
焚き火が落ち着き、夜が深まる。
見張りは、交代だ。
「先、休んでいいよ」
タイラーが言うと、あおいは一瞬だけ迷ってから、頷いた。
「じゃあ……お願い」
テントに入る前、少しだけ振り返る。
「……起こして」
「ああ。ちゃんと起こす」
それを聞いて、あおいは安心したようにテントに入った。
しばらくして、中から小さく息を吐く音が聞こえる。
この世界の野営では、夜風を直接受けることも多い。
日が落ちれば、気温は一気に下がる。
けれど、このテントは違う。
風は、布一枚で確実に弱まる。
冷えも、思ったほど来ない。
完全に安全ではない。
それでも――
「身を縮めて耐える夜」ではなく、
「目を閉じて休める夜」にはなる。
外では、タイラーが起きている。
焚き火の音が、一定の間隔で聞こえる。
それが、あおいにも分かっている。
だから、目を閉じることができる。
しばらくして、テントの中の呼吸が、少しだけ深くなる。
それを確認してから、
タイラーは薪を一本、静かに足した。




